02

 ――やっちまった。
 名前は軽く絶望した。拍手が轟く大広間の中で、古惚けた帽子を手に持ったまま、少年は立ち尽くしていた。蝋燭がふわふわと宙に浮かび、満天の星がきらめく中、彼の周りだけ空気が凍ってしまったようだった。深緑色のローブを着た女性が、見兼ねて少年の背を押した。彼の歩いた先は、四つある長テーブルの中で一番騒いでいるところだ。席に着くと、握手やら何やらで少年は揉みくちゃにされた。
「ようこそ、グリフィンドールへ!」


 こうなる筈ではなかった。燃えるような赤い髪をした監督生の言葉を聞きながらも、名前の心は辺りの喧騒からずっと離れた所にあった。むしろ、組み分けの儀式が終わって食事も終わり、こうしてグリフィンドール寮に来るまでの間も、ずっと心ここにあらずの状態だった。こうなる筈ではなかったのだ。
 ――グリフィンドールだって? 勘当される!
 名前の父、名前・シニアはスリザリンの出身だった。というか簡単に言うと、がっちがちの純血思想をした男だった。名前が思うに、彼はマグルを人として見ていない。人の形をした何か別の生き物だと思っている。マグルどころか、マグル生まれの魔法使いに対してだってそうだった。もちろん彼は、自分の息子達にもそうあるよう望んでいた。もっとも、母親が死んでから、元から無口だったのに更に拍車が掛かったから、幸いにも弟の方はそれほど純血主義の教育を徹底されていない(いや、まあ、あいつはあいつでスリザリンに非ずは人に非ず的な考え方をしてはいるようだが)。
 自分の息子がスリザリンではない寮に入ったと知ったら、あの父親はどういう行動に出るのだろう。吠えメールとか普通に来るかもしれない。十一年間生きてきた中で、名前は吠えメールを見たことがなかった。脳裏に浮かぶのは、映画「秘密の部屋」のワンシーンだ。数日の間は、皆が居なさそうな時間を狙って朝食を取った方が良いかもしれない。流石にあれは恥ずかしい。
 レイブンクローならまだしも、グリフィンドールだ。勘当だ。
 退学になるという可能性も無いではないが、それ以上に親子の縁を切られる可能性の方がずっと高い。生まれ変わってからこの方、名前は名前・シニアという初老の男を父親だと思ったことはなかった。なので、別に親子の縁を切られたとしても一向に構わない。が、今はまずい。一般的な十一歳の男の子と同様に、名前には人脈というものが無いのだ。経済力も無い。知識もない。その他何もかもが足りない。

 黙っていたらばれないかな。名前は焦り過ぎた挙句、そう結論した。もちろん不可能なのだが、空想するだけなら自由だろう。
 何を聞かれてもはぐらかし続けて、家に帰った時も制服だけは見られないようにするのだ。友達と遊んだりする時も、家にだけは呼ばない。完璧だ。しかし所詮机上の空論だ。空想の産物だ。
 今年入学し、スリザリンに入った生徒の中には、名前の親戚だって居るだろう。そうでなくとも横の広がりが強いスリザリン家系だ、知り合いの誰かしらは今この時もホグワーツに居て、名前がスリザリンに組み分けされなかったことを知るだろう。そうして彼らが帰宅した際、血を裏切りグリフィンドールに入った名前のことを喋るだろう。簡単にばれる。
 卵が先か、ドラゴンが先か、だ。いや違うか。とりあえず、先で知るのと後で知るのとでどちらが具合が悪いか、それが問題だ。勿論後者だろう。下手をしたら殺されるかもしれない。名前の父親は純血主義だけに留まらず、死喰い人だった。例のあの人の支持者だった。彼から直接的に聞いたことはないが、人を殺すことだってわけないんじゃないか。どうも、新しい父親は合理的な思想の持ち主だ。グリフィンドールを輩出して、家名を汚すくらいならいっそ――預言者は記事に事欠かないだろう。
 そもそも、ホグワーツの理事の中に親戚が居るので、隠し通せる筈はない。それに、名前は今日の朝、ホグワーツに着いたらすぐに手紙を寄越すと約束させられたのだ。もちろん父親は、名前がどの寮に組み分けされたかを知りたいに違いない。しかも最優先で。名前が今考えるべきなのは、決していかにして隠し通すかではなく、どうやったら絶対に勘当させられないような文面を認められるかなのだ。
 これほどまでに気が重くなるような手紙が今まであっただろうか。高校生だった前世は大概メールで事を済ませていたし、手紙と言えば年始の年賀状くらいのものだった。確かに、魔法界では梟便というなんともアナログな手法が伝達手段の大多数を占めていたから、名前だって何度か書いたことはある。しかし、考えるだけで胃が痛くなるような手紙は一度たりとも出したことがない。
 赤毛の監督生(もしかして、ウィーズリー家の誰かだろうか? 教職員席に黒髪ベトベトのスネイプが居たことは確認済みだ。パーシーではなさそうだから、上の兄のどちらかかもしれない)の言葉を話半分に聞きながら、名前は胃がきりきりと痛むのを感じた。

 名前の胃を攻撃してくるのは何も、父への手紙の件だけではなかった。名前がグリフィンドールになって失望するのは父親だけではないのだ。予想だが、弟はますます名前のことを嫌うだろう。先にも言った通り、彼は超がつく程ではないが、それなりに純血思想の持ち主だ。
 弟は名前のことを嫌っていた。もっとも、これだって本人に直接聞いた訳ではない。ただ、ここ最近の彼の目付きと言ったらない。「兄さんなんてレタス食い虫くらい価値のない奴だ」と思われていること請け合いだ。名前の方は弟のことを好いているのだが、まあそう上手くはいかない。
 まあ、弟が名前を嫌うようになったのは、偏に名前の策略が上手く行き過ぎたからだったが。自分は何と言っても日本人の女子高生の生まれ変わりであって「名前」では無い。「名前」が貰うべき愛情は、全て弟が貰うべきものなのだ。名前は父親が兄よりも弟の方を好くように振る舞っていた。つまり、わざと馬鹿を演じたのだ。結果として、名前・シニアは長男よりも次男の方に愛情を注ぐようになった。そして弊害として、名前は弟に嫌われるようになった。それだけのことだ。今では父と弟が二人して名前を除け者にするくらいだ。自分でそう仕向けたのだが少し空しい。名前・シニアときたら、同じ名前の息子を見ながら、「お前なんて生まれて来なければ良かったのに」と口に出す始末だった。多分、弟も似たようなことを思っている。
 長男らしからぬ振る舞いをしてきた名前だったが、グリフィンドールに入ったことだけは自分の意思ではない。名前はスリザリンに入ろうとしていたのだ、本当に。
帽子を被っていた時、土下座する勢いで「スリザリンにお願いします」と脳内に唱えていた。流れ星を見た時に三回願いを言えば叶うと言うが、あんな感じで唱え続けていた。ハリーの「スリザリンはダメ」にも負けぬ劣らぬの勢いで唱えていた。
 しかし結果はこうだ。グリフィンドールだ。忌々しいぼろ布め。
 組み分け帽子は何と言っていたっけ? あまりに衝撃的すぎて、名前は何を言われたのかも忘れていた。確か、本質的にはどうとかこうとか。本質的にグリフィンドールだったということか。まったくどうしようもない。
 スリザリンに入ろうとしていたのは、常識的に考えて、そっちの方が生き易かったからだ。スリザリン家系の陰湿さときたら! 別に、スリザリン内で馬鹿をやるのなら良いのだ。彼らは身内には優しい、基本的に。だからこれまでと同じ、せいぜい周りから馬鹿にされるだけですむ。そして名前の評判が下がれば下がるだけ、弟が生き易くなるというものだ。兄馬鹿だろうが何だろうが、あの弟は出来が良い。頭がいいのだ。二年後に入学した時に名前の評判が最悪で、その弟だからと低く見られたとしても、彼ならむしろそれを比較対象にして上手くやっていく筈だ。最高の計画だった。
 しかしグリフィンドールに組み分けされてしまい、名前の計画は早くも崩れた。弟がどうこうより、自分の身が危ない。親戚も皆スリザリンばかりの家系なのに、まさかのグリフィンドール。針のむしろだ。ブラック家のシリウスよりはましかもしれないが、それでもだ。
 これからの事、手紙の事、弟の事を思うと、ひどく気が重くなった。

 どうやら話が――多分、注意事項とか、寮の内部、これからの生活についてだろう――終わったようで、一年生の集団が動き出した。名前も慌ててその後に続く。階段を昇った先で二手に分かれることになった。
「女の子はこっちよ」
 女の監督生が、ちびっちゃい女の子達を連れて消えた。
「男子はこっちだ」
 赤毛の監督生が歩くのに従って、名前達新入生もぺちゃくちゃとお喋りしながら左側の部屋へ向かった。
 (もちろんハリー・ポッターシリーズを愛読していた名前は、他の一年生よりもずっと詳しく知っていたのだが)男子寮は五人部屋で、それぞれのドアに名前のプレートが貼り付けてあった。監督生は、今日はしっかりと休むと良いと言って廊下の奥へ消えた。名前の部屋は、手前から二番目の部屋だった。
 そして、同室者の名を見て度肝を抜かれた。それはもう、自分がグリフィンドールに入ったことに始まり、何もかもが頭からすっぽ抜けるくらい驚いた。
「おい、おい、後ろがつまってるぜ」
 そう言われるまで、後ろに人が居ることすら本当に気付かなかった。
 振り返ると、燃えるような赤毛をした同い年くらいの少年が立っていた。顔にはそばかすが浮かんでいる。その少年はにやっと笑ってみせると、名前の脇をすり抜けて部屋へ入っていった。同じように、二人目の同室者が名前の横を通り抜けていく。先ほどの少年と同じ顔をしていた。


 これから七年暮らすことになる部屋をそれぞれが満喫した後、簡単に自己紹介をしようということになった。名前は未だ、赤い髪の少年から目が離せなかった。
「僕はフレッド。フレッド・ウィーズリー」
 フレッドはそう言うと、ふと名前の視線に気付いたらしい。彼は先程と同じように、にかっと笑ってみせた。底抜けに明るい笑顔だった。



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