血と臓物と、それから私

 敵というものは、大概頭がおかしい。バーを営んでいる黒霧は、その事をよく知っていた。客同士での騙し合いは日常茶飯事だったし、店で飛び交っている会話はその殆どがえげつない金儲けの話だ。そして、恐らく黒霧の考えは間違ってはいない筈だった。世間では、欲望の箍が外れた気違いを、敵と呼ぶのだから。
 名前という女も、かなり頭がおかしかった。何せ、体が上と下に真っ二つに分かれた状態で恍惚としているのだ。いったい、頭がおかしいより他にどう言えば良いというのか。

 黒霧は眉をぐっと吊り上げた。「名字名前……どうしてそう愚図なんです」
 吐き捨てるようにそう言うと、名前は黒霧を見上げ、それからへらへらと笑った。こうして笑っているだけでまったくの馬鹿に見えるのは、彼女の才能の一つかもしれなかった。
「やーん黒霧さん、テキビシイー」
「息の根を止められたいのですか」
 名前は再びけらけら笑い、それから多量の血を吐き出した。明らかな致命傷を負っているのに、彼女が焦るどころか微笑んですらいるのは、偏に彼女の個性が再生能力だからだ。奇襲を掛ける際、先陣を切って突撃し、相手の度肝を抜くのが彼女の役目だった。
 改人ほどではないが、下半身が無くともぴんぴんしているくらいには生命能力が高いらしい。既に彼女の臍の辺りからじわじわと再生が始まっているので、今回も死にはしなさそうだ。……腸がはみ出ているが、まあ何とかなるのだろう。そもそも黒霧の知った事ではない。
 それはそれで良いかもねと笑う彼女を見ながら、喋らなければ“普通”に見えるだろうにと、黒霧は密かに目を細めた。


 この日、黒霧は名前と組んで「仕事」をしていた。端的に言えば強盗だ。
 敵相手に商売をしている以上、赤字経営は免れない。しかし荒くれ者相手に代金を要求し、商売ができなくなるのは困る。情報というものは、得てして金よりも価値があるものなのだ。黒霧は個性がワープの為、よほどの事が無い限り死ぬことはないのだが、下手に喧嘩を売るより、このまま波風を立てず、口の堅い店主としてやっていく方がましというものだ。となると当然資金が不足し、経営難となる。そこで黒霧は数週間に一度、こうして街へ出て金品を強奪する必要があった。
 黒霧の個性は『ワープ』だ。自身の身体の部分部分を靄状に変化させ、ワープゲートを作る――つまり、純粋な戦闘能力はさほど高くないのだ。唯一の攻撃手段はといえば、相手の身体をワープゲートに通らせ、その体が通り抜けない内にゲートを閉じる事。
 ワープは不意打ちには有効だったが、戦闘経験の豊富なプロヒーローには目くらまし程度にしかならないし、そもそも相手の身体を引きずり込むのが難儀だった。仮にゲートを通らせたとして、その後の綱引きに負けることもしばしばある。
 その点、名前と組むと事が楽に運んだ。名前のしぶとさを見ると大抵の人間は驚くし、そんな相手をゲートへ通らせるのは簡単だった。元より名前自身の戦闘能力も高く、黒霧が自分の中を血で汚さなくて済むことも多々ある。黒霧にとって、いつでもついてくる名前は金魚の糞そのものだったが、その戦闘力だけは評価していた。

 そんな名前が何故今半身が引きちぎれ、黒霧の店のフローリングで息絶え絶えになっているのか。原因は、黒霧にあった。かもしれない。
 黒霧は移動する時、大抵自身の個性を利用する。速いし、楽だし、人目にもつかない。最高の移動方法だ。自身だけでなく他人をも移動させられる為、敵仲間からは重宝されている。名前と組む時も、専らワープを利用していた。――そして、名前はよくこうしてゲートに体を挟まれ切断されるのだ。
 別にこれは黒霧の本意ではない。もっとも黒霧のせいではあるのかもしれないが――足の膝から下や、くぐり損ねた片足だけ、ならよくあることだが、この日のように半身を丸ごと引きちぎられていることは珍しかった。
 それもこれも名前が愚図なのがいけないのだ。もっとも、一応仲間という括りで居る以上、黒霧の方が多少譲歩をしてやるべきなのかもしれなかった。もう少し待ってやれば、こうして名前の体が分断されることはなかっただろう。自分の中に名前の血や臓物が溢れ返っていて、ひどく気持ちが悪かった。

 人の身体というものは存外重い。黒霧が抱えていた名前の下半身を投げ捨てる(現場に残しておけば、ヒーローに大き過ぎるヒントを与えることになってしまう)と、名前は「ひどい!」と言って大袈裟に泣き真似をし始めた。どうせ泣くなら切断された痛みについて泣けば良いだろうに。いくら名前の個性が自己修復だからといって、痛覚がないわけではない筈だ。やはり、敵というものは総じて頭がおかしい。


 救急箱を手に、傍らに屈み込んでやれば、名前はぴたりと泣き真似をやめた。「……どしたの黒霧さん、めっずらしー」
 熱でもあるの、と普段と違い落ち着いた口調で――もっと正しく言えば困惑した口調で――尋ねてくる名前に、少しばかりの殺意を抱く。
「別に」黒霧が言った。「いつまでも垂れ流しにされていては困ります。清掃代も馬鹿にはなりませんので」
「黒霧さん、責任感じてんの?」
「頭だけではなく、耳まで馬鹿になったのですか?」
 先ほどまで都市伝説の妖怪のように上半身だけだった名前は、既に足の付け根が出来始めていた。まったくもって、気味が悪いまでの再生能力だ。名前の下半身から何気なく視線を逸らしつつ、「あなたがのろまなのはいつもの事です」と付け足した。
 ふーん、と、名前が言ったのが聞こえた。
「言っとくけど、黒霧さんが責任感じる必要は全然ないよ? だってワザとだし」
「は?」
 黒霧が思わず口にすれば、先ほどまでの落ち着き様はどこへやら、名前は普段のように馬鹿っぽい笑い声を上げ始めた。
「何ていうかさあ、男の人なら解ってくれると思うんだけど……好きな人の“ナカ”を、いっぱいにさせたいっていうか?」
 いやーん恥ずかしー!と、一人で騒いでいる名前に、本気で殺意が湧いた。こいつ、本当に殺してやろうか。
 この女の征服欲の為に、自分の中を血やら何やらで汚させられたのではたまったものではない。しかしながら、結局のところ黒霧は名前を殺さないし、「心配してくれたり、見ないようにしてくれる黒霧さん、やっぱりすき」と、馬鹿の一つ覚えのように繰り返す名前に悪い気はしない。きっとそれは黒霧が敵だからで、敵とは頭がおかしいのだ。

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