優しさのつるぎで僕を殺して

 これといって特別な意味があるわけではなかった、名前が口にしたその言葉には。
「心操くんの“個性”、洗脳なんだ? すごーい、初めて聞いたー」



 たった今家の呼び鈴を鳴らしたのがクラスメイトである名字名前だと知ると、心操人使は心底迷惑そうな顔をした。名前はというとそんな彼に気付かなかったかのような、いつもと同じ馬鹿っぽい笑みを浮かべていたわけだが、内心で不思議に思っていた。確かに心操と名前は親友同士という間柄でこそなかったが、そこそこ仲は良かった筈だ。単に虫の居所が悪いわけではなさそうだと、名前は心操の心境を正しく理解した。
 名前の“個性”は読心、相手の心を読むことができるメンタル系の個性だ。近くに居る者ならば凡その感情は把握できるし、やろうと思えば内心で考えたことを全て読み解ける。世渡りには重宝する“個性”だが、勝手に心の声が聞こえたり、他人の感情が流れ込んで来たりするのが玉に瑕だ。
 そして今、心操の心を垣間見てみれば、確かに名前に帰って欲しがっているようだった。昨日今日で名前のことを嫌いになった、というわけではないらしいが、現時点で名前の事を迷惑がっているのは事実らしい。もう少し力を込めれば何故そう考えているのかも解るわけだが、名前だって好き好んでプライバシーの侵害をしたいわけではない。
 彼は名前の“個性”を知らなかったが、同じ精神系の個性ということもあって、名前は心操に対し、一方的な親しみを覚えている。彼は友達だ。赤の他人の心を読むのは嫌だが、友達の心を読むのはもっと嫌だ。
 ――まあ、相手の心が読めるからといって、それを加味して言葉を選ぶかというと、まったく別の問題になるわけだが。
「やほー、元気?」
 名前がそうおちゃらけて見せると、心操は眉を寄せた。「何で居るの、おまえ」
「随分ご挨拶じゃーん、せっかく今週分の授業纏めてきてあげたのにさ」
 あとプリントもね、と付け足す。
「いや、俺、謹慎してんだけど」
「ジッとしてなきゃいけないのは心操くんであって私じゃないし、そうすると私が心操くん家行くのに問題はないわけじゃん?」
 心操は不機嫌そうに名前を見ていたものの、やがて半身を脇へ寄せた。漸く家に上げてくれるつもりになったらしい。学級委員長がそれじゃ駄目だろ、とぶつくさと言ったのが聞こえた。細かい事は棚にでも上げておいて欲しい。

 名前がわざわざ自宅謹慎中の心操の家にやって来たのには理由があった。何も授業内容を纏めたルーズリーフを届ける為でも、配布されたプリントを渡す為でもない。仮にそれらが目的だったとしたら、心操が名前を出迎えに玄関へ来た時点で渡してしまえば良いのだし、何ならポストにでも入れておけばいい。
 “個性”が読心なのは名前であって、心操には名前の気持ちなどまんじりとも解らない筈だったが、それでも薄々察しているようだった。家に上げてくれたのがその証拠だろう。どう切り出そうかなと考えあぐねていた名前だったが、意外にもそれは心操の方から切り出された。プリントを受け取った体勢のまま、彼は小さく言った。「どうせ、俺がバカな事したとでも思ってるんだろ」

「……まあね」名前がそう言って少し笑うと、心操は微かに眉を顰めた。
 ――心操人使が自宅謹慎処分になった、と名前が聞いたのは、全てが終わった後だった。彼が周りに居た大勢の生徒に“個性”を使った時、名前は友達と仲の良い友達と一緒にマックで談笑している最中だった。学級委員の仕事を暫く一人でこなさなければならないと知ったのは、次の日になってからの事だった。
「私の悪口言われたからだって聞いたけど」名前が言った。
 心操は何も言わなかった。どうやら否定する気も無いらしい。どうせ知れてしまう事だと思っているのかもしれない。もっとも名前は他の生徒から聞いて知っていたので(名前の場合“聞いて知った”というか、“心の耳をそばだてた結果知った”という感じだが)、特別驚きはしなかった。
「ちょっとお馬鹿さんだったんじゃん? 折角体育祭のリザルト次第でヒーロー科編入もあるかもって聞いたばっかなのにさ。体育祭前に除籍とか笑えないし……体育祭自体参加できなくなる可能性だってあったでしょ」
 名前がそう口にすれば、心操は小さな声で「うるさいな」と呟いた。
「あ、逆ギレだ?」
「別に、キレてはないよ」
「ウソ、だって眉間凄いもん」
 名前がにやっと笑って自身の眉間を指し示せば、心操のそれはますます皺を寄せた。
「自分のならまだしも、他人の悪口でキレるとかさあ……チョー人生損しそうだよね。いや、すごい事だなとは思うよ? 心操くんの良い所だなーって思うし、私そんなの真似できないし。ま、流石ヒーロー志望、とも思うけどさ。でもさあそれで心操くんが編入できないとかになると違ってくるじゃん、折角のチャンスなのにさあ」
「心操くん、ヒーロー科志望なんでしょ? だったら私なんかの事構ってないで――」名前が言葉を途切れさせ、あまつさえぼろぼろと涙をこぼし始めたのは、心操が厳しい顔付きをしていたからでは決してなかった。


 押し寄せてきたのは、強い感情だった。「俺がどういう気持ちだったのか、知らない癖に」
 心操は泣いてはいなかった。むしろ泣いているのは名前で、心操本人は悲痛な表情を浮かべているに留まっていた。しかしながら、彼の心は悲しい悲しいと大声で泣き叫んでいた。名前に理解されなくて悲しい、悲しいと。
「名字さ、言っただろ。最初の紹介の時にさ」心操は言った。「あの時俺がどういう気持ちだったか、おまえ、知らないだろ」
 ――心操くんの“個性”、洗脳なんだ? すごーい、初めて聞いたー。
 名前が口にしたその言葉。特に意味があるわけではなかった――いや、確かに、その言葉が心操にとってどういう意味を持ってくるかは知っているつもりだった。しかし、名前はただただ単純に、打算でそれを口にしたのだ。
「俺があの時、どれだけ――」心操くんの“個性”、洗脳なんだ? すごーい、初めて聞いたー。「――どれだけ……」
「どれだけ嬉しかったかなんて、知らないんだろ、名字は」
 心操くんの“個性”、洗脳なんだ? すごーい、初めて聞いたー。羨ましいなー、超ヒーロー向きの個性じゃん。

 初めて顔を合わせた時から、彼が自分の“個性”に強いコンプレックスを抱いていたのは解っていた。彼はクラスで最初の自己紹介の時、“個性”の話題が出るのを良く思っていなかった。
 そりゃそうだ、名前だってそれは同じなのだから。
 しかし、彼は名前と違い“個性”を隠していない。だからこそ名前はそんな彼に一方的に親近感を抱き、同時にひどく尊敬した。そして、彼の“個性”がヒーロー向きだと口にした。
 彼の“個性”は洗脳と名が付けられている。それだけ聞くとどちらかというと敵寄りの能力に思えてしまい、実際そのせいで色々と苦い思いをしてきたようだった。しかしながら有無を言わさず相手の行動を操るその力は、敵と戦うヒーローにとってもっとも必要なものだ。“個性”を用いて悪事を働く敵に心操の“個性”を上手く使うことができれば、被害を出すことなく敵を無力化できるだろう。
 全ては第一印象を良くしたいが為の言葉だった。心の声が聞こえてしまうという性質上、人から良く思われたいと強く願うのは当然の事だった。だから心操がそんな風に嬉しがる必要はまったくないし、名前のことでこんな不利益を被る必要はまったくないのだ。


 心操の気にアテられて涙を流していた名前だったが、彼は自分の顔が怖いから名前が泣いているのだと思ったらしい。彼の感情の昂ぶりは収まっていき、悲しさの波も段々と引いていく。
 ばつの悪そうな顔で「悪かった」とか、「ちょっと脅かし過ぎた」などと口にする心操。もう私なんかの事で怒ったりしないでねと名前が微かに笑みを浮かべてみせると、心操は返事をしなかった。それでも心は雄弁で、結局のところ彼はどこまでもヒーローと呼ぶに相応しい男だった。

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