オレンジ味のマドレーヌ

「出来たよ」
 俺はいつものように、エルカちゃんにお菓子を焼いた。そうすれば、エルカちゃんはいつも微笑んで俺を迎えてくれるのだ。たかだか焼き菓子などに頼らなければならないのは情けないことだったが、情けなかろうと何だろうと、俺は彼女と穏やかな毎日を送れる事ができればそれで良かった。
 今日は、オレンジ味のマドレーヌだ。


 昔から、俺とエルカちゃんは一緒だった。何をするにも一緒だったのだ。そう、俺達は幼馴染みだった。
「……美味しそ」
 エルカちゃんの目は弧を描き、俺は其れを嬉しく思った。
 エルカちゃんの細い指が、俺の焼いたオレンジ味のマドレーヌをつまむ。ほんのりと橙色に色付いたそれは、決められた順を辿り彼女の口へと運ばれていく。聊か不作法である事は少しも気にならない。マドレーヌが咀嚼されていくたび、俺の心の内が高揚していく。しかし何故、女性というものは砂糖の味がするものを好むのだろうか。理解はできなかったが、それらがエルカちゃんを喜ばせるのなら関係なかった。
 幸せそうに口を動かすエルカちゃんをじいと眺めながら、俺は何度目とも解らないような問い掛けを口にした。

「エルカちゃん」
「うん?」
「君は魔女で、僕は武器だ」
「そうね」
 エルカちゃんは聞く耳を持たなかった。彼女は今、俺が作ったオレンジ味のマドレーヌに夢中なのだ。


 俺は、愛してる女の子の為なら何でも出来るよ。
 神父らしく(実際に神父である彼にこの表現は不適切だろうが、普段の奴はそれほど神父らしくない)相談に乗りますよと笑ったジャスティンに先の言葉を告げたら、危うく殴られそうになった。神父チョップだった。――死神様の言葉を借りるとするならば、俺のエルカちゃんに対する気持ちは狂気、と言えるかもしれなかった。

 エルカちゃんの淡い水色の髪が、さらさらと風に揺れていた。絹糸のようなそれに思わず手を伸ばしかけ、そして止める。そんな俺の所作が目に付いたのだろう、エルカちゃんは蠱惑的に微笑んだ。

 ――俺は彼女の為になら、何でも出来る。
 実際、エルカちゃんの為にメデューサの事を死武専の誰かにチクったりなどしなかったし、デス・シティーの見取り図を彼女らに渡し、侵入に最適なルートを示したのは俺だ。
 メデューサが、俺にひっそりと言った事があった。――名前くん、あなた、馬鹿みたいよ。


 エルカちゃんが二つ目の、俺が焼いたオレンジ味のマドレーヌを口に運んだ。彼女の綻んだ顔が、俺はとても好きだった。
「僕は、魔女の魂をあと一つ食べればデスサイズになれるんだよ」

 エルカちゃんが少しだけ驚いたように俺を見たものの、特に気にした風もなく二つ目のマドレーヌに視線を戻した。そしてそのまま残りを口の中に入れる。自分の指を舐めるエルカちゃんは、俺の目にはとても艶めかしく映った。
 彼女は二つ目のオレンジ味のマドレーヌを食べ終えた後に、口を開いた。
「名前は名前じゃないの」

 俺は、「そうだね」と返した。
 前にも同じような受け答えをした事があった。デス・シティーの俺の部屋に二人で居たとき、僕も男なんだよと言った時も、エルカちゃんはそう言った。そして俺はそうだねと返したのだ。



「せめて、あの魔眼にはあまり近付かないでくれるかな」
 俺が後片付けをしていると、エルカちゃんはいつものように「御馳走様」と言った。俺はそれにいつものように、「どういたしまして」と答える。
「魔眼って……フリーの事?」
「そうだよ」
 立ち上がった俺は、未だ座っているエルカちゃんよりも遙かに身長があった。
 やがて、にっこりと、エルカちゃんは笑った。「次、ロールケーキ作ってきてくれたら、考えてあげる」

 ――上目遣いで言われたそれに、俺は黙って頷いた。
 俺は一生、エルカちゃんに逆らうことは出来ないのだろう。もちろんそんな気はないけれど、彼女と別れた後、デス・シティーを目指し、俺は歩き出した。




 聖職者の前で言うことですか。
 殴りますよ、と続けた同期の男に、俺はもう殴ってるだろう、と答えた。ジャスティン=ロウとの付き合いは、死武専の中で一番長い。おかげでその言動の凡そ全てが把握出来る。ギロチンで武装された腕で殴られてはたまったもんじゃない。避け切れて良かった。
 ジャスティンは溜息混じりに俺に告げた。そんなんじゃ、いつか孤立しますよ。

 かの神父殿は友人より恋人を取る男を皮肉って言ったのだろうが、残念ながら(エルカちゃんは恋人ではないし、)俺の場合は既に孤立している。一体どこの世界に、魔女に命を捧げる武器がいるというのか。俺の一番は昔からエルカちゃんであるし、俺はエルカちゃんの為だけに生きてきた。それはこれからも変わらないのだ。俺は、エルカちゃんの望む事なら何だってしてやる。例え、それが狂気への道だろうと。
 あなた馬鹿みたいよ。魔女が俺をなんと言おうと知ったことか。
 いつか孤立しますよ。残念だがジャスティン。俺は一人だろうが構わない。


 ふと、先程のエルカちゃんの言った事を思い出した。次はロールケーキだ。

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