13

 病院というものは、名前にとってあまり馴染みのあるものではなかった。今までの人生で、それほど大きな怪我や病気もしなかったからだ。ただ、数年前、頻繁に通っていた時期がある。13号が、ヒーロー活動で全治六か月の大怪我を負った時だ――13号の処置は全て無事に完了し、現在は病室で安静にしているらしい。それを聞いた時、名前がどれだけほっとした事か。
 猫の姿をした警官と共に、教えられた病室を訪れる。ヒーローへの配慮なのか、一人用の病室が割り振られていた。寝ているとばかり思っていたのに、ノックすると確かに返事があった。兄の声だ。

 恐る恐る扉を開く。白く、清潔感のある空間だった。ぽつんと置かれたベッドに一人、名前の兄が俯せで横たわっていた。点滴に繋がれたままの13号は、名前の姿を認めると、小さく「名前……」と呟いた。
「何も、また泣くことはないだろうに」
「だ、だっておに、お兄ちゃん……」
 ぼろぼろと涙を零す名前に、13号は苦笑した。

 13号は、警官にお勤めご苦労様ですと声を掛けてから、「見苦しい格好ですみません」と謝罪を入れた。警官は首を振る。
「県警本部所属、玉川であります」敬礼をしながら、猫の姿の警官はそう名乗った。首元の鈴が小さな軽い音を立てる。「貴殿らのおかげで敵の大量確保に至りました。ご協力、真に感謝申し上げます」
「いえ、あなた方の迅速な対応があってこそですよ」
 13号は静かにそう言い、「妹を送って下さったことも、ありがとうございます」と付け足した。
「しかし玉川さん、すみませんが、暫く妹と二人だけにして頂けませんか。敵のことを聞きにいらしたのでしょうが、その後でならいくらでもお話しますから」
 唐突な兄の言葉に、名前はぐちょぬれの顔を上げた。今だって相当無理をしているのだろうに、その上で、私に何か言いたいことがあるというのだろうか?
 玉川は少しばかり考え込んでいたようだったが、やがて、「解りました、私も警部に報告したいことがありますので」と名前達に背を向けた。しなやかな猫の尾が扉の向こう側へと消えると、病室に静寂が訪れた。名前は13号が何を言おうとしているのか解らないし、彼は口を開かない。

「ええと……お兄ちゃん、言いたいこと、って?」
 13号はちらりと名前に目を向けた。「話したい事があるのは、名前の方じゃないのかな」
「……え」思わず涙が引っ込んだ。
 口籠る名前を見て、13号が微かに笑う。思い返せば、こうしてコスチューム越しでなく兄の顔を見るのは、不思議と久しぶりのことかもしれなかった。


 そのまま身を起こそうとする13号に、名前はひどく慌てた。だって、あれだけの大怪我をしていたのだ。今だって本当は寝ていなければならない筈なのに。
「い、いいよお兄ちゃん、そのまま寝ててよ」
「僕に、何か大切な話があるんだろう? このままで居るわけにはいかないよ」
 慌てた名前が何をする間もなく、13号はとうとう起き上がってしまった。そのままベッドに腰掛けた彼に、仕方なく名前も付き添い用の丸椅子へと座る。

 別に、13号に話したいことなど無い筈だった。しかし、背を丸め、黙って自分を見詰める兄を前に、自然と名前の口が開いた。「お兄ちゃん、私、本当にヒーローになりたかった」

 13号は「そう」と静かに言った。彼のその柔らかな言葉に、名前はまだ喋っていて良いのだと判断した。自分でも、何を言っているのかよく解らないまま、名前は言葉を紡いでいく。
「朝、お兄ちゃん言ってたけど……私、お兄ちゃんの言う通り、ヒーローにならないといけないって、勝手に思ってたのかもしれなかった。雄英だって、成り行きで受けたの。友達に勧められて、お母さん達も賛成してくれて……自分でも、何で雄英を受けようと思ったのか解んなかった」
「でも」名前は言った。「でも私――」
 名前が口を噤み、黙り込んでしまっても、13号は少しも急かさなかった。名前はベッド脇の小机をちらりと見た。“13号”のコスチュームが綺麗に畳まれ、置かれている。しかし頭部の覆いは割れ、白い筈の宇宙服大きく裂け、痛々しい血痕が至る所に残っていた。
「――お兄ちゃん、言ったよね、USJで。私達の“個性”は人を傷付ける為にあるんじゃない、救ける為にあるんだ、って」
「そうだね」13号は頷いた。
「私、ずっと思ってたの。なんで雄英、受けちゃったんだろうって」名前は言った。「私の“個性”、いったい何の為に役に立つんだろうって。」
「私はね、お兄ちゃん、ずっと、ヒーローになりたかったの。お兄ちゃんみたいな、誰かを救けるヒーローに」
 名前の目から再びぽたりと涙が零れ落ちた。「当たり前だよね、ずっと、お兄ちゃんの背中を見てたんだから」

「でも、もう駄目なの」
「……何でだい」
 静かに問い返した13号に、名前はにこりと笑った。少なくとも、笑ったつもりだった。これ以上惨めな気持ちになるのは嫌だったし、何より、痛々しげに自分を見遣る兄など見たくなかったのだ。
 声は震え、涙は次々と零れ落ちていく。「だって私、お兄ちゃんを救けられなかった」
「お兄ちゃんが危ない目に遭ってたのに、全然動けなかった。麗日さんだって、あんなに走っていったのに……私だったら、敵を捕まえられたかもしれないのに……全然、動けなかったの。私、お兄ちゃんの妹なのに」
「私、ヒーロー失格だよ」名前は笑った。


 名前の嗚咽が静かになった頃、ずっと無言だった13号が口を開いた。「僕も」
「僕も、君に言いたいことが二つ――」
 途中で言葉を途絶えさせた兄に、名前は顔を上げた。13号は微かに目を細めたまま、小さく「いや……」と言った。
「まず最初に」
 いつも通りの13号の声に、名前は視線を逸らした。彼が言いたいことは解っているのだ。名前はヒーローに向いていないのだから、そう思うのは当然だと。むしろ、早い段階で気付けて良かったくらいだと。「君は、ヒーローじゃない」
「君は、ただのヒーロー候補生だ。君だけじゃない、一年A組の誰も、いや、雄英高校に在籍している生徒全員ヒーローじゃない――仮に、敵の襲撃を難なく退けたとしてもね」
 名前は内心で同意した。そりゃそうだ。ちょっと雄英高校に入学できたくらいで、先生や友達に褒められたくらいでいい気になっていたのだ。私なんて、ヒーローになんかなれやしない――。「ヒーロー失格は、僕の方だ」

 思ってもみない言葉に、名前は顔を上げた。13号は「妹の泣き顔なんてものは、見ていてあまり気持ちの良いものじゃないね」と苦笑を浮かべる。いつもの兄だった。
「僕はね名前、あの時、例えあの敵を捕まえていたとしても……敵連合の全員を捕まえられていたとしても、ヒーロー失格なんだよ」
「そんな、な、何言って……」
「僕は名前の顔を見た時、こう思ったんだ」13号は言った。「名前が無事で良かった、とね」


「僕は教師で、それ以前にヒーローだ。ヒーローは正義の味方、皆を救ける存在でなければいけない。でも、僕が敵の策に嵌った後、君が駆け寄ってきてくれた時、僕は心の底から安心したんだよ。ああ、名前が無事で良かった、って」
 13号は笑った。「僕は、他の生徒達がどうなっているのか気にもしないで、ただ君の無事に安堵したんだよ」
 だから、ヒーロー失格は僕の方なんだよと、13号は再び言った。

「名前、君は自分をヒーロー失格だと言ったね。僕を救けられなかったからと」
 名前は恐々と頷いた。「さっきも言ったように、君は高校生だ。いくら雄英高校のヒーロー科の生徒だろうと、その事実は変わらない。しかも、雄英でみっちり学んだ三年生ではなく、ついこの間まで中学生だった一年生……あんな状況で身動き一つ取れなくて当たり前だ。気にする必要なんてないんだよ」
「で、でも……」
「君は、ヒーローじゃない。ただのヒーロー候補生、雄英高校の一年生だ。自分の至らなさを恥と思うなら、これから学んでいけば良い」
「僕は君に、何回も言ってきたね。名前はヒーローに向いてないと。その考えは、今も変わってない」13号は笑った。「けど僕は、そうやって後悔できる君はヒーローになれると、そう思うよ」
 自分とよく似た、使いどころの難しい“個性”。ヒーローには常に危険と、重い責任が付き纏う。わざわざ辛い道を進ませたくはなかったのだと、13号は言った。ヒーローなどという危険な職に就いて欲しくはないのだと。だからそう言い続けてきたのだと。
「君がヒーローになりたいと思うのなら、僕は君を応援するよ。名前、君は、ヒーローになれる」


 わんわんと泣き続ける名前に、13号は苦笑した。やはり妹の泣き顔など、見ていてあまり気持ちの良いものではないと。いつでも僕ら大人を頼りなさいと、スペースヒーロー 13号は静かに言い、名前の頭を優しく撫でた。

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