ヒーローのすゝめ

 名前の顔を見るなり、やぁと手を上げてみせたその相手に、少しばかりの苛立ちが募った。

 無言のまま彼の隣に座り、準備を始める。そんな名前に痺れを切らしたのか、彼――オールマイトと呼ばれる平和の象徴は、「ヘイ!」と名前に声を掛けた。仕方なしに、「何ですか」と彼を見遣る。実に義務的な返事だったと思うのだが、それでもオールマイトは嬉しいらしく、いつもと同じように明るい笑顔を浮かべた。
「何だい何だい、もしかして私の顔を忘れちゃったのかな!?」
 名前が顔を顰めてみせても、オールマイトは少しも気にしていないらしい。「まさか」
「そう! 私の名は! オ――」
「オールマイトさんさっさと胸出してください」
 それから体温も、と体温計を差し出す。
「……至極健康体なんだがね」
 ただちょっと疲労が溜まっちゃってるかなと小さく呟くオールマイトに、名前は白い眼を向けた。
「健康体で医者にかかる方なんていませんよ」
「んんん、まあそうなんだがね」
 オールマイトが、自身が着ている妙にサイズの大きいTシャツをめくり上げる。左胸中央から広がる古傷は痛々しいが、名前はすっかり見慣れてしまっていた。もっともそれは名前が医者だからではなく、偏に名前が過去、幾度となく彼の治療に当たっているからだ。

 名前の目の前に座っているオールマイトは、テレビで目にするオールマイトとは少々違っている。敵との戦いで負った傷、そして度重なる手術のせいで、彼の体は憔悴し切っているのだ。彼曰く、彼のその姿を知っている人間はさほど居ないのだとか。ついでに、彼を治療するに当たり、当然オールマイトの本名も知っているわけだが、“オールマイト”と呼んだ方が心なしか喜ぶので、名前はそう呼んでいる。肉体的なものだけではなく、精神的なケアに努めることも医者には必要なのだ。
 聴診器をオールマイトの胸に当て、そこから聞こえる音を聞く。心臓も肺も特に異常はないようですねと口にすると、頭上で「そうかい」と声がした。その声が少しばかり嬉しそうなのは、名前の勘違いではないだろう。
「言っておきますけど」聴診器を耳から外しながら名前が言う。「他の人よりずっと弱ってるんですからね、あなたの肺も心臓も。ヒーローにしたって弱り過ぎです――その上で、雑音が無いってだけですから」
 シャツを元通りにしながらも、オールマイトは小さく苦笑した。「名字先生はいつもクールだなあ」
「あなたが熱過ぎるだけじゃないんですか」
 ハハハと笑うオールマイト。「つれないなあ」
 名前はオールマイトを一瞥した。名前が彼と初めて会ったのは――テレビで見る姿ではなく、こうして医者と患者としてだ――今からちょうど五年前だ。その頃よりは回復しているとはいえ、彼の体力は衰える一方だ。身体も見るたびに細くなっている。
 名前が口にするよりも先に、オールマイトの方から手を差し出した。名前は開こうとした口を閉ざし、そのまま彼の手を握る。名前の手よりも大きなそれは傷だらけで、今や骨と皮ばかりだ。――触れている相手の体力を回復させる、それが名前の持つ個性だった。


 いい年をした男女が、密室で二人きり、手と手を握り合っている。それだけを聞けば恋人同士のようだが、実際は単なる医者と、その患者でしかない。
 赤の他人の怪我や病気を治すという性質上、その反動も大きく、名前が個性を発揮できるのは一日最大二時間ほどだった。普通の怪我人相手なら十分ほどで良いものの、疲弊し切ったヒーロー相手ではそうはいかない。ひどい時には二時間ずっと手を握っていたこともある。もっともこの日は定期健診のようなものだったので、一時間ほどで良い。二十分ほど無言で過ごした二人だったが、不意にオールマイトが口を開いた。
「先生、このやり方、もうちょっとどうにかならないかな」
 名前は読んでいた医学書から目を離し、オールマイトの方を見た。いつも笑顔のヒーローが、少々気まずそうにしている――ように見えないこともない。
「制限の多い個性ですみませんね。私のことは空気と思ってくだされば結構です」
「いやいや、そうじゃなくてね」
「何なんです、私が男性でないだけ良かったんじゃないですか」
 それとも四六時中一緒に居て回復させろということですか、と尋ねれば、オールマイトは口を結んだ。肯定なのだろうか。まあ確かにその方がオールマイトの負担は減るかもしれないが、名前だって医者として働いているのだから、彼ばかりに時間を割いているわけにはいかない。
 それはまあそうなんだがねと、オールマイトは呟いた。
「もう少し、こう、時間を時間を短縮させることはできないだろうか?」

 はぁ、と間の抜けた返事をすれば、「それは相槌かい、それとも呆れの溜息かい?」とオールマイトは苦笑した。
「君も知っての通り、私はヒーローだ。こうしている間にも敵が悪事を働いている。こんな所でじっとしている時間はないんだよ」
 真剣な表情で名前を見詰めるオールマイトは、確かにヒーローとして相応しい姿だった。名前は再び、はぁと相槌を打つ。まあ、彼の言うことに一理も無いわけではない。
「そうですね」名前が言った。「なら時間を短くしますか。回復も少なくなりますけど」
「いやそうじゃなくてね」
 再びオールマイトが否定の言葉を口にした。
「申し訳ないんですけど、回復のスピードは変わらないんですよ。そりゃ、触れている面積を増やせば多少は速くなりますが」
「じゃあそれで――」
「でも私への反動が大きくなりますし、回復できる量も減るので、効率が悪くなるんですよ」
 名前がそう言うと、オールマイトは口をつぐんだ。

 暫くしてからオールマイトが言った。「本当につれないな、名字先生は」
「私と先生の仲じゃないか」
「妙な言い方しないで下さいよ」名前は眉を顰めた。「それに、私としてはできれば二度と会いたくないんですから」
「ヒドッ!」
「私があなたに会う時って、大概大怪我してる時じゃないですか」
「あ、あぁ、そういう……」
 オールマイトは小さく「私に会うのが嫌なのかと思ったよ……」と呟いた。
 名前が本に視線を戻すと、オールマイトはその肩を掴んで引き戻す。どうやらまだ話は終わっていないということらしい。
 ともかく、私は一刻も早く現場に戻らなければならないんだ――彼はそう言った。それがヒーローというものであり、“平和の象徴”の務めなのだと。市民を人々にするのがヒーローという事ですかと尋ねれば、オールマイトは嬉しそうに笑った。ほっとしているようでもある。
「それじゃ、あなたはヒーロー失格ということになりますね」
「……何?」

「私は」名前が言った。そして、珍しいことに動揺しているらしいオールマイトをじっと見詰める。「あなたが怪我をするのは嫌なんです。仕事が増えるからとか、そういう事ではなく嫌なんです。本当なら、一日三時間のヒーロー活動だって今すぐにやめて欲しいんですから」
 目の前の女一人幸せにできないのに、何がヒーローって話ですよねと名前が言うと、オールマイトは少しの間の後、小さくあぁと呟いた。


 名前は再び本に目を戻したものの、ヒーローからの無言の視線に耐え兼ねて、「寝てていいんですよ」と言った。
「先生、話し相手になってはくれないのかい」
 名前はオールマイトを見る。オールマイトも名前を見る。
「いやですよ。暑苦しいんですもん、オールマイトさん」
「つれない……」
 名前は小さく笑った。「本でも読んであげましょうか」と名前が言えば、オールマイトは「医者にでもなるか」と苦笑を浮かべた。

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