憎しみだけは僕のもの

※13号男性設定

「濃厚のにしてって言ったじゃん」名前は眉根を寄せた。
 学校が終わり、真っ先にコンビニへ足を向け、それから一目散に帰ってきたのだろう13号は、未だコスチュームを纏ったままだった。不格好な宇宙服姿に、名前はますます顔を顰め、正義の味方は小さく身動ぎをする。顔の見えない相手ではあるが、動揺が微かに伝わってくる気がするのは、偏に名前がこの男と数年間共に暮らしているからだ。
 ――名前と13号の間に、血縁関係は無い。
 でも、と13号が言った。「名前さん、仰っていたじゃないですか。このメーカーの、プリンが好きだって」
「ハァ? あたしがこれ好きだからって何なの? 今日は濃厚の気分だったの」名前は言った。「台無しよ、あんたのせいでね」
「そんな……折角買ってきたのですから、これで我慢して下さいよ。今度はちゃんと、あなたが仰った通りのを買ってきますから」
 情けない声を出す13号に、名前はますます腹が立った。いったい誰のせいで、こんな惨めな気持ちを味わっているのだ。13号目掛けて手にしていたプリンを投げ付ければ、カツンと軽い音が聞こえた。どうやら頭部に当たったらしい。
「さっさと新しいの買ってきなさいよ」
 ――名前が13号と暮らすようになったのは、今から数えて数年前のことだ。あの日あの場所で出会うまで、二人は互いの名前はおろか、存在すら知らなかった。名前はヒーローに興味が無く、スペースヒーローと言われてもピンとこなかったし、当時から雄英で講師として勤めていた13号も、高校に入学してすらいない中学生のことは知らなかった。
 凄惨な火事だった。
 名前の家は、うだつの上がらないサラリーマンだが優しい父、厳しかったが料理の上手い母、そして一人娘の名前という、三人だけの家族だった。あの日火事にさえならなければ、今頃名前は幸せな生活を送っていたに違いなかった。普通に高校に進学して、普通に友達とおしゃべりをして。もしかしたら彼氏も居たかもしれない。こんな、物腰が柔らかいだけが取り柄の男となんて暮らしていなかっただろうし、下半身が麻痺することもなかっただろう。
 黙り込んだ13号に苛々が募る。そりゃ、名前だって解っているのだ。13号は名前の恩人だ。火事から救い出してくれて、身寄りを失くした名前を引き取ってもくれた。こんなに恵まれたことはないだろう。名前の高慢な態度は恩を仇で返すものだし、単なる八つ当たりだ――もっとも、それを解っているからこそ、13号もこうして黙っているのかもしれないが。
 名前は、13号に感謝して然るべきなのだ。「あたし、いつ救けてなんて言った?」
「解ってるよね? あんたはあたしのお父さんとお母さんを見殺しにしたんだよ? あたしの言う事、聞いて当然だよね?」

 結局のところ、未だ名前はただの甘ったれたガキなのだ。13号の厚情と、愛情に付け込んでいる。彼が何も言い返さない――言い返せない――ことを良いことに、彼を恨み辛みの捌け口にして、漸く自分を保っている。
 本当は名前だって、素直に13号に感謝したかった。泣きつきたかったし、抱きしめて欲しかった。名前は決して一人ではないのだと。ただ、それをするには失ったものがあまりにも大き過ぎた。
 やがて、13号は言った。「――そうですね」
 13号らしからぬ冷ややかな声に、名前は顔を上げた。180p近い身長のある彼は、コスチュームを着込んでいるおかげで余計に巨漢に見える。名前はベッドで横になっているのだから尚更だ。13号は淡々と言葉を続けた。
「あなたのご両親を殺したのは僕ですから、あなたが僕を憎むのも当然です」


 13号が何と言ったのか、名前は一瞬理解できなかった。
 ポコッと間抜けな音がして、彼の右手の人差し指の部分が開き、無様に床に転がっていたプリンと、放り出されていたビニル袋を吸い寄せる。それらは名前の目の前で粉々に砕かれ、黒い穴の中へと消えていった。13号の指の先がまた元のように戻る。
「あなたのご両親は敵でした。夫婦揃って名うての敵で、僕達は長年彼らを捕まえるのに苦労しました。実際、彼らは逃げおおせましたしね、命は失うこととなりましたが。――……その様子では、どうやらご存じなかったようですね」
 唖然とする名前を見て、13号はどことなく同情しているかのような声で言った。
 ――そんな馬鹿な。名前の頭の中では、亡き両親の姿がぐるぐると回っていた。彼らはいつも名前を思ってくれて、大事にしてくれた。平凡なサラリーマンと、ごく普通の専業主婦じゃないか。敵は悪だと教えてくれたのも彼らだ。無個性として生を受けたにも関わらず、彼らは一切気にせず名前に愛を注いでくれたではないか。「おかしいとは思わなかったんですか?」
「火元がどこからだったのか、結局割れなかったその理由を? 彼らは罪を重ねた上で、何人もの犠牲者を出しました。彼らを恨む者も大勢居たのでしょう」13号は言葉を続けた。「不思議には思いませんでしたか? ヒーロー達の動きが鈍いことを? 僕達はあなたのご両親が敵である事を知っていました。彼らは決して尻尾を出さなかったので、僕らも手出しができなかった……ヒーローに与えられているのは現行犯を逮捕する権限だけですから。僕が現場へ着いた時、あなたの家は殆ど火の海と化していたんです」
 あなたが生き残れたのは、本当に運が良かったんですよと13号は言った。
「……うそ」名前は漸く言った。「お父さんとお母さんが敵の筈、無い」
「信じるも信じないもあなたの自由ですよ、証拠はありませんからね。何せ、あなたのご両親はもうこの世には居ないのですから」
 当たり前の事を言うように――教師が生徒に教え諭すかのように、13号はきっぱりとそう言った。あくまでも柔らかな彼の口調に、名前の中で何かがカッと燃え上がる。「た、例えお父さんとお母さんが敵だったとしても、もう手遅れだったんでしょ!? だったらあんたが責任感じる必要無いじゃない! こんな小娘に良いように使われる義理なんて――」
「おや、名前さんご自分で仰ったじゃないですか」13号は笑っていた。「僕がご両親を見殺しにしたんだと。その通りですよ。僕はあなたのご両親を見捨てたんです」

 目の前に立っている男が一体“何”なのか、既に名前には解らなくなっていた。弱気を救う、正義の味方――スペースヒーロー 13号は、普段通りの調子で、おぞましい事を口にしている。
「救けようと思えば、救けられたかもしれないんですよ。あの炎の渦の中で、確かに何かの気配を感じていましたし、救けを求める声も聞こえていました。あなたのご両親が敵だとしても……例え、何百万人を殺害していたような大悪党だったとしても、僕は救けようと思っていたんです。僕はヒーローですから。――でも、ご両親よりも先に、僕はあなたを見付けてしまった」
 13号は言った。「火に焼かれながらも懸命に生きようとするあなたは、とても美しかった」


 名前の両親をも救けてしまえば、名前は好奇の視線に晒され、自分の手元に来ることはないだろうと思ったのだと、13号はそう口にした。僕はあなたを僕だけのものにしたかったんですよ、と。
「幸いなことに、あなたはそうして自由に動けない体になってしまった。これでもう僕だけのものですよ」
 ――名前は今まで、両親は火に焼かれ、既に事切れていたからこそ、13号が自分だけを救い出したのだと思っていた。しかし、13号の言葉を信じるのならば、両親はあの時にまだ生きていて、奇しくも名前が言った通り、目の前の男は彼らを本当に見捨てたのだという事になる。それが一体どういう意味なのか――しかも、名前を自分だけのものにしたかったから、ただそれだけの理由でだ。

 両親を殺した男と、これからずっと共に暮らしていかなければならないのか。考えただけでもゾッとする。

 しかし、名前は馬鹿ではなかった。ちゃんと理解しているのだ、自分がもう一生此処から出られない事も。自分一人ではこの部屋から脱出することも難しいし、そもそもドアを開ける為の鍵を持っていない。13号は外出する時、いつも厳重に鍵をかけていく。単に用心深い男だと思っていたのだが、あれは名前をこの家から出られないようにする為のものだったのだ。
 殺してやると呟けば、13号は今度こそ笑った。何の感情も読み取れない被り物が、微かに震えている。「殺せますかね?」
 唐突にぐっと近寄った13号に、名前は身を震わせた。後ずさろうとしても脚は動かなければ、背後には壁が控えている。13号はそんな名前の様子を見て尚も笑った。一人では何もできやしないのに、と。
「ヒーローにでも救けを求めてみますか? 名前さん」
 どこか満足げにそう口にする13号は、ヒーローなどでは決してなかった。


 身を起こした13号は、今度はちゃんとしたのを買ってきますからといつも通りの穏やかな口調で言い、名前に背を向けた。まるで、今までの会話が無かったかのように、ごく普通に――しかし、あのコスチュームの下には狂気が渦巻いている。敵と称するに相応しい狂気が。
 彼への親しみや感謝の念は消え失せ、今や憎しみだけが募っていた。
「殺してやる!」名前は叫んだ。
 しかしながら、13号は足を止めることすらせず部屋を出ていき、やがて部屋に鍵を掛けた。がちゃりという重い金属音だけが、いやに部屋に響いていた。

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