18

 雄英での生活もいくらか慣れてきたところだったが、名前は未だ職員室に足を踏み入れたことがなかった。その大きな扉を前に、少しも躊躇しないと言ったら嘘になる。目当ての人物が此処に居るのかは解らないし、そもそもこんな事を頼んで良いのかも解らない。しかしながら思い立ったが吉日というし、“体育祭”を前にじっとなどしていられなかった。名前の脳裏に、小馬鹿にしたような笑みを張り付けた心操の顔が浮かぶ。
 苛立ちを振り払うように勢いよく顔を上げ、職員室への一歩を踏み出した名前だったが、いきなり出鼻を挫かれた。ノックし、「失礼します!」と声を張り上げて戸を開けたのは良かったが(若干声が裏返った)、職員室に入ろうとした矢先、ちょうど外へ出ようとしていた人物と正面衝突したからだ。名前は「わぶっ!」と間抜けな声を出し、相手は「おっと……」と呟きよろけた名前を支えた。
「スナイプ先生!」
「おいおい元気だな。大丈夫か」
 鼻ぶつけなかったかと小首を傾げるスナイプに、大丈夫ですと頷く。思い切りぶつけた鼻は痛かったが、血は出ていないようだし(鼻に手をやったらスナイプに笑われた)何ともない。元気なのは良いことだぜとスナイプは名前の頭をぽんぽんと撫ぜ、それからちょっと体をずらした。
「確か1−Aだったろ? イレイザーに用事か?」
 スナイプが指し示した先には確かに名前の担任である相澤が座っていた。此方の様子を伺っていたのだろうか、彼は無言で「俺に何か用だったか」と自身に指を向ける。慌てて首を振ると、相澤はさっさと自分の仕事に戻っていった。彼が包帯姿のままデスクに座っている様は、見ていて心が痛くなる。
「ええとその、おに……13号先生に――」
 先生今日来てるんですか、と尋ねようとした名前だったが、スナイプが「13号か!」と早々に口にした為、その心配は無用となった。13号ならあっちだぜ、とスナイプが指さした先に、確かに丸いシルエットがあった。

「先生……」
「名前?」
 歩み寄った名前は、血の繋がった兄に何と言えば良いのか解らなかった。休憩しているのだろうか、あくまでコスチュームを脱がずに栄養剤を飲んでいるのはかなり異様な光景だったし、その上で膨大な資料や設計図を山積みにしているのだから性質が悪い。聞けば、USJの警備システムを見直しているのだという。ワーカーホリックか。
 名前は13号を白い目で見ざるを得なかった。「休んでねって、昨日言ったのに」
「いやあ……」
 13号は苦笑し、それから声を小さくして呟いた。「先輩が出勤しているのに、僕だけ休むわけにもいかないよ……」


 名前こそどうしたんだいと尋ねる13号は、いつもの兄と大差なかった。一昨日の敵襲撃でコスチュームは壊れた筈だったが、どうやら代えがあったらしい。顔色一つ解らないというのは聊か問題があるのではないか。大怪我を負っている筈だというのに、けろりとしているように見える。
「名前?」13号は首を傾げた。
「名前名前って……先生、生徒のこと名字で呼んでなかった?」
「妹を姓で呼ぶのも変じゃないか」13号はしれっと言った。「むしろ、名前が僕のことを先生と呼ぶのも変な話でしょ?」
 名前が口を尖らせると、13号は微かに笑ったらしかった。コスチュームが小刻みに震えている。二人の様子を伺っているのか、他の教師陣――正しくは講師として雇われているプロのヒーロー達――が微笑ましげに此方を見ているのも居た堪れない。
「あのさ、13号――」13号が仕事に戻ろうとしたので、名前は出掛った言葉を方向転換せざるを得なかった。「――お兄ちゃんに報告が一つと、お願いが一つあって」
「報告とお願い?」
 問い返した13号に、名前は頷く。
「何となく予想はつくけど……じゃあまず報告の方から聞こうか」
「あ、うん」

 名前は事の経緯を説明した。もっとも、名前が自分で気が付いたわけではないので、轟に言われたことを繰り返しているだけだったが。――これまでに“個性”を扱う授業は幾度かあったという事。“個性”が圧力では説明が付かない点がいくつか見受けられたという事。極め付けに、名前がブラックホールを“個性”に持つ13号の妹であるという事。
「――……まあ、確かに」13号が言った。「加圧、というのはお粗末な個性名だと思ってはいたけれど」
「いたんだ……」
 13号は笑った。「“個性”というのは、九割方親の“個性”を引き継ぐものなんだ。どちらか一方の“個性”をそのまま受け継ぐか、両親の“個性”の合わさった“個性”を持つか、程度の違いはあるけどね。数世代前に突然現れた“個性”だけれど、これらは優性遺伝だ。ごく稀に生まれる無個性と、突発的に親と違う“個性”を持った子が生まれる確率、それらを合わせて、一割」
 僕は生物の教諭じゃないので、詳しいことは知らないけれどと付け加えた上で、13号は言葉を続ける。
「僕の“個性”はブラックホール――父はあの通り、対象が人の“個性”だろうと機械であろうと、触れたものの能力を強めるという“個性”だ。母は特別な力を持っていないように見えるけれど、恐らく母が、名前と同じように重力を加算する“個性”なんだろうね。ブラックホールというのは、強すぎる重力が行き場を失くした、いわば力の塊だ。僕の場合は父の“個性”が母の“個性”を強めたことで発現し、名前の場合は受け継いだ母の“個性”を父の“個性”が後押ししている形で発現したんだろうね」
「恐らく、名前の“個性”は物体に圧力で負荷を掛けることではなく、物体が持つ引力そのものを強めること」
 重力だって大きく見れば圧力なんだから、あながち間違ってはいないけど、時間のある時にでも“個性”の更新へ行った方が良いだろうねと13号は言葉を結んだ。


「それで、お願いというのは?」
「あ、うん」
 呆気に取られている名前を促すようにして、13号は尋ねた。“それ”を口にすると13号はひどく渋った様子だったが、偶然通り掛かった校長(鼠なのか犬なのか熊なのか、さっぱり判断が付かない)の一存により、許可が下りる次第となった。曰く、「ウチは自由が売りの校風、生徒の意思は尊重するのが決まりさ!」らしい。

 名前が出ていった後、近くで様子を伺っていたらしいセメントスが「いやぁ」と13号に声を掛けた。「どんなもんかと思っていたけど、存外似ているね」
「そうでしょうか」
 頷いたのはセメントスだけではない。良いねェ重力、最高にCOOLだぜと笑ったのはプレゼント・マイクだ。
「クールで済めばいいんですけどね」
「Why?」
 黙り込んだ13号に代わり、校長が言葉を紡いだ。彼は13号の背を軽く叩きながら口にする。「問題は、穴黒くんの“個性”が元からある重力を強めることだけじゃなく、物体に新たに発生させることも可能ってことさ。しかも、彼女はそれを殆ど任意で行える。強力な“個性”が生徒らにどんな影響を及ぼすかは、君らも知っての通りだろ」
「生徒が正しい道を歩めるように導く事、それが私達教師の仕事であり、私達大人の義務なのさ」

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