そして私は杖を取った

 私は自分が寮をのみならず、もはやホグワーツ全体で浮いた存在だと自覚している。勿論、そうしようと思ってやったわけではなかった。そういう風にわざと振る舞っている人間ももしかしたら居るのかもしれないが、生憎と私はそんな器用な人間ではない。
 マグル出身の私は、子供の頃から普通と違うという事を味わっていた。感情が高ぶった時――泣いて、喚いて、癇癪を起こしているような時だ――決まって不思議な事が起こった。魔力が暴走した結果だ。ある時は喧嘩をしていた男の子の口が糊で接着されたようになってしまい、病院沙汰になった。勿論私はそれが魔法だなんて知らなかったから、自分でも訳が解らず、周りの子達が自分を遠巻きにしているのを黙って受け入れるしかなかった。
 十一歳の誕生日、一人の女性が私の家を訪れた。タータンチェックを身に纏った女性は、きびきびとしていて、父親や母親にではなく、名前に用事があると言った。妙ちきりんな教材の押し売りでもなければ、怪しい宗教への勧誘でもなかった。彼女は数日前名前に届いていた悪戯じみた手紙の内容を裏付け、説明するために、わざわざマグルの格好をしてやってきたのだ。その女性が実は魔女であり、ホグワーツという学校の教師であり、そして名前自身もが魔女であると知ったのはこの時だった。
 私は勿論、喜んだ。今までに起こった不思議な事は、全て『魔法』だったのだ。魔法ならば仕方がない。最初は質の悪い悪戯だと思っていた両親も、名前がちゃんとした訓練を受ければ、自在に魔法を使えるようになるのだと聞いて、ホグワーツへの入学を応援した。マクゴナガル先生は友達の口がぴったりと閉じてしまった事や、割れてしまったお気に入りのマグカップが次の日何故か直っていた事などを矢継ぎ早に話した名前に、丁寧に答えてくれた。それは当たり前で、ごく普通な事なのだと。

 先生が言った事は確かに本当だった。マクゴナガル先生の最初の授業では、教卓が豚に変身したし、呪文学では重い辞書が軽々と宙を舞った。木の枝のような杖をちょいと振るだけで、何でもする事ができた。
 しかしホグワーツに入学した頃には既に、私には誰かの後ろからこっそり付いていく癖ができてしまっていた。何をしようにも人の半歩後ろだったし、人と目を合わす事も、話す事なんてもっとできなかった。人の目を避けるために私の前髪は自然と長くなったし、いつも俯いていた。何の取り柄もない地味な子、暗い子、陰気な子。それが私の評価であり、事実だった。マグル界に居た時と同じように、私は独りぽっちで毎日を過ごしていた。
 しかしそんな私に恋人というものができたらしい。一週間前の事だ。
 同じ寮、同い年、人気者のシリウス・ブラック。
 彼が突然告白してきたのだ。魔法薬学の授業が終わった後に。その日はいつも組を作ってくれる子が、風邪を引いていて居なかった。彼女が居ないとなると、私がクラス中で最後の一人になるのは目に見えていて、(長い前髪で誰にもそうは見えなかったろうが)久々に私は困惑していた。合同授業の相手であるスリザリン生からの嘲笑、グリフィンドール生達からの遠慮がちな視線、困り切ったように何度か此方を見る教師。仕方ないから一人で薬を作り始めようかとしたその時、彼が急に声を掛けてきたのだ。シリウス・ブラックが。
「余ってるのか? じゃ、僕とやろうぜ」
 返事も待たず、彼は私の所に来て、勝手に用意やら何やらをし始めた。私も慌てて材料を取りに行ったり、彼の持ってきた訳の解らない葉を刻んだりした。断っておくと、私が慌てたのは、あの生徒達の憧れの的が声を掛けてきたからではなく単に魔法薬学が苦手な科目だったからだ。深緑色になる筈の薬剤が蛍光色の黄緑になるなんて、私にとっては序の口だ。
 顔も良い上に頭も良い、どうやらそれは本当らしく、シリウスは手際よく調合していったし、解りやすく指示してくれたので、私は彼の言うことを聞いていればそれで良かった。
 私と彼の接点は正直な話、その時くらいしかなかった。そんな彼が何故私に交際を申し込んできたのか、全く持って訳が解らない。理解に苦しむ。会話をしたのなんてその時が初めてだったし、評判通りの整った顔を、目の色まではっきりと解るような距離で見たのも初めてだった。シリウス・ブラックは透き通るような灰色の目をしていた。
 その授業が終わる頃、うっかりしていたのかシリウスがハナハッカのエキスを零してしまった(後から知った事だが、どうもあれはわざとだったらしい。彼を気に入っているスラグホーンがシリウスから減点する筈もなく、代わりに名前が五点の減点を貰った。腹立たしい)。私は一緒に調合していた手前、無視する事は到底できなかったので、彼と一緒になってしゃがみ込み、急いで床や机を拭いた。気が付いた時には教室の中には二人だけになっていて、私は自分達が取り残されたのだと知った。
 やっぱり放っておいたら良かっただろうかと考えた時、シリウスが出し抜けに言ったのだ。好きだ、付き合ってくれと。彼が言っている意味が飲み込めず、私はうんともすんとも答える事ができなかった。よくよく見てみれば、彼の顔はほんのり赤かった。シリウスは何も言わない事を肯定だと受け取ったらしく、次の瞬間には二人の交際が決まっていた。
 名前は、彼が単にからかっているのだろうと何度も思った。地下牢教室で告白された時もそうだったし、一週間経った今でも半ばそう思っている。そうでなければ美食家の下手物食いじゃないか。彼は何をどう思って、こんな暗いだけの子と付き合おうだなんて思ったのか――名前は目の前の鏡台に映った自分を見た。我ながら、やはりパッとしない。人と目を合わさないでもすむようにと伸ばし始めた前髪は、名前の顔を暗く陰鬱に見せている。
 鏡に映る仏頂面の女の子は、やはり私だった。

 告白されて三日ほど経って、どうもからかわれているわけではないらしいと、私は薄々思い始めた。私一人をからかうにしては、演技に度が入りすぎている。いつまで経っても「どっきりでした」と種明かしされる気配はないし、彼といつも連んでいる三人組がそのどっきりを知らない筈がなかった。ジェームズ・ポッターを始めとした彼らも、シリウスの突然の交際に度肝を抜かれているように見えた。
 シリウスは私との交際を冗談に思われた時その都度訂正を入れていたし、私がクスクス笑いの的にされるといきり立った。その憤慨っぷりは、演技だったらばハリウッドスターになれるだろうという見事さだ。しかし何より、私が初めて「シリウス」と呼んだ時、あの時の顔こそが、どうやら本心からの告白だったらしいと私に思わせた。
 朝食から何から、普段の悪戯を控えめにしてまでベタベタとまとわりついてくるシリウスを見ながら、私は最終的にこいつブス専なんじゃなかろうかとまで考えるようになっていた。


 しかし三日ほど経って、シリウスが本気らしいと思い始めたのは私だけではなかった。
 周囲の生徒達も、シリウスが突然名前に首っ丈なのだとカミングアウトした事を認め始めていた。そして同時に、そんな彼を嘲笑いもしていた。何故名前・名字なのかと。名前が何かをして(惚れ薬とか、魅惑呪文とかだ)いるのではないかと考えた者もいたようだったが、それ以上に、シリウスを馬鹿にする者が多くいた。釣り合っていないだとか、趣味が悪いだとか、どうかしてしまったに違いないとか。その他色々な悪口が、彼に向けられて放たれていた。シリウスは、全く気にしていないようだった。
 一度、私は彼に尋ねていた。言われもない中傷を受けて、何とも思わないのかと。シリウスは他の奴が何と言おうと、自分が好きで付き合っているのだから仕方がないと言った。私は何も言えなくなり、それきりその話はお終いになった。

 同室の女の子達は皆出払っていて、部屋の中には私一人しか居なかった。薄暗い部屋の中、私はじっと鏡を見詰め続けていた。私がどうこう言われるのは、別にどうでも良かった。慣れている。しかし私が一緒にいるせいで、彼まであらぬ中傷を受けるのは嫌だった。
 いつの間にか、私はシリウスに恋をしていたのかもしれない。シリウスが仲間と賭けをしていて、私が惚れる方に賭けていたならまんまと成功だ。ざまはない。
 こうして、私は杖を取るに至ったのだ。



 私は部屋を出て、談話室へと向かった。部屋の中を横切る際、部屋の中が段々と静かになっていく事に気が付いていたが、全て無視した。シリウスに話し掛けた後、彼の周りにいたポッターやルーピン、ペティグリューらまで驚いた表情をするのも、やはり全て無視した。
「夕食も一緒に食べるんでしょう? ごめんね、防衛術でお腹が空いちゃって。今から行かない?」
 シリウスは彼らしからぬ間抜けな顔で、あんぐりと口を開けたまま、何も言わなかった。どうやら一時的に声が出なくなったらしい。視界を遮る前髪が無くなったおかげで、これは夢だろうかというような表情をしたシリウスが、私にははっきりと見えていた。
「似合わなくってごめんね」
「いや、違っ、そういうんじゃなくて」
 私が自暴自棄にそう言うと、シリウスはすぐに否定した。
 静まり返った談話室の中、驚いた拍子に立ち上がったシリウスはやがて、「よく似合ってるよ」とはっきり言った。
「ありがとう」
 元々、誰かと話したりするのは苦手だった。話を合わす事なんかもだ。私にはコミュニケーション能力が欠如している。しかし、何故だかシリウスの前でなら、私は自然に笑顔になる事ができた。
 ぎこちなくではあるが、微笑んだ私を見て、シリウスは再び驚いたように目を見開いたものの、やがて嬉しそうににっこりと笑った。


 不思議なことに、シリウスと私という不釣り合いな組み合わせのカップルは、未だに破局せずに済んでいる。告白されて一年以上が経った今、私は以前では考えられなくなるくらいお洒落に気を遣うようになっていた。積極的とは行かないものの、他人とも接するようになっていたし、驚いたことに友達のようなものまで出来始めていた。もっとも、それでも暗い性格は時々顔を見せたが、それでも私は前より社交的に、明るくなっていた。
「何、君、俺の事そんな風に思ってたの」
 シリウスがブス専なんじゃないかと思った事もあったと告白すると、彼は怒りたいやら呆れたいやら、複雑な表情をしていた。此方の会話が聞こえていたのだろうジェームズが、向こうの方で腹を捩らんばかりに笑っている。「うっせえぞ眼鏡!」と、シリウスはまだらに顔を赤らめながら怒鳴っていた。名前までが小さく笑っている事に気が付いたらしく、シリウスはばつの悪そうな顔をして、どっかりとソファにもたれ掛かった。

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