――名前は、不器用である。
 もっとも、別に要領が悪いわけではないのだ。でなければ、いくら手持ちポケモンのポテンシャルが高くとも、八つのジム全ての制覇などできない。名前は確かにポケモントレーナーとしてはそこそこの腕前を持っていると自負しているし、実際その通りの筈だった。しかしながら、ポケモンバトルのセンスと、手先の器用さはまったくもって比例しない。
「これは……」
 小さく呟くズミに、恥ずかしいやら情けないやら。その隣で気まずそうにしているガメノデスが、余計に名前の羞恥心を煽る。――そりゃ、彼はズミの元で暮らしているのだから、さぞ珍しかろう。芯まで炭化した目玉焼きなんて!
 フライパンに焦げ付いた玉子は、無残にも真っ黒に焦げ付いている。良い具合に焼けたと思って――焦げてしまうよりは生の方が良かろうと、早めに動きはしたのだ。目玉焼きなら多少生焼けでも良いだろうし――皿に移そうとしたのだが、その時には玉子の裏面はしっかりとフライパンに焦げ付いていた。
 誰だ、フッ素加工なら焦げにくいとか言ったのは。
 もたもたしている内に玉子は白く固まっていき、何度もフライ返しを入れる内にぐちゃぐちゃになっていた。ガメノデスに呼ばれたズミが気付いた時には時既に遅く、名前の手の内にあるのはすっかり黒くなった可哀想な玉子だけだった。
 うううと小さく呻けば、ズミもまた小さく「あー……」と声を漏らした。

「玉子というものは」暫くしてからズミが言った。「扱いが難しいものです。黄身と白身で焼ける温度が違いますし、そもそも玉子全体の温度で――室温に戻しておいた玉子か、冷蔵庫から取り出したばかりの玉子かで――焼け具合は変わってきます。玄人だって、その扱いには苦労する」
 ズミはそう言ってから、傍らに控えているガメノデスに指示を出した。彼の右手の先から水が噴出され(みずのはどうだろうか?)、フライパンが半分ほどそれに満たされる。じゅっ、と、僅かに沸騰する音がした。名前のフォッコが興味深そうにそれを眺めている。「目を離した私も悪かった」
「ううん、ごめん。せっかく教えてくれたのに」
「気にするな。最初は誰でも失敗するものです」
 もう一度ごめんと呟けば、ズミは苦笑を漏らし、それから名前の額を指で弾いた。
「まあ……まさかここまで下手だとは、私も思っていませんでしたので」
「ちょっと!」
「ホープトレーナー以下……」
「ズミくん!」
 微かに笑ったズミに、安心するやら気恥ずかしいやら。


 別なフライパンと、新しい玉子を取り出したズミにびくりとしたが、ズミは「先に手本を見せた方が良かったやもしれません」と言って、そのまま自分で玉子を焼き始めた。そこからは早かった。
 手慣れた動作で油をひき、それからこんこんとリズミカルに玉子を割り入れる。当然のように片手でだ。一つ、二つとゆるやかにフライパンに落とされたそれは、段々と色が変わり始める。そこへズミは少量の水を入れ、すかさず蓋をする。ガラスでできたそれは、俄かに水蒸気で白く覆われていった。黄身の黄色が微かに見える。
「玉子は片面で良かったですか。それとも両面?」
「はい?」
「焼き加減は半熟が良いですか? それとも固焼き?」
 フライパンに目を向けたまま、淡々と尋ねてくるズミに半ば困惑する。何を聞かれているのかは解っている筈なのに、彼の流れるような手付きに見惚れていたせいで、質問に上手く答えることができない。
「レア? ミディアム? ウェルダン?」
「は、半熟! 半熟で!」
 くすりと笑みを漏らしてから、「了解」とズミは呟いた。
 名前が未練がましく握っていたフライ返しを横から掠め取ると、フライパンの蓋を開けた。立ち上る水蒸気の下から、鮮やかな白と黄色が顔を覗かせる。ズミは目玉焼きとフライパンの間に上手くフライ返しを入れ、そのままくるりと腕を回した。玉子は黄身が破れることなくフライパンから剥がれ、ズミの手にするフライ返しの上に乗っている。半熟の玉子がふるふると震えたのを、名前は確かに見た。
「名前」ズミが言った。「皿を取ってくれますか」
 名前が慌てて皿を差し出せば、その上に美しいとさえ言えるような目玉焼きが乗せられる。次の瞬間にはズミは二つ目の玉子に手を出していて、気付けば皿の上の目玉焼きは二つになっていた。
 ただの焼いた玉子の筈なのに、ふんわりと美味しそうな香りが名前の鼻をくすぐった。そりゃ、フライパンと玉子は別物だが、コンロだってフライ返しだって同じものを使った筈なのに、どうしてこうなったのか。さっぱり理解ができない。
「焼けたと思ったら、もう火は緩めて構いません。あなたの場合、止めても良いかもしれませんが……フライパンの余熱、それだけで加熱が進んでいくことを覚えておいて下さ――何をおかしな顔をしているんですか」
 マメパトが豆鉄砲でも食らったような顔をして、とズミが言った。いったいどんな顔をしているのか自分ではよく解らなかったが、これだけは解る。「ズミくんて凄いね……」

「私、こんな美味しそうな目玉焼き、初めて見た」
 そう言ってズミを見遣れば、彼は随分と渋い顔をしている。「たかが目玉焼きですよ」
 私からしてみれば何故できないのか、その方が不思議ですがねと付け足したズミに、今回ばかりは少しも腹が立たなかった。そりゃ、目玉焼きなんてホープトレーナーでもできるような、簡単な料理なのかもしれない。しかしながら、いくら料理が下手な名前だって、ズミの料理の腕が超一流であることは解るし、そこに到達するまでにどれほどの時間が掛かったのかくらいは想像ができる。
「ほんと、ズミくんって凄い。これからはズミ先生って呼ぶね」
「先生はやめてください」
「ズミ先生……」
「やめろ」本気の声音だった。


 フッ素加工ではなくテフロン加工なら上手くいくのかなと、先ほどまでズミが手にしていたフライパンを見詰めていた名前だったが、「何してるんです」というズミの声に慌てて後ろを振り返った。「焼き立ての方が美味しいですよ」
「まあ……夕食には少々早いですし、どちらかというと朝食のような献立ですが」
 先ほどの目玉焼きは食卓の中央に置かれ、ズミがその周りに二人分の食器を並べている。
「えっ! 食べていいの?」
「あなた何の為に焼いたんですか」
 しかし目玉焼きの他は、と妙な不安が頭を過ったが、全ては杞憂だった。名前が唖然としている間に、緑が瑞々しいシーザーサラダ、微かに湯気の昇っているマッシュポテト、焼き立てかのような香りのロールパンと、次々に並べられていく。いつの間に作ったのと問い掛ければ、あなたが玉子と戦っている間にですよと笑われた。
「玉子はいつでも焼けますから」そう言ってワインボトルを傾けるズミ。ガメノデスが差し出すグラスを慌てて受け取り、そのまま注いでもらう。結局その日、名前はまともな目玉焼きを焼くことができなかったが、少なくとも、炭を作り出すことからは卒業した。

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