猫舌な二人

 むしり。いつものように、ゆで卵の殻を剥く。もっとも、蛇と呼ばれる個性を持った名前は、別にこのままでだって食べることはできるのだ。消化だって問題ない。ただ、食堂などという不特定多数の生徒が居るこの場所で、滅多なことはしたくない。いくらヒーロー志望だって、人目は気にするのだ。四月のこの段階で変人のレッテルを貼られては、これから三年間の学園生活がだいぶ辛くなってしまう。
 大きめに剥けた卵の殻を、何の気なしに握りしめる。当然のことながら殻はばらばらに砕け、名前の手のひらから零れ落ちた。薄皮に張り付いたままになっている破片が、いやに気に障った。結局手の中に残っていた玉子の殻をぱっぱと振り払い、名前は視線を上げた。名前が席についたその少し後にやってきた彼女は、ずっと名前を見詰めていた。彼女の前にはすっかり冷め切った日替わり定食が置かれている。「名字ちゃん私ね」

 昼時特有の喧騒の中、一言も発さずに名前を見続けていた彼女の名前は蛙吹梅雨。名前と同じくヒーロー科に在籍している生徒だ。もっとも名前はB組、彼女はA組だったが。
 蛙吹と知り合ったのは入試の日、たまたま実技試験の会場が同じで、そこで知り合った。――以来、こうして妙に付き纏われている。まあ入学からそれほど日も経っていないわけで、少しでも見知った者と居たいという気持ち自体は解らないでもない。別に名前から名を尋ねたわけではないし、むしろろくに口を利いてもいないのだが、何故蛙吹に気に入られているのかよくわからない。蛇と蛙、相容れない存在の筈なのだが。
 じいと見詰められ、仕方なく口を開く。「何だ蛙吹」
「梅雨ちゃんと呼んで」
「何なんだ、蛙吹」
 蛙吹は少しばかり口を尖らせた。口の端から細長い舌が覗いている。どうも、彼女は何が何でも“梅雨ちゃん”と呼ばせたいらしい。もっともその対象は名前だけではないのだが――しかしながら名前は蛙吹のことを蛙吹と呼ぶし、彼女はそのたびに「梅雨ちゃんと呼んで」と訂正を入れるのだった。このやり取りだって、何も今回が初めてというわけではない。
「私、思った事を何でも言っちゃうの」
 そんなことは知っている――名前は心の中でそう答えた。ついでに、名前が何故知っているかといえば、彼女との会話の節々からその質を読み取ったわけではなく、彼女が以前にも同じことを口にしたからだ。
 何か言いたいことでもあるのだろうか。そんな事を思いながら、名前はゆで卵を口に運んだ。既に殻は全て取り除かれている。何個目になるか解らない卵を口に入れた時、唐突に蛙吹が言った。「そうやってゆで卵呑み込んでる名字ちゃん、とても格好良いわ」


 盛大に咽込んだ名前に、やや焦り顔の蛙吹が机の向こう側から水を差し出し、隣に座っていた見知らぬ生徒にも背を叩かれる始末。食べ物を丸呑みにするのはいつものことなのに、どうも腹の中に違和感がある気がする。
「――いきなり、何を言うんだ」
 ようやく呼吸も落ち着いた。名前がそう問い掛けると、蛙吹は小さく首を傾げた。そのまま定食を食べ始める。
「気に障ったなら謝るけど」蛙吹は言った。「そう思ったんだもの。仕方ないわ」
 食べていたてんぷらを飲み込んだ彼女は、小さく「でもそうね」と言った。それからケロと鳴く。
「玉子ばっかじゃ栄養偏っちゃいそう」
 ――別に、卵ばかり食べているわけではない。
 個性による体質上、名前の口はあまり咀嚼に適していない。すると本物の蛇のように丸呑みが主となってくるわけだが、ランチラッシュが提供してくれる食事の中でそれができるのがゆで卵だけだったのだ。おかげで、ランチラッシュには「ゆで卵くん」と呼ばれるようになったし(そして顔を合わせるたび、米を食えと言われる)、山盛りのゆで卵で怪訝な目で見られるのにもすっかり慣れてしまった。
 そりゃ玉子以外だって食べられるが、すると結構グロいことになるので人前では遠慮しているだけなのだ。そもそもまず顎を外さなければならないし。

 蛙吹は無論、その辺りの事情を知らない。彼女はごく自然な手付きで、自身の皿から海老のてんぷらを名前に差し出した。付き合っているわけでもないのに平然とそういう事ができる蛙吹に驚くやら、ゆで卵と海老天じゃどちらにしろ偏っているのではないかとか、色々と言いたいことはあった。しかし結局、名前はそれらの件には突っ込まなかった。
「すまんが、俺は熱いものは食えん」
 変温動物なんでなと言うと、少しの間の後、蛙吹は笑った。「平気よ。私も、猫舌ならぬ蛙舌だから」
 ちゃんと冷めてるわと付け足す彼女に、どういう反応を返せばいいのか。
 彼女も熱いものが食べられないから、定食を受け取った後も暫く手を付けなかったのかとか、いろいろ思うところはあった。それに彼女が何故名前を構うのかも解らなければ、このまま齧り付いて良いのかもよく解らない。ただ、「おんなじね」と笑う彼女の顔が、いやに印象的だった。

 彼女は冷めていると言ったが、一口で呑み込んだてんぷらはやはり名前には熱く、暫く視覚だけで動くのに苦労した。

[ 83/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -