四年越しの自己紹介

 何故こんな事をしているのだろうと、思わないわけでもない。しかしながら名前はゲーセン通いをやめないし、そもそもやめる気もなかった。昔は、わるい人をやっつける、などと言っていた筈なのに。むしろ、今は名前の方が、どちらかと言えばわるい人ではなかろうか。堕落しているという意味で。パートナーのガーディも、最近ではゲームセンターに入り浸る名前に呆れているらしかった。まあ、彼は鼻が良過ぎるせいで、元より煙草の煙が充満している此処には居たがらないだろうが。
 ――世の中にあるすべての事象をタイプ別に分けられるならば、スロットなるものは恐らくあくタイプに違いない。
 煙草を燻らせながらボタンを押すものの、愛しのスリーセブンは揃わなかった。排出口からは数枚のコインが転がり落ちてきて、名前は再びそれをマシンの中に二枚三枚と入れる。汗水垂らして働いて稼いだ金、それを魔の機械に投げ捨てるのにも、ここ数か月ですっかり慣れてしまった。最近では、スロットで生計を立てている人間とポケモン勝負で生活している人間、どちらがよりマシだろうかと考えながらスロットを回している――恐らく断然後者だとは思うし、名前だってそう思っている。

 嗅ぎ慣れた匂いが鼻を擽ったが、名前は一度たりとも顔を上げなかった。しかしながら、声を掛けられては返事をしないわけにもいかない。後から思ったのだが、ゲームセンターの騒音に掻き消されたことにして、しかとを決め込んでも良かったのだ。この男の声は別に特徴があるわけでもないし、そもそもそれほど大きな声でもなかった。
 調子はどうよ、と男は言った。名前と同じく煙草を口に銜えている。
「どーもこうも」名前としては少々大き目の声を出したつもりだったが、彼には聞こえなかったようで、肩を竦めてみせれば男はようやく笑った。「良くもないし、悪くもないね」
「そうか? 結構出てるように見えるけどな……」
 男は――名前と同じくこのヤマブキゲームセンターの常連である男だったが、名前は彼の名前を知らなかった――名前の足元を見ながら言った。今、名前の足元にはコインで満杯になった箱が二箱積まれている。
 言われてみれば、ついてる方かな……そんな事を思いながら再びボタンを押せば、今度は一つも絵柄が揃うことはなかった。再度レバーを引く名前。そして、気付けば男が隣の台に座っていた。曰く、運を分けて貰おうと思っての事だそうだ。


 この日何度目かのスリーセブンに、心なしか気分が高揚する。じゃらじゃらと溜まっていくコインを眺めていると、隣から「うおっ」と声がした。名前が声のした方を向けば、隣に座っていた男が名前の大当たりを見て呆然としているところだった。二時間ほど前に短い会話を交わしたことは覚えていたが、まだ隣に座っていたのかと半ば驚く。
「マジかよ……すげぇな姉ちゃん」
「どうも」
 どう返せばいいのか解らず、言葉少なにそう言った。男の目は未だ名前のドル箱に釘付けだったが、そんな彼の方はと言えば箱の半分も埋まっていなかった。さっきの台は駄目だったと呟いていたが、どうも今日の彼はついていないらしい。
 何となく気まずくなって、コインが出終わると、名前は手持ちの箱を男に差し出した。男は目を丸くさせたが、「いやあ悪いな」などと言いながらも、躊躇なくそれを受け取った。笑っている。
「別にそういう意味じゃなかったんだけどよ」
「いや、いいですよ。ついてない時はお互い様です」
「悪いな」再びそう言いながらも、男は早くもコインを投入していた。電光板が、ぴかぴかと明滅を始める。
「ドガース好きに悪い奴は居ないってほんとだな」
「……はあ」
 何故解ったんですかと尋ねれば、男はレバーを降ろそうとしていた手を引込め、名前の方を振り返った。名前は漸く、男の左目の下に泣きぼくろがある事に気付く。男は自身の鼻を指差すと、「臭うからな」と小さく笑った。
 確かに、名前がドガースを持っていることは事実だ。もっとも「ドガース好きに悪い奴は居ない」、などという言葉は聞いたことがなかったが。
「ついでにお姉ちゃん、煙草も一本くれると嬉しいんだがな」
 切れちったと笑う男に、名前は無言で煙草の箱を差し出した。男は三度目の「悪いな」を言い、それから「おっ」と感嘆の声を上げた。
「こっちも同じか。気が合うな姉ちゃん」
 何のことかと一瞬考えたが、すぐに気が付いた。煙草の銘柄のことらしい。そりゃそうだ。名前が煙草を吸い始めたのは、この男の存在を認識し始めてからなのだから。彼が愛用しているものと、同じ銘柄を探し当てるのにはいささか苦労した――悪臭を放つドガースを捕まえたのだって、元を辿ればこの男の影響だ。
 照れるねと、男が呟いた。

 店内は騒がしかったが、男の声は不思議とよく聞こえた。「にしても、昼間っからこんな所に居ていいのかい? お巡りさん?」
 名前が男を見遣ると、男はにっこりと笑っていた。しかしながら、名前が別段反応を――驚いたり、恐怖の表情を浮かべたりだ――返さなかったからだろうか、つまらなそうに煙草を銜え、火を付けそのままふかし始めた。
「辞めましてね」
「ん?」
 独り言のつもりで呟いた名前だったが、男は聞き逃さなかったらしい。ばつの悪い思いをしながらレバーを引き、そのままもう一度「辞めましてね」と名前は言った。目の前の機械がじゃらじゃらと喧しい音を立て始めた。「二か月か……三か月は経ってないと思うんですが、少し前に辞めましてね、警察を。今はこのざまですよ」
 男は暫く黙っていた。「……へぇ」
「なんつうか、ご愁傷様だな」
「いや別に、そんな気まずそうに言ってもらう必要はないんですよ。辞めたのは私の方からなんで」
「そうなのか?」男はそう言ってから、ゆっくりと煙を吐き出した。「けどよ、何で辞めたんだ? そりゃ、まあ色々キツい事はあるだろうが、安定してるだろうし、何より良い仕事だろ? 警官ってのは」
「何でって……あんまり答えたくないんですけど」
 嘘だった。別に絶対に知られたくないわけではない。もっとも、理由らしい理由がない事も事実だったが。まあしいて言えば、人間関係に疲れたからだろう。それに偽善を振りかざすのも、自分の正義を疑うことにも疲れてしまった。男はそれ以上は尋ねず、ただ一言「似合ってたのにな」と言っただけだった。


 警官一人一人の顔を覚えているんですかと名前が問えば、男は「人の顔覚えるのは得意なんだ」とどこか自慢げに言った。
「うらやましい。私はそういうの苦手で」
「ま、俺達は顔もいじくるしなあ」男は煙草を燻らせた。白い煙がゆるやかに立ち昇っていく。「それに、俺様変装得意だし?」
「へぇ」
「姉ちゃん信じてないだろ」
 ていうかよ、と男が言った。名前に“あなた”などと呼び掛けられるのは、どうにも違和感が拭えないのだと。男は、自分のことをラムダだと名乗った。仲間内ではそう呼ばれているのだと。
「ラムダ……」
「おう」
 ロケットの名前ですねと呟けば、結構気に入っているのだとラムダは笑った。

 名前はラムダの名を――もっとも、このラムダという名前だって、本名というわけではないだろうが――知らなかったが、ラムダの方は名前のことを知っているものとばかり思っていた。名前が警察を辞めた理由や、ドガースを連れ歩いている理由と同じように、名前だってとっくに知っているのではないかと。
 改めて名を名乗れば、ラムダは「これで漸く名前を呼べる」と笑ったのだった。

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