12

 敵がどこかへ消えた――決して安心できる状況ではなかったが、それでも体中からどっと力が抜けていく。痛みに呻く13号の声に、名前はようやく我に返った。「おに……ちゃん、だ、大丈夫?」
 名前はただ一言、兄の口から“大丈夫”という言葉を聞きたかった。しかし、彼が名前の言葉に返事をすることはなく、彼はただ、小さな声で「障子くん」と呼び掛けた。痛みを必死で堪えているかのようなその声音に、名前の目から再び涙が零れ落ちていく。
「僕を、立たせて下さい。他の皆を、救けなければ」

「無茶だ先生」障子の肩口から覗く口がそう言った。他の複製腕は全て耳を形作っている。周囲の敵の気配を探り、同時にクラスメイト達の安否を確認しているのだ。「いくら先生の言うことでも、それは聞けない」
 13号は砂藤と瀬呂にも同じように声を掛けたが、彼らは首を振るばかりだった。生徒達の協力が得られないと解ると、13号は自力で立ち上がろうとした。しかしながら、微かに肢体が持ち上がるばかりで、意味を為さなかった。
「先生、無理しないでよ……」
 芦戸が泣きそうな顔で言った。「そんなに怪我してるのに」
 USJの門が大きな音を立てて吹き飛んだのはその時だ。厚さ二十センチはありそうな鉄の扉が、まるで風に煽られた落ち葉のように、軽々と宙を飛んでいく――ヒーローは言った、嫌な予感がしたのだと。「もう大丈夫。私が来た!」
 ゲートの前に立った後姿に、名前は漸く心の底から安堵した。先程までと違い、恐怖ではなく安心感によって涙が流れ落ちていく。もう大丈夫だ。だって、オールマイトが来てくれた。

 奇しくも轟が言った通り、敵連合は決して阿呆ではなかったらしかった。彼らは“平和の象徴”を倒せる手段があったからこそ、こうしてヒーローの巣窟にやってきたのだ。実際、大柄な敵を倒すのに、オールマイトはかなり手こずっていたように感じられた。しかしその敵もやがてはオールマイトに吹き飛ばされ、その場に残っているのはあの黒い靄のような敵と、痩せぎすの男の二人だけとなっていた。
 敵は二人揃ってオールマイトに襲い掛かったものの、寸でのところで応援の教師達が到着した為、恐ろしげな言葉を残して姿を消した。こうして、救助訓練の時間は終わりを迎えた。名前達に、本物の“悪”という存在を強く刻み込ませて。



「――両脚重症の彼を除いて、ほぼ全員無事か」若い刑事はそう言って、僅かに表情を柔らかくした。ヒーローを志しているとはいえ、所詮は高校生。子供に過ぎないのだ。そんな子供が本物の敵の軍団と対峙して死なずに済んだのだから、これほど喜ばしいことはないという事だろう。
「とりあえず、生徒らは教室へ戻ってもらおう。すぐ事情聴取ってわけにもいかんだろ」
 刑事の言葉に、クラスメイト達は皆安堵したようだった。しかし、名前にはそれよりも気になることがあった。口を開きかけた時、名前が声に出すよりも先に、蛙吹が刑事に尋ねていた。「相澤先生は……」
「相澤……イレイザー・ヘッドかい。ちょっと待ってくれ、今確認するから」
「あっ、あの!」思っていたよりも大きな声が出てしまい、名前を見遣った刑事は少々目を丸くしていた。しかし、構ってはいられない。「あの、おに……じゅっ、13号先生は……」
 刑事はじっと名前を見た。まるで観察されているかのような居心地の悪さに、思わず身を強張らせる。しかしやがて刑事はふいと視線を外し、「それも今確認するよ」と優しげな声で言った。

 刑事のスマートフォンからは、病院の医師から相澤と、13号の様子が伝えられた。相澤は両腕と顔面の骨折が酷く、同時に眼に何かしらの後遺症が残る可能性があるという事。13号は背中から上腕にかけての裂傷が酷いが、命に別状は無いという事。刑事はオールマイトにも命に別状は無かったと言い、二人に比べれば軽傷の彼は、今は保健室で休んでいると言葉を結んだ。
「よ、かった……」再び溢れそうになった涙をぐっと堪えながら、名前は小さく呟いた。


 若い刑事は校長と二言、三言会話を交わした後、自分は先に校内を回ると言って姿を消した。名前達は教室に集められると、それから一人ひとり敵連合についての事情聴取が行われた。主に、主犯とみられる敵の特徴や言動、どのような個性を持っていたか等々だ。もっとも皆が被害者であり、また情報を共有して初めて解ることもあるからだろう、事情聴取が別室で行われるということはなかった。名前は切島達の証言から、あの黒い靄のような姿をしたワープの“個性”の敵が、黒霧と呼ばれている事を知った。
「――うん、大体出揃ったかな」猫の姿をした警官は、そう言って顔を上げた。首元の鈴がちりんと鳴る。彼は一度上司に指示を仰いでから、名前達にもう帰っても良いと促した。気を付けて帰るようにと、そう言葉を添えて。

 一緒に帰ろうと言う蛙吹達に手を振ってから、名前は再び教室へ戻った。自分達が敵に襲われている間、ここでは普段通りの授業が行われていただなんて、到底信じられない。名前は見付かるまで根気強く探そうと思っていたのだが、先の刑事達が未だ1−Aの教室に留まっていた為、その手間は省けた。
 低い声で何事かを話し合っている警官達を前に、どう声を掛けて良いものか暫し迷う。しかしながら、名前が彼らに話し掛けるよりも先に、上司らしい刑事の方が名前の存在に気付いた。「やあ」
「さっきのクラスの子だったね。忘れ物かい」
「あ、あの……」
 にっこりと微笑んでみせる男に、どこか安心感を抱く。「その……13号先生が、どちらの病院に行かれているのか知りたくて……」
 猫の警官はその眼を丸くさせたが、トレンチコートを身にまとった男は「ああ……」と思い出したように呟き、それから「そうだったね」と小さく言った。若い刑事は他の教師達から話は聞いていると言い、部下に名前を送っていくよう指示を出した。向かうのは、雄英からさほど離れていない市民病院だ。

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