「俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ」
 眼鏡を掛けた青年に「よろしく!」と勢いよく言われ、名前は心底たじろいだ。もっとも扉をくぐった矢先にこの挨拶だったのだから、名前でなくとも驚きはしたかもしれない。
 飯田と名乗った男子生徒のテンションに呑まれながら、名前は「穴黒名前です」と呟くように言った。彼は再び「よろしく!」と口にした後、思い出したように「君が穴黒くんか!」と叫ぶように付け足して言う。
 ぎょっとしたのは名前だった。何故、初対面の人間に名前を把握されているのだろう。教室には既に数名のクラスメイトが席に着いていたが、彼らに視線を向けても気の毒そうに名前を見遣るだけで、誰も助けてはくれなかった。
 これが、良い受難、というやつなのだろうか。


 ――何故雄英を受けてしまったのかは解らずじまいだったが、結局のところ、名前は雄英高校に入学した。父と母がひどく喜んでくれて嬉しかったからかもしれないし、入学辞退をすれば不合格になった他の受験生に申し訳が立たないからかもしれない。もしくは、雄英高校が超名門校だったからかも。

 両親は名前の合格を喜び、祝福してくれたが、兄だけは渋い顔をしていた。
 名前には一人の兄が居る。歳の離れた彼は同じく雄英高校に入学し、今ではプロのヒーローとして活動していた。名前が友人達に兄のことを話すことはなかったが(ヒーローは常に敵と戦っている。よほど知名度が低いヒーローならともかく、一般的に、ヒーローの知人や友人は狙われる傾向にある。身内なら尚更だ。なので、名前の家でも兄がプロヒーローをしていることは秘密にしていた)、それでも自慢の兄だった。
 そんな兄は、名前がヒーローのことを良く言うと、いつも渋い顔をしていた。ヒーローはそれほど良いものではないし、お前は絶対にヒーローになんてなるんじゃないよ――それが兄の口癖だった。
 合格通知が届いたと知らせた時も、兄は小言こそ口にしなかったが、決して良い顔はしなかった。

 名前が困惑し切っているのを察知したのかもしれなかった。飯田は微かに苦笑を浮かべ、「俺と君は席が前後でな」と説明を加えた。飯田と穴黒――五十音順なら確かに出席番号は近いだろう。君の席は廊下側の前から四番目だ、と飯田は言った。
「そういえば、穴黒くんは一般入試で雄英に来たんだろう?」
 恐る恐る頷けば、彼は「やはり!」と嬉しそうに手を広げる。「君とは同じ試験会場だったんだ」
 君、“個性”を使うのが上手いなと、飯田は笑った。


 飯田の言った通り、名前は右端の列の前から四番目の席に座った。おそらく人数の関係からだろう、この列のみ六人で構成されているようだった。クラスメイトは、名前を入れて二十一人。募集人数から解っていたことだが、改めて見てみると少々不思議な光景だった。この広大な敷地に、これだけしか同級生が居ないなんて。ともすれば小学校の時の一クラスよりも少人数かもしれない。
 先に来ていたらしい斜め後ろのクラスメイトが、「あいつ誰にでもあんな調子みたいだぜ」と苦笑しつつ名前に言った。彼が――名前は砂藤というらしい。後で互いに自己紹介をした――指し示した方を見れば、飯田は確かに名前の後にやってきた同級生にも同じように挨拶をしていた。あいつ、学級委員とか進んでやりそうだよなあという砂藤の呟きに、名前もついに笑みを漏らした。

 入学式も始まっていないのに、わざわざ自己紹介するのも珍しいなあと、四角い眼鏡の同級生のことを不思議に思っていた名前だったが、教室の席が埋まりかけた頃、漸くその理由が解った。彼は人を待っていたのだ。
 耳に飛び込んできた言い合いをする声に、名前と蛙吹は共に声の発生源を見た。教室の反対側で、飯田と男子生徒が何やら言い争っている。相手は髪の毛がつんつんに逆立った男の子だ。先生が来る前に皆自身の席に着くようにと、そう言って回っていた飯田のことだから、恐らく彼が机に脚を掛けているのが気に食わないのだろう。
「私、雄英に来る生徒ってどんなのかしらって思ってたんだけど」蛙吹がげこりと喉を鳴らした。「案外普通で安心したわ」
 まあ落ち着きが足りない気もするけどと付け足した彼女に、半ば苦笑しつつ「そうだね」と名前も同意する。確かに、雄英という名門校でも、こうしてみると中学の時と何ら変わりがないように思えた。それでもこの教室に集まっているのは、300という倍率を潜り抜けてきた、将来有望なヒーローの卵ばかりなのだ――そこに自分も含まれているとなると、妙に収まりが悪かった。

 何の気なしに飯田の動向を伺っていた名前は、彼が教室の出入り口の方へ向かったのを見て、そのまま彼の行く先を見た。そして、微かに頬を染めた。扉の前に立っていたのは、名前にとってひどく見覚えのある少年だった。


 あの人、と名前が呟くと、蛙吹が「知り合い?」と同じく教室の出入り口を見ながら言った。名前は小さく首を横に振る。ちょうど、少年の後からもう一人生徒がやってきていた。落ち着いた茶色の髪をした女の子だ。
「これで全員かしら」と、蛙吹が静かに呟いた。

 飯田達は元から知り合いだったのだろうか、彼らは三人で談笑し始めた。(別に聞き耳を立てているわけではないが)話し声は微かにしか聞こえず、何を話しているのかまでは解らない。それが止んだのは、1年A組の教室に新たに人物が現れてからだった。
 その格好でどうやってここまでやってきたのか、現れた男は寝袋に身を包んでいた。生徒ではないらしかったが、どうにも見覚えの無い顔だ。雄英の教師は、皆プロのヒーローの筈なのだが。
「先生、かなあ」
 名前が蛙吹に尋ねれば、彼女は「そうでしょうね」と同意した。
「随分くたびれているけれど……」蛙吹が言った。「ところで穴黒ちゃん、顔が赤いようだけど大丈夫? 熱でもあるのかしら」
 彼女の言葉に、名前はハッとなった。「べ、別に赤くなんてないよ!」

 静かになるまで8秒かかりました、と告げた寝袋の男性は、明らかに名前の方を睨むように見ていて、名前は今度こそ赤面した。

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