17

 あっけらかんと笑っている上鳴を前に、この日あった出来事がすべて吹き飛んだ。何を言われたのか、それを理解するのにすら暫く時間がかかった。何好きなん?と続けて尋ねる上鳴に、漸く事態を呑み込む。
 しかしながらそれに応えられるかはまた別の問題で、名前は何を言うこともできなかった。「今日これから暇?」とか、「一緒に対策練ろうぜ、体育祭のさ」とか、ぺらぺら話し続けている上鳴。このまま拒否しなければ、本当にどこかへ行くことになるんじゃないか、と思い始めた名前(もちろん、それが嫌だというわけではなく)を救けたのは、同じくA組のクラスメイトだった。もっとも蛙吹でもなければ、芦戸でもない。
「悪いな上鳴、穴黒は俺と用があるんでな」

 がっしりと肩を掴まれたまま、名前は轟を見遣った。当然、轟と何かを約束していたわけではなかった。しかしながら、「な、そうだよな穴黒」と有無を言わさず尋ねる同級生に、名前は頷くしかない。初めて知ったが、オッドアイというのは存外迫力がある。
 結果的に上鳴はアッ、ハイと頷いたし、蛙吹達には親指を立てられた。


 半ば強引に手を引かれ連れてこられたのは、人気の少ない特別教室棟だった。普通科は別として、基本的に午後の時間帯に専門科目が割り振られている雄英高校では、理科室やら美術室やらといった特別教室は使用頻度が少ないのだ。轟はパッと手を離すと、名前に向き直った。熱心な生徒が練習しているのだろう、微かに金管楽器の音が聞こえてくる。
 困惑気味にありがとうと呟けば、轟は微かに目を細め、「あんだけ啖呵切っといて、ありゃねぇだろう」と呆れたように言った。
「あー、でも、その……」
「クラスメイトだから遠慮したのか?」轟は眉を上げた。「仲良しごっこじゃねぇんだぞ」
 名前が曖昧に笑えば、轟は小さく嘆息した。

 俺と用がある――轟の言ったその言葉は、あの場を取り繕う為の出任せに過ぎなかった筈だ。しかしながら、あながち嘘でもなかったらしい。そうでなければ、わざわざ人目を避けてこんな場所まで来たりはしないだろう。
 用とは何か。そう尋ねれば、轟は微かに目を細めた。
「お前、13号先生の妹なんだって?」


 てっきり体育祭のことか、でなければ今日の授業の事でも聞かれるのかと思っていた名前は、突然出てきた兄のヒーロー名に虚を衝かれた。何も言わない名前を見て、「違えのか」と僅かに首を傾げる轟。名前は慌てて頷く。
「うん、そうだよ」
「似て……るかどうかは解らねぇな。13号先生、顔隠してるから」
 真面目な顔で言い放たれたそれが、轟渾身のジョークなのかどうか、名前には判断が付かなかった。

 轟は言った。「なあ、身内にヒーローが居るってのは、どんな気分だ?」
 名前は目を瞬かせた。身内にヒーローが居るのが、どんな気分か――別に、わざわざ聞かなくても解るだろうに。そうは思いもしたが、昼間の芦戸とのやりとりが思い返された。名前にとってヒーローとは身近な存在で、兄がヒーローであることは当たり前のことだったが、必ずしも他の人もそうだというわけではない。逆に、芦戸に言われなければ、名前だって兄に何かを聞くということは考え付かなかっただろう。
「別に、普通だよ」
「普通?」
 不思議そうに尋ね返した轟に、何と答えるべきか暫し悩んだ。
「新聞とかネットで話題になってたりすると驚くし、何日も帰ってこない事も多くて心配もするけど……でも普通だよ」
「13号先生はどうか知らねぇが、周りから何か言われたりとかしねぇのか」
「何かって?」
 轟は一瞬、目を逸らした。「お前もヒーローになれとか、そういう事だよ」

 名前も少しばかり目を逸らした。轟は今や、名前の挙動の一つ一つに目を凝らしているようだった。
「言われないって言ったら嘘になるけど……でも、お兄ちゃんが私がヒーローになるの反対してたから、あんまり言われなかったかなあ」
「先生が?」不思議そうに問い返す轟。
「ヒーローってやっぱり危ないことも多いから、私にして欲しくなかったんだって」
 でも今は応援してくれてるよと名前は付け足した。轟は暫く黙っていたが、やがて「大事にされてんだな」と肩を揺らした。


「俺の」轟が言った。「父親も、ヒーローしてるんだ」
 お父さんが?と問い返せば、轟は渋々と言った調子で頷いた。
「エンデヴァーって知ってるか、燃焼系ヒーローの」
 何でもないことを告げるように言った轟に、名前は強く頷いた。エンデヴァー。オールマイトに次ぐ実力を持つと言われるヒーローで、その事件解決数は史上最多の記録を叩き出している。テレビでその顔を見ない日は無いし、ヒーローにさほど詳しくない名前ですら知っている、超著名なヒーローだ。
 そうか、轟くんはエンデヴァーの息子なのか。そんな事を思いながら、「“個性”半冷半燃だもんね。もしかして、お母さんが冷凍系の“個性”だったりする?」と名前は口にした。すると轟が呆れたように、もしくは驚いたように目を丸くさせたので、名前の方が困惑してしまう。あまり突飛なことを言ったつもりはなかったのだが。普段は冷静沈着な面ばかりを見ているので、こんな顔もできるのかと妙なところで感心する。
「いや、他に言うことあんだろ」そう言って、轟はほんの僅かに笑みをみせた。

 それ以上、轟は家族のことについて話さなかった(母親が凍らせる“個性”なのだという事だけは教えてくれた)。彼が名前に何を求めていたのかは結局解らなかったが、まさか父親の自慢をしたかったわけではないだろう。轟はそういう性格ではないと思うし、仮にそうだったとしても、名前からしてみれば父親がヒーローをしていることは羨ましくも何ともないので、彼の求めるような反応は返せなかった筈だ。
 言いたかったのかなと、名前は思った。
 名前だって、今でこそクラスメイトが13号が名前の兄だと知っているが(どうも、他のクラスにまで知れ渡っているようだが)、これまでは自分の兄がヒーローをしていることなど、誰にも明かしたことはなかった。ヒーローを快く思っていないというわけではなく、ただただ単純に、自分達の身を守るためだ。轟もそうなのだとしたら、誰かに言ってみたかった、というその気持ちは解らないでもない。ましてや、エンデヴァーは超人気のヒーローだ。ファンも多いだろうし、逆に恨めしく思っている敵も多い筈だ。名前以上に気を遣ってきたに違いない。
 周りから期待されたりはしないのか、と尋ねてきた辺り、色々と複雑な事情があるのだろう。エンデヴァーの事をクソ親父と称したことも気に掛かる。

 どこか晴れ晴れとしている――ように見える――轟は、名前に言った。彼の言葉は名前にとって晴天の霹靂で、轟はやっぱり気付いてなかったかと肩を揺らした。「前から思ってたんだが穴黒、お前の個性、“加圧”じゃねえんじゃねぇのか」
 ぱちくりと目を瞬かせる名前に、轟は再び小さく笑った。

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