名前にとって、“ヒーロー”とは極めて身近な存在だった。
 ――名前は第五世代だ。つまり、生まれた時から“個性”を持て余した悪が既に蔓延っており、同時にそれを抑圧する“平和の象徴”が存在していた。子供達は皆、常に笑顔で人々を救ける無敵のヒーローに、心からの安心と、何より強い憧れを抱く。もっとも、そんな平穏世代に生まれたからといって、その全員がヒーローを志すわけではなかったが。
 アルファベットのHを象ったその独特な校舎を見上げながら、名前は一人嘆息していた。
 ――どうして私、ここに居るんだろう。
 2月26日――国立雄英高等学校ヒーロー科の、実技入試が行われる日だった。


 “個性”を用いた犯罪数の増加に伴い、ヒーローという職業の需要も、同じく高騰の一途を辿っていた。しかしながら、“個性”の使用には常に危険が付き纏う。その上で“個性”を悪用する輩と戦うのだから尚更だ。――その為、ヒーローになる為には厳しい制限が掛けられている。つまり、資格が必要なのだ。
 全国で数あるヒーロー科の中でも、雄英高校のヒーロー科は、屈指の偏差値を誇っていた。理由としては、講師が全員プロのヒーローなので実践的な授業が受けられることと、著名なヒーローが多く卒業していること、何より1クラス20名前後しか――特にヒーロー科は2クラスしか設けられていないから、全体で40名前後、推薦入試で合格した生徒の事を考えると36名ほどしか――募集していない事がその最たるものとして挙げられるだろう。もしかすると、“平和の象徴”オールマイトが、ここ雄英の出身だからということも関係しているかもしれない。
 ヒーロー科に経営科、サポート科と、雄英にはヒーローに関わる三つの科が存在していた。経営科とサポート科、そして普通科も、他の国公立高校の平均を遥かに上回る偏差値と倍率を有していたが、やはりヒーロー科はその中でも群を抜いている。そして今、その最難関である雄英高校ヒーロー科の実技試験に、名前は挑もうとしていた。
「帰ろうかな……」
 小さく漏れ出た呟きは、雄英へ向かう受験生達の波に飲み込まれて消えていった。
 今、名前の目に映っている誰も彼もが、雄英志望の中学生だと思うと、非常に妙な心地がした。あそこの小柄な女の子も、変わった体つきの彼も、みんながみんな、ヒーローを目指しているのだ。今年の倍率は300を軽く超えているらしい。つまり一人が受かったなら、あとの二九九人は落ちるわけで――。
 しかしながら、名前は歩き出した――どうして自分が雄英高校に入りたいと思ってしまったのか、名前には解らなかった。それでも前に進むのは、いつまでも門の前で立ち止まっているわけにはいかなかったからだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。
 名前はヒーローのことを尊敬してはいるものの、ヒーローになりたいと、心の底から思っているわけではなかった。


 実技試験の概要を説明していたのは、ボイスヒーローのプレゼント・マイクだった。彼が言うには、名前達受験生はこれから各会場に分かれ、敵を想定したロボットと戦うことになるらしい。
 どうやら、単純に壊した数――ロボットの種類によって、設けられているポイントが異なっているのだ――を競うようで、名前は密かに安心した。名前の“個性”は加圧、触れた相手に負荷を掛けるというものだ。ロボットを相手にするという今回の試験の場合、比較的楽に動けるだろう。もっとも、ポイントを得るために仮想敵を破壊する必要はなく、ただ行動不能にすれば良いらしい。
 上手く使えれば良いんだけど、と、名前は自分の掌を見詰めた。
 “個性”の発揮は厳しく制限されているため、今までの人生の中で思い切り使ったことなど殆どなかった。せいぜい、うっかり発動しないように気を付けていた程度だ。しかしながらその条件はこの場に居るライバル達も同じなわけで、不安を感じているのは名前だけではない筈だ。

 ――かの英雄、ナポレオン=ボナパルトは言った。真の英雄とは、人生の不幸を乗り越えていく者だと。
「それでは皆、良い受難を!」プレゼント・マイクの激励を背に、名前達は歩き出した。


 雄英の敷地は広大で、名前達の実技試験会場である模擬市街地も、一つ一つがかなり大きかった。まるで本物の街のようだ。響き渡るプレゼント・マイクの声を合図にスタートした名前達は、それぞれの会場に着くと、各々の“個性”を生かして配置されている仮想敵を倒し始めた。あちらこちらから、騒がしい音や大量の土埃が運ばれてくる。
 名前が思った通り、名前の“個性”は今回の試験にはとても有利に働いた。素早く動く1Pの敵にはなかなか近付けなかったが、足元に空間が広くある2Pの敵や、逆に機動力の低い3Pのロボットには比較的楽に触れることができた為、行動不能にさせることは容易かったのだ。数を競うことを想定されているからか、機体の大きな3Pでも力を籠めれば破壊は可能だったし、そもそも動かなくさせれば良いのだから、関節部さえ破壊してしまえばそれで良い。
 そして、“それ”が現れたのは、名前が27ポイントを稼ぎ、この模擬市街地にはいったい何体の仮想敵が配置されていたのだろうかと、不安に思い始めた時だった。

 プレゼント・マイクは受験生が七つの会場に分かれて実技試験に臨むことや、会場にそれぞれ仮想敵のロボットが配置されていること、またそのロボットが全四種だということは教えてくれたが、その総数は明かしてくれなかった。辺りに見えるロボットは粗方壊れていて、これ以上のポイントを稼ぐには、より広範囲に渡って捜索しなければならない筈だ。しかし既に終了まで三分を切っており、それ以前に仮想敵がまだ残っているのかどうか。
 さっきからよく見掛ける眼鏡の男子は既に40P近く稼いでいるようだし、やはり僅かな残り時間でも、他の場所に仮想敵を探しにいくべきか――。
 名前が自分の探索能力の無さを痛感した時、不意に大きな地響きが受験生達を襲った。見上げれば、黒い影。

「なっ……――」名前は言葉を失くした。
 数十メートルもあろうかという巨大なロボットが、市街を破壊しながら姿を現したのだ。見覚えがあるのは当然で、仮想敵の、四種類目のロボットだった。プレゼント・マイクはあれを邪魔なギミックと称したが、巨大過ぎるその姿は、名前達にしてみれば恐怖の対象でしかない。
 我先にと駆け出した受験生達に紛れ、名前も走り出した。いくらなんでも、“あれ”に立ち向かうのは無茶だ。倒せる見込みも無ければ、得られるポイントだって無いのだ。途中、パニックになっている受験生に逃げるように促したり、逆に落ちてきたコンクリート片から守ってもらったりしながらも、名前達は必死で走った。そして、聞こえてきた轟音にうっかり振り返ったのは、名前だけではなかった。

 かろうじて名前が見えたのは、崩落している巨大ロボットと、その後を追うようにして落ちていく、一人の少年の姿だった。


 名前達が呆気にとられている内に、拡声された合図が響き渡り、実技試験は終了となった。少年が――同じ受験生の彼が0Pに向かって飛び出したことや、そもそもあの巨大ロボットを一撃で粉砕してしまうような“個性”に驚きつつも、名前の耳には誰かがぽつりと言った言葉が不思議といつまでも残っていた。「とりあえず、すげぇ奴だってのは間違いねぇよ」
 一週間後、名前の元に一通の手紙が届いた。雄英高等学校ヒーロー科の、合格通知だった。

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