「やけに……静かだな」常闇の呟きに、蛙吹は顔を上げた。
 常闇の“個性”は黒影――彼は自身の姿に似た、影のモンスターをその身に宿している。黒影は音無く動ける上、形が自在に変わる為に隠密行動に向いていた。しかしながら、一階から順繰りに敵チームを探していたのだが、蛙吹も常闇もそして黒影も、相手チームの誰一人として見付けることができなかった――ここは四階だ。
 一階から四階までどの部屋も空っぽだった為、名前達は五階に居る筈だった。しかし、いくら耳を澄ませてみても、物音一つ聞こえてこない。
「切島辺りは、猪突猛進に突っ込んで来るかと警戒していたんだが……」
「解るわ。切島ちゃん、熱そうだものね。でも彼、あれでいて結構冷静なのよね」
「だな」常闇は頷き、それから天井を見上げる。「どうやら正面対決がお望みらしいな」
「あいつらの“個性”は身を隠せるようなものではない筈だし……敵組としては、八百万が言っていたように、俺達が来るのを待ち構えている方が得策ということか」
「無駄な体力を使わなくて済むし、時間も稼げるわね」
「急ごうか」
 どうやら常闇は、気配を殺して捜索に当たるより、残り時間の全てを名前達との戦闘に充てた方が良いと判断したらしい。同感だ。颯爽と駆け出した常闇に続き、蛙吹も走り出す。階段を駆け上がり、閉ざされていたドアを勢いよく開く。そのフロア全ての空間を繋げたような広い部屋だったが、先ほどの轟達や緑谷達の時とは、大きく様変わりしていた。
「待ってたぜ、ヒーロー!」そう叫んだのは切島だった。


 なるほどな、と呟いた常闇。蛙吹もまったく同じ気持ちだった。彼らが五階に陣取ったのは、蛙吹達に手間を掛けさせる為だけではなく、同時にこの空間を作る為の時間稼ぎだったのだ。
 その部屋は、行く手を塞ぐように何十本ものテープが張り巡らされていた。恐らく瀬呂の“個性”だろう。粘着力の無い部分を持って引っ張ってみたが、なかなか取れないし、迂闊に動けばテープに絡め取られ、時間を大きくロスすることは明白だった。轟のように部屋全体に効果を発揮できる“個性”や、爆豪のような強い威力のある攻撃ができれば別だが、蛙吹も常闇も、そんな手段は持っていない。テープの間に隙間は無く、かろうじて、張りぼての傍に立っている瀬呂と、切島の姿が見えた。突破してきたヒーローを迎え撃つつもりなのだろう。
「来いよヒーロー!」瀬呂が煽る。「もうテープすっからかんだ、畜生!」

 なす術がないのではないかと思った蛙吹だったが、常闇が此方を向き、心配するなとでも言うように首を振ったので、そのまま機会を伺う。――核兵器奪取の機会をだ。
 常闇は静かに、「一人足りないな」と呟いた。
「悪いな、瀬呂」
 常闇の足元、コスチュームである黒いマントの裾から出現した腕は、そのまま何本ものテープを掴み、ぐいと押し開いた。天井と床とを繋いでいたテープが次々と剥がれていき、瀬呂が悲鳴を上げる。それに加えて、瀬呂のテープは常闇の腕に引っ付くことはなかった。常闇は次から次へとテープを剥がしていき、ついに全てを取り去ると、そのまま纏めて投げ捨てた。敵役の二人が焦りを見せる。常闇が静かに言った。黒い影が揺らめき、彼に似た姿を象る。「影に実体は無い。さあ、どうする敵」


 ――実体は無い!
 物陰から捕縛の機会を伺っていた名前は、常闇の言葉に舌を巻いた。握力測定で高い数値を出していた為、彼のあの黒い腕が相当の握力を持っていたことは解っていた。
 力ずくでテープを剥がされることはあるかもしれないとは想定していたが、しかし、まさか実体が無いだなんて。恐らく、常闇の任意で、触れられるものとそうでないものを決められるのだろう。彼の“個性”の動きを封じられれば良かったのだが、それすら失敗してしまった。
 しかも、実体が無いとなると、物理攻撃主体の切島や、テープによるサポートが主の瀬呂では太刀打ちできないかもしれない。攻撃はすかされ、むしろ逆に捕縛されてしまうだろう。名前達Jチームと、常闇の個性との相性は最悪というわけだ。意外性を狙うのではなく、素直に機動力の高い切島を捕縛役にするべきだったのかもしれない。
 敵側が圧倒的に有利だった筈なのに、いつの間にか、追い込まれているのは名前達の方だった。

 やったらあああ!と切島が声を張り上げたのと、常闇と蛙吹が戦闘態勢に入ったのと、名前が物陰から飛び出したのは、殆ど同時だった。
 瀬呂のテープを除去する為には、多少なりともそれに触れなければならない。テープを触った一人が動きを鈍らせた後、もう一方の相手の不意を衝き捕まえるのが、名前達の作戦だった。しかしながら、名前が飛び掛かったのは蛙吹ではなく、常闇の方だった。


 常闇の動きは速かった。名前が自分に向かっていることに気付くとすぐさま影の腕を伸ばし、捉えようとした。しかしながら名前の手に触れた瞬間、彼のその黒い腕は一瞬動きを鈍くさせる。名前の個性によって、強い圧力が掛けられているからだ。
 ――腕自体に“実体は無く”とも、“名前を捕えようとしたその瞬間”だけは、確かに触れることができる。それが名前の出した結論で、実際当たっていた。つまり常闇の相手ができるのは、三人の中で名前一人だけだった。
 黒い腕を潜り抜け、名前は彼に飛び掛かった。そのまま常闇を押し倒し、両手を彼の肩に乗せる。「捕った!」

 ぐっ、と呻いた常闇は、そのまま“個性”を発動し、上に圧し掛かっている名前をどかそうとしたのだろう。しかしながら、顔を顰めるだけに終わった。
 名前の突進を避け、天井に張り付いた蛙吹は、「女の子だからって、遠慮しなくて良いのよ」と声を張る。そのまま押し退けろという事らしい。しかし、常闇はうんともすんとも言えない筈だ。何故なら、名前の手が触れている間は、指一本動かせない筈だから。
「常闇くんの“個性”に実体が無くっても、常闇くんには実体があるもんね」
 影の腕は名前を押しのけようと伸びてきたが、「潰されたくなかったら大人しくしてて」と口にすれば、渋々といった調子ではあるものの大人しくなった。どうやら意思があるらしい。
 常闇を圧し潰さないように、それでいて辺りで蠢いている闇の腕が動かないように、慎重に“個性”の出力を調節する。敵っぽく見えますようにと思いつつ名前が笑えば、常闇は観念したように苦笑を浮かべ、「やるな」と小さく言った。


 残りは蛙吹一人――!と、切島と瀬呂が息巻いたのも束の間、蛙吹が降参したことにより、戦闘訓練は敵チームの勝利で幕を閉じた。

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