死への誘い

※死人が出る

 ぼとぼとぼと。水気をたっぷりと含んだその聞き苦しい音が、名前にとって、ありきたりな日常が瓦解していく音だった。


 いつもと同じ帰り道、いつもと同じ友人、いつもと同じ話題――ただ一つ違ったのは、名前達の前に、異様な風体の男が現れたことだった。男に気が付いた時点で逃げていれば、こんな事にはならなかっただろう。名前の個性は“ワープ”、いつでも逃げられると、そう高をくくっていた。
 最初にそれに気が付いたのは、名前ではなく、名前の友人の方だった。彼女は無言で名前の制服の袖を引き、名前がそれに気が付くと、ひそひそ声で「やばくない?」と言った。確かにそれは、一言で言うならば「やばい」だった。
 名前達の進行方向から、一人の男がゆっくりと歩いてきていた。そして、その男は上半身の至る所に“手らしきもの”を身に着けている。そういう個性なのだと言われれば頷くしかないが、それでも異様な風体だった。雄英高校に通っていた為、変わった個性やコスチュームを目にする機会も多かったが、あそこまでおどろおどろしい外見をした人間は今までに見た事が無い。
「ね」名前は相槌を打った。
 二人は無言で目配せをし、前方から歩いてくる男をなるべく視界に入れないようにし、まるで何事もなかったかのように日常会話を続けた。人気も無いし、一刻も早く立ち去ろう――それが名前達の共通の思いだった。そうもいかなくなったのは、偏に男の方から声を掛けてきたからだ。「そう邪険にするなよ」

 急に目の前に現れた男に、名前達はひどく驚き、その場に立ち竦んだ。男とはまだ距離があった筈だし、それ以前に声を掛けられる理由が無い。単純に見た目が変わっているだけの一般人か、それとも――不審者か、変質者か。もしくは、敵か。
 道を尋ねられるだけなら良いのだけどなあと、頭の片隅で考えた。しかしながら、雄英高校で鍛えられた敵への第六勘は、既に警鐘を鳴らしている。この男は“まずい”と。
「君を探していたんだ、名字名前」
 顔面に装着されている手のような何か――その指の隙間から覗く赤い目が、弓なりに弧を描いていた。

 身を竦ませ、動けないでいる名前を庇うようにして、友人が前へ歩み出た。彼女の個性は名前と違い、バリバリに戦闘向きの個性だ。いつでも発動できるように、彼女が準備しているのが解った。「どうして名前の名前知ってるのか知りませんけど、私達急いでるんで――」
「“私達”か」男が呟くように言った。「だったら、君が居なくなったら名字名前は急ぐ必要が無くなるわけだ」
「君に用は無いんだよ」
 名前が男の言葉を理解する前に、ぼとぼとぼとという耳障りな音が聞こえた。それからびちゃっと水が跳ねるような音がして、生暖かい液体が足にかかる。一面に広がるのは、赤――。

「……えっ」名前は言葉を失った。
 先ほどまで確かに名前の友人だったそれは、無残にも粉々に砕け散り、名前の足元に肉塊の赤い山を作り上げていた。辺りは一面一色に染まっており、今なおそれは広がり続けている。
 これで邪魔者は居なくなったなと、男は笑った。


 男は死柄木弔と名乗った。その聞き慣れない恐ろしげな響きに、本名ではないのだろうと考える。偽名を使わなければならない人間というのは限られているものだ。
「単刀直入に言うと、俺は君をスカウトしにきた」
「……はあ」
 名前が気の抜けた返事を返しても、男は――死柄木弔は一切気にしていないようだった。
「俺はさ、名字名前、この間ちょっとだけピンチになったんだ。何せ、ラスボスが相手だったからね、苦戦したんだよ。まあやられはしなかったけどさ」死柄木は両手を広げた。骨ばった腕に、いくつもの手を象ったモチーフが付けてあるのは、なんとも奇妙な姿だ。「でだ、俺は考えた。ワープゲートがもう少しあれば、もっと楽に事は運んだんじゃないかとね」
「君の個性は有用だ、名字名前。ぜひ俺の所で有効活用してみないか?」
 死柄木の両手がパッと名前の手を取ろうとし、初めて名前は身動ぎしたが、死柄木の手が名前を粉々にする事はなかった。「殺したりなんてしやしないさ。何せ、大事なワープゲートだ」

 命と引き換えなんだから、そう悪い条件じゃないと思うけどな。死柄木はそう言って、名前に選択を迫る。まるで、死ぬ事がよほど耐え難い事と言わんばかりの口振りだ。
「それに、俺、君は結構素質あると思うけどね」
「……それ、どういう意味ですか」
 名前が尋ねれば、死柄木はひょいと肩を竦めた。名前が死柄木に対し、まともに口を利いたのはこれが初めてだった。「言葉通りの意味さ」
「君さ、友達が死んだの見ても、何とも思わなかったろ?」
「…………」
「居るんだよな、そういう奴。生まれながらの敵って奴がさ」
 名前は眉を顰めた。これでもヒーロー志望、“敵”扱いされるのは心外だ。しかしながら死柄木の言葉は的を射ている。名前は友達が死んでしまったショックよりもむしろ、死柄木の殺しの鮮やかさに惹かれてしまったのだ。

 いつまでもこの場に――明らかな殺害現場に――居るわけにもいくまい。名前は両手の先を霧状の黒い靄に変化させ、死柄木にどこへ移動すれば良いかと尋ねた。死柄木は目をぱちくりと瞬かせたものの、やがてにっこりと笑った。「ようこそ、敵連合へ」

[ 87/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -