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 鬱蒼と木が生い茂るデルタ地区、そこに名前は居た。密林の中、あちらこちらから枝だの蔦だのが飛び出しており、体中傷だらけだ。偵察に行けというコンボイの命令ではあるが、次からは是非、違う人にやってもらいたいものだ。
 確かに自分はシカのビースト戦士だが、かと言って自然大好き!という訳ではない。根っからの都会っ子なのだ。鉄と鋼だけのセイバートロン星にさっさと帰りたい。原生林を殆ど当てもなく彷徨いながら、名前はそう思った。
「ていうかチータスに任せれば良いじゃない、あいつ密林巡視員なんだからさァ」
「そいつは困るのお。わしゃ男とランデブーする趣味は無いけえ」
 名前がバッと振り返ったその先に、ランページが立っていた。自分が熱帯林の暑さにやられてしまったのか、それともその男がよっぽど抜き足で迫ってきていたのかは解らないが、全く気配に気付かなかった。銃を構えるものの時は既に遅く、すぐにランページに撃ち落とされた。
「カニが森ん中歩いて良いと思ってるわけ?」
 もう一丁の銃を手にするが、それも次の瞬間には撃ち落とされる。
「その質問は立派な人権――いやいやいや――蟹権の侵害じゃあ!」
 彼のお決まりの台詞、なんならァ!という掛け声と共に、名前は吹き飛ばされた。


「――あー……あー、こちら名前ちゃん。サイバトロン基地、聞こえてますかー? お願い返事して。ごめんコンボイ、昨日冷蔵庫に入ってたバナナ食べたのあたし。謝るからお願い、応答願いまーす」
 近距離でまともにミサイルを喰らってしまった為、名前の体はぼろぼろだった。立ち上がろうとするも、運動回路がやられてしまっているのか、脚は危なっかしく痙攣するだけで立ち上がる事はできなかった。それどころか仰向けに倒れたままで、まともに動く事すらままならない。左足に仕込んである隠しナイフにも手は届かなかった。
 胸部の無線機に話し掛けるものの、誰からの応答もなかった。
「おうおう、無様じゃのう姉ちゃん」ゆっくりと近寄ってきたランページは名前の顔を覗き込み、にやにやと笑いながら言う。
 ――最っ悪。名前は心の中で呟いた。
 ランページはそのまま名前の首元を掴み、宙に吊り上げた。動けない名前はされるがままだ。さきほど対峙した時にも思いはしたのだが、改めて体格差を感じないわけにはいかなかった。名前は小柄な方(ラットルの次に小さい)だし、目の前にいるランページは、このビーストウォーズに参加しているトランスフォーマーの中でも指折りの大男だ。普通に立っている時は、名前はこの男の顔を見る為に、首を恐ろしく上に向けなければならない。もっとも、持ち上げられている今の状態では、首を動かさずとも視線はばっちりと合うのだが。
「おーねーがーい、サイバトロン基地応答してー。この際チーちゃんでもパタパタ犬でもクモ女でも良いから――こーの薄情者どもめ。か弱い女の子を見捨てて良いと思ってんの」
 無線からはうんともすんとも聞こえず、名前は目の前にいるランページの存在を抹消しながら一人毒突いた。
「そいつは酷い被害妄想じゃあ。此処は妨害電波ゾーンじゃけえのお」
「……成る程ね」名前は苦々しく呟いた。
 どうりで、誰からの返事も無いわけだ。
 自分で気が付かない内に、デストロンの陣地にまで入り込んでしまっていたらしい。もしくはサイバトロンが把握していない、新しい妨害電波塔が建ったのか。どちらにしろ、正義の味方の登場は期待できないだろう。

「可哀想にのう――」ぐすぐす、と、ランページがわざとらしい嘘泣きをしながら言う。「――わしが目一杯可愛がっちゃるけえね、心配しなや」
「冗っ談でしょ、馬鹿ガニ。やるならさっさとやんなさいよ」
 これ以上生き恥を晒すなんてごめんだ。ミサイルでもランチャーでも、とっととぶち込んで欲しい。ランページは嘘泣きを止め、名前の顔を覗き込む。今の二人の間には腕一本の距離しか存在しない為、恐ろしく顔が近い。目から怪光線出せれば良いのに、と名前はこの時激しく思った。
「じゃけえ言うたじゃろ、わしが可愛がっちゃるってのお。楽しい楽しい大人の時間じゃあ」
「――……冗談でしょ」思わず名前は呟いた。
 しかしランページの目にはぎらぎらと危険な光が宿っていて、名前は初めて恐怖した。
「女キャラがあたしとブラックウィドーしか居ないからって……」
「なんじゃバレた?」なはは、とランページは笑う。
 しかし途端に銃を突き付けられ、名前は体を硬直させなければならなかった。名前は体が震え出すのを渾身の意思で我慢していたが、それが顔に出たのだろう、ランページが見透かしたように言った。
「ほれほれどーした。ガタガタガタガタ震えて、恐がってもええんじゃぞ――恐がれ恐がれ、それがわしの力んなる。人の恐怖は密の味じゃあ」
「何が――」
 密の味よ、カニのくせに。という名前の言葉は、尻切れトンボに終わった。ランページに口を塞がれたからだ。彼の口は密の味どころか、思いの外、カニの味もしなかった。押し返そうとするものの、ボロボロの今の状態では少しも力が籠もらず、ランページはぴくりとも動かない。
 頭部をがっちりと固定され、角度を変えて何度も口付けられる間、名前には憎々しげに睨み付ける事しか出来なかった。そしてその様を面白そうに見ているこの男に、心の底から腹が立つ。

 不意に接着されていた口が離れたと思ったら、ランページが視界から消えた。後方からの攻撃に吹き飛ばされたのだ。爆発音と共に、彼の叫び声も聞こえる。急に自由の身になった名前は思い切り尻餅を付き、げほげほと咽せ込んだ。
「そこまでだX。我輩の気配にも気付かんとは、間が抜けているにも程がある」
 木立の中からゆらりと姿を現したのは、こばんざめたろうを構えたデプスチャージだった。
「デプスチャージ、最っ高!」
 名前は感極まってそう叫んだが、デプスチャージはちらりと一瞥を寄越しただけで、すぐにランページの方に向き直った。衝撃から解放されたランページは今まさに立ち上がっている。
「……おんどれはまたわしの楽しみを奪いおってからに! 何様のつもりじゃあ!」
「ええい、ほざくな。今日こそ貴様の息の根を止めてやる」
「おどれはどれだけわしの事――」
 デプスチャージが一体何なのか、ランページが言い切る前に、目にも留まらぬ速さで撃ち出された弾丸によってまたも吹き飛ばされた。名前が唖然としているのにも構わず、デプスチャージは無言で撃ち続けた。
「あだだだだだだ――あだっ――おまっ、人の台詞遮ってまで銃ぶっ放してええと――あだっ」
 デプスチャージは全く聞く耳を持たず、それどころかどこに隠し持っていたのか、大型のミサイル銃まで取り出した。ランページはぎょっと目を見開いてデプスチャージを見た。何故だか今の彼に、まったくの容赦がないのだ。名前でも背筋が寒くなる程だった。ランページは異様な雰囲気を纏っているデプスチャージに恐れを成したのか、今日のところは退散じゃあ!と言い残し、一目散に駆け出した。
「ええい、待たんかランページ!」
 デプスチャージはそう叫ぶと、後ろを少しも振り返らず、彼の後を追って森の奥へと消えた。一人残された名前は呆然としたまま、エイとカニが消えた方向を見詰めていた。


 座り込んだままの名前の元へとデプスチャージが帰ってきたのは、それから暫くしてからだった。段々と迫ってくる足音にびくびくしていたのだが、一定のリズム音と同時にいーとーまきまき、と口ずさむ声が聞こえてきたので、名前はそっと息を吐いた。その彼の声の調子が普段より沈んでいたので、ランページに逃げられたのだと知れた。
 名前は姿を見せたデプスチャージが、全くの無言で自分を見つめ続ける事を疑問に思っていた。何か言ってくれても良い筈だ。大丈夫か、とか。
「何、どうしたのデプちゃん」
 誰がデプちゃんだ、と彼はすぐさま突っ込んだが、いつものような冷静さが感じられない。
「名前――貴様先程、ランページと何をしていた?」
「……何って……キスされてたんだけど、無理矢理」
 ――乙女の傷を抉って楽しいのか、このストーカー男!
 助けてもらった手前、名前は口には出さなかったものの、顔が若干引きつる事は止められなかった。デプスチャージは呟くような声で、「そうか」と言った。元からデプスチャージとは仲が良い訳ではない為、彼が何を考えているのか名前には全く解らなかった。
「ねえ、出来たら立たせてくれると嬉しいんだけど。運動回路がやられちゃったのよ」
「……ああ」
 デプスチャージはすっと腕を差し出し、名前を引っ張り起こした。
「ありが――」お礼を言い切る事が出来なかった。
 一瞬、名前は何が起きているのか理解できなかった。デプスチャージのそれはランページの乱暴なものとは違い、同じように息ができなくなったものの(こいつら、鰓呼吸してやがる!)ひどく優しかった。気遣うような口付けだった。

「な――何なわけ?」
「……上書きだ」
 恐る恐る問い掛けた名前の気を知ってか知らずか、デプスチャージはぼそりとそう答えた。彼はおもむろにビークルモードになり、一人で基地へと戻ろうとしたので、名前は慌ててその背中に乗せてもらった。サイバトロン基地への長い空中散歩の間、デプスチャージが一人、糸巻きの歌を歌い続けていた。

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