着替えを済ませ、朝食を食べる為に部屋を出ると、「名前」と静かな声が名前を呼び止めた。名前は目を丸くさせる。「お兄ちゃん?」
 真ん丸いシルエットに、宇宙服のような野暮ったいコスチューム。市井の人々から13号と呼ばれている名前の兄が、そこには居た。
「珍しいね? お兄ちゃん、いつも私より先に家出るのに……」
 13号は頷いた。「少し気になることがあってね」
 その時、13号の視線が微かに動いたような気がした。もっとも彼のスーツは頭部が黒い覆いで隠されている為、その視線はおろか、表情すら読めないのだが。名前には何となく、兄が何かを“見た”ような気がしたのだ。13号につられ、名前もリビングの方を見遣った。そこでは何の変哲もないテレビが、いつもと同じように平和の象徴の活躍を伝えているだけだ。13号はテレビ画面の電源を落とすと、再び名前の名を呼んだ。
「雄英での学校生活はどうだい」

 名前はほんの一瞬、言葉に詰まった。「楽しいよ?」
「楽しい」13号は名前の言葉を繰り返した。「そう」
 淡々と事実を述べているような、兄のその柔らかな口調に、名前は微かに不安を覚える。無意識の内に笑みを張り付けながら、「うん、すごく楽しい」と念を押した。
「相澤先生の個性把握テスト、握力検査は私が一番だったし……それに聞いてよお兄ちゃん、私、オールマイト先生に褒められちゃった。ヒーロー基礎学なんだけどね、いきなり対人戦闘訓練をやったの。みんな、私の“個性”が凄いって言ってくれて――」
「名前」13号が再度名を呼んだ。名前は口を閉ざす。
「君に二つ……いや三つ言いたいことがある」
「……何?」
 名前は素っ気なく問い返した。兄が何を言おうとしているのか、薄々勘付いていたからだ。そして、彼は名前が思った通りの言葉を口にした。「君はヒーローに向いてない」


「ヒーローは素晴らしい仕事だよ。僕は、そのこと自体は否定しない。敵の魔の手を防ぎ、市民の安全を守る……ヒーローほど、やりがいのある仕事はまたとないと思う。けど、ヒーローには同時に大きな責任が伴うんだよ」
 その責任をお前に果たすことができるのかと、そう兄は言っていた。もっとも、口に出しはしなかったが。
「――さっき」名前は顔を上げた。「オールマイトさんに褒められたと言ったね」
「言った、けど」
「君が僕の妹だから彼が気を遣った、とは考えなかった?」
「っな……」
 名前の頭の中で、先日の戦闘訓練の様子が繰り返される。確かに、オールマイトは褒めてくれた筈だ。名前の指摘は間違っていないと。しかし、オールマイトは――オールマイトを含めた雄英の教師は皆、名前が13号の妹だと知っている筈だ。
 名前の様子をじっと観察しながら、13号は再び口を開いた。「何度も言ったけど、僕は名前がヒーローに向いているとは思わない」
「名前の“個性”は凄いと思うよ。何だって押し潰せるその力を、人救けの為に使いたいと思うことも、素晴らしい心掛けだと思う。けど同時に、ほんの僅かな間違いが人の命を奪う事にもなり得る。名前、君はもしも誰かを傷付けてしまった時、その責任が取れるかい」
 呆然と目を見開いていることしかできない名前。そして、13号は言った。「名前、君は本当に、ヒーローになりたいのかな?」

「それ……」漸く、名前は言葉を発することができた。「それ、どういう意味……?」
「言葉通りの意味だよ」
 13号は椅子から腰を上げ、名前の前に立った。彼のその大きなシルエットは、名前の知る兄そのものだった。スペースヒーロー、13号。災害現場で活躍するヒーローで、その“個性”ブラックホールで何人もの被災者を救い上げた。「君は、ヒーローになりたいと思っていないといけないと、そう思い込んでいるんじゃないのかな?」


 兄が何を言っているのか、名前には解らなかった。
 ――あなたは成り行きで来てるんだろうなあって、そう思ったわ。
 蛙吹の言葉が思い返された。確かに、最初はそうだった。中学時代の友達に、名前の“個性”なんてろくに使い道がないんだから、いっそヒーロー目指してみればと笑われたのは事実だった。彼女達の言葉の中には、からかいが半分、そして慰めも半分含まれていた。また、父や母が、兄のようなヒーローになって欲しいと、どこか名前に期待をかけていることも事実だった。お兄ちゃんはすごいんだから、名前も頑張らないとね。それが彼らの口癖だった。
 名前は確かに、言われるがままに雄英高校を受験した。友人達は半ば冗談で、父と母は期待を込めて、雄英を勧めたのだ。そして、名前はその成り行きに身を任せ、雄英高校の受験に臨んだのだ。蛙吹の言う通りだ。名前は成り行きで、雄英高校に通っているに過ぎなかった。

 しかし、オールマイトの戦闘訓練で、蛙吹の方がより優れていたと解った時、本当に悔しかった。その彼女が「次は敗けない」と笑った時、再び競い合えることに強い喜びを感じた。切島や瀬呂が「凄い“個性”だ」と言ってくれた時、恥ずかしくもあったが嬉しかった。握力測定器を壊してしまった時、相澤が「気にするな」と当たり前のように言ってくれてひどく安心した。――合格通知が届いた時、とても誇らしかった。
「違うよ、私――」小さな声で、名前は呟いた。緑谷が0ポイントのロボットを吹き飛ばした時、ああなりたいと、心の底から思った。「私……」


 名前はそれ以上、何も言えなかった。13号は無言で名前の次の言葉を待っていたが、やがて視線を外した。名前が何も言えないと思ったのか、それとも肯定と受け取ったのか。彼は先程までの会話が無かったかのような普段通りの口調で、名前に車で送っていこうかと尋ねた。名前が首を振ると、13号は「そう」とあっさり言い、そのまま家を後にした。


 名前がヒーローに向いていないのは事実だ。覚悟も、責任も、何もかもが足りない。成り行きに任せてきたのだって、全て本当の事だ。しかしながら、ヒーローになりたいと思っている事も本当で、その事を兄に伝えられなかった事がひどく情けなかった。

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