甚大な問題

 ライム帳を開き、ラップの良い文句を考えている振りをしながら、ビーはちらりと名前の方を見遣った。サングラスって便利だ。密かに視線を向けていることに気付かれない。
 最初の頃の名前は、単に刀を振り回しているだけのように見えた。むしろ、刀に振り回されているというか。しかし彼女のやる気も相当なもので、最近では随分と様になってきた。まあ、まだまだ八振り持たせるわけにはいかないが、立派な進歩だ。そろそろ二本目を使わせても良いかもしれない。自分の時はどうだっけ? 八刀流はそもそも自己流に編み出したものであって、誰かから教わったわけではないから、いまいちどう指導すればいいのか解らない。もっとも仮に伝授されたものであっても、自分が教えるとなるとやはりそう上手くはいかないだろうが。
 名前が八刀流を教えてくれと言ってきた時は驚いた。名前はどう見ても普通のくノ一で、八振りもの刀を扱えるようになるとは思えない。ただ、格好良いと思われるのは気分が良いし、何より彼女の持っているような直向きさは、嫌いじゃない。それに、まあ、何だ、若い女の子に慕われるのは、悪い気はしない。よって、傍目で見ているだけならと、ビーは彼女の申し出を受け入れたのだ。以来、師弟関係を結んでいる。師匠師匠とピーチクパーチクされるのは、やはり悪い気はしない。
 ただ、どうもやり辛い。

 自分の弟子となった名前という下忍は、カルイやオモイとは何かが決定的に違っていた。例えば、褒められた時の反応とか。カルイ達のように誇らしげにするだけなら良い。むしろそれが普通だ。しかし名前の場合、それこそ心の底から幸せそうに笑う。しかも心なしか顔を赤く染めて。
 多いわけではないが、ビーにだって恋愛経験くらいはある。
 拳を突き合わせなくたって、名前の気持ちはすぐに分かった。というか拳を合わせたときはやばかった。何と言うか、若さが違う。こっちが赤くなってしまいそうな、一途な思い。それが一挙に伝わってくるものだから、ビーはポーカーフェイスを貫くのに相当苦労した。そして何故か八尾が赤面していた。
 どうも、名前はビーのことが好きらしい。八刀流を習いたいのも本心だ。しかしそれと同等に、自分のことを好いている。やり辛い。
 恋愛経験はある。あるにはあるが、ビーは自分が恋慕していた経験は多々あるものの、誰かに思われた経験は少なかった。しかもこれほど熱烈に。名前という存在はビーの中で希少であって、それに伴い、どう接すれば良いのか解らない存在でもあった。
 今のところ、ビーは何も気付いていない振りをしている。そして、名前は自分の気持ちが知られているとは少しも考えていないらしい。積極的にアタックしてくるような素振りはないから(いや、ビーの本心としてはそれはそれで嬉しい。マジで)、ビーも刀の扱い方とか何とかを指導するだけに留めている。しかしやはり、カルイやオモイとは違っていて、やり辛いのだ。
 まあ、やっぱり、アレだ、慕われているのは嬉しい。
『オイ、ビー。何が嬉しいだ。そんなこと言ってる場合じゃねェだろーが』
『ヨウ、八っつあん。短気は損気、元気に暢気に行こうぜ♪』
『バカか』八尾が苛立たしげに、その八本の尾を揺らす。『あとそのラップやめろ。ウゼェ!』
『オゥ……ヨゥ……』
 少しだけ、テンションが下がった。
 八尾との会話は、最初の頃は戸惑うばかりだったが、最近では余所事をしながらも普通に話せるようになった。今も、視界に名前が刀を振っているのを映しながら、心象風景では腕を組んだまま八尾を見ている。彼との会話は集中力が削がれはするが、八尾だってそれは解っているから、よほど間の悪い時には話し掛けてこない。今は大丈夫だと踏んだのだろう。正解だ。
『お前、振るなら振るでさっさとしてやれ。名前が可哀想だろーが』
『八尾の八っつあんはチビの名前の味方?』
 問い掛ければ、白い目で見られた。明らかに『茶化すんじゃねーよバカヤローコノヤロー』と言っている気がするが、そこはキラービー、華麗にシカトする。
 そして気まずい沈黙が流れた。
『……解ってねえな、八っつあんヨウ』
『あ? 何がだ』
 ビーが今居るのは演習場の脇、その中央で、名前は依然として素振りを続けている。しかし彼女もスタミナの限界に近付いているだろう。心外だと言われるかもしれないが、そろそろ止めてやるべきかもしれない。名前の根性も理解しているつもりだが、それとこれとは話が別だろう。
『問題は甚大ってことだ』
『……?』
 訝しげに、八尾がビーを見遣る。
「ヨウ、名前! そろそろ休憩、へろへろオーケー?」
 声を掛けてやると、名前はビーの方に振り向いた。きらりと汗が舞い、その顔は真っ赤に上気している。ふうふうと息を切らせているが、それでも彼女は「りょーかいですっ!」と元気に敬礼してみせた。ノリが良いのも、ビーが彼女を気に入っている理由の一つだろう。
 ライム帳を閉じ立ち上がり、彼女の方へ向かうと、名前の方もビーの元へ駆け寄ってきたところだった。彼女は何も言わなかったが、顔中に「褒めて褒めて」と書いてある。こういう時、ビーは少しだけ困る。やはり、カルイやオモイとは何かが違うのだ。それも、大きく。
「マシなビート刻むようになってきたじゃねえか。明日は刀、もう一本増やすか、チェケラッチョ」
「ま、マジですか、師匠っ!」
 うわあ、うわあと喜んでいる名前の顔が真っ赤なのは、偏に息切れしているからだ――なんて自己暗示はそろそろ効き目がなくなってきた。この子はオレのことを好きすぎる。本気で来られているからには、呑気ではいられない。ぐりぐりと、頭を捏ね繰り回してやる。今度は首まで真っ赤にして固まった。初心にも程があるんじゃなかろうか。これで名前がビーのことを何とも思っていなくて、単なる自意識過剰だったとしたら、立ち直れやしない。
「マジもマジ、大マジだ。そんなにまじまじ見詰めるない、明日も真面目にやるんだぜ♪」
 拳を差し出してやると、呆然としていた名前は我に返り、「ウィ――!」と拳を重ねた。まったくもって、単純な奴だ。心底嬉しそうな顔をして笑う名前を前に、ビーの口も弧を描いた。

『問題はよう、八っつあん』
 ぴょんぴょんと踊り出しそうな名前を見ながら、ビーが話し掛けた。どうやら流石の八尾もビーの考えの全ては解らないようで、やはり怪訝としている。
『名前がオレのストライクゾーンに入ってきたことだ。どうしよう』
『……』

 再び、八尾が白い目をしてビーを見た。『知るか』
『勝手にしやがれ、バカヤローが』
 吐き捨てるようにそう言った八尾は、愛想を尽かしたとでもいう風にそっぽを向いた。まったくつれない相棒だ。それでもこういうのを流行りのツンデレというのだから侮れない。
 先程八尾が言った通り、名前の気持ちにどう応えるのか、さっさと決めた方が良いのかもしれない。名前自身は気付いていないが、今のビーは彼女を騙している形になる。しかしこの師弟関係も、どうにも捨て難いわけで。このままどうにもやり辛い雰囲気の中修行を続けていくのか、それとも名前の気持ちを真っ向から受け止めるのか――腹を括るべきだろうか。

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