「今……何と、仰いましたか」
 眉根をぐっと寄せ、低い声で訊ねるズミに、名前は思わず身を強張らせた。起き掛けなのだろうか寝間着姿なことや、髪もセットされていないことからだろうか、彼から感じる威圧感が半端ない。確かに日曜の朝っぱらから訪れたのは悪かったと思っているし、シェフであり、四天王でもあるズミが多忙を極めているだろうことも解っている。
 そりゃ、プライベートを邪魔されれば機嫌も悪くはなるだろう。
 しかしながら、一般人である名前が、今やカロスの有名人であるズミに会えるのは、彼が自分の家に居る時しか残されていなかったのだ。勘弁してほしい。
 ズミとは博士から図鑑を託された時からの付き合いだ。しかし、ここ数年はホロキャスターで連絡を取るくらいだった。直接顔を合わせたのは何年ぶりだろう。もしもこれが数年ぶりの再会でなければ、いくら名前であっても、ズミの眉間は万年皺が刻まれていることを思い出したかもしれなかった。
「そ、その」声が微かに震えた。「ズミくんに、料理を教えて……もらえないかなって」
 無反応のズミに、段々と名前の声は小さくなっていく。最後に「思いました……」と小さく付け足した時、ズミが初めて反応を示した。目頭に手をやり、小さくハァと溜息をつく。
「ご……ごめ――」
「まさか、貴方からそんな言葉を聞くとは……」ズミが言った。「このズミ、いたく感動しました」

「……え」
 名前は、目の前に立っているズミをまじまじと見詰めた。聞き間違いかと思いはしたものの、ズミが何も言わなくなってしまったので判断が付かない。感動したと、彼はそう言っただろうか。
 本人の目元が隠れているのを良いことに、不躾なまでに観察する。フォッコの体毛のように明るい彼のブロンドは、子供の時から少しも変わっていない。逆に、身長はかなり伸びている。昔は名前の方が背が高く、恨みがましい目で見られたものだったが。
 ズミの切れ長の瞳と目が合い、少しばかりどきっとする。
「料理なんて時間の無駄だと、そう仰っていたのに……」
「なっ、む、昔の話だもん!」
 眉は顰められているものの、どこか感じ入っているらしいズミに、独りでに頬が熱くなる。羞恥心もあるが、それ以上に彼が自分の些細な軽口を覚えていてくれたことが、何より嬉しく感じられた。単純だなあと、我ながら思う。


 名前は料理が苦手である。苦手というか、とてつもなく不器用なのだ。卵を焼けば炭ができ、野菜を切ればすべてが赤く染まる。そりゃ、料理も嫌いになるというものだ。――親が共働きであまり家に居なかったせいか母親と一緒に料理をした記憶もないし、自分のポケモンを持ってからはポケモントレーナーとして腕を鳴らしてきた。そんな名前がまともに料理をできないのは当然のことで、正直な話、ここ数年まともに包丁を握った覚えがない。
 だって、自分で料理するより、買って食べた方がよっぽど美味しいじゃないか。
 だからこそ、名前はズミのことを尊敬している。ポケモントレーナーとしても、料理人としても。名前は料理人としてのズミのことはよく知らなかったが、彼が料理人としてカロス中に名を馳せるよりも前に、一度だけ彼の作った料理を食べたことがあった。こんなに美味しいものを同じ年の少年が、しかも昔からの知り合いであるズミが作れるのかと、色々と衝撃を受けた覚えがある。あの時のガレットより美味しいものを、名前は今までに食べたことがない。

 ポケモントレーナーとして旅をしている間、名前は大概ポケモンセンターで食事を済ませていた。――どこの町にでも必ず一軒は存在するポケモンセンターは、国の公的施設だ。ポケモンの回復はおろか、トレーナーカードさえ有していれば、ポケモンの回復だけでなく食事や宿泊まで提供してくれる。しかも、無償で。ミアレの出版社に勤め始めた今でも、名前は時折ポケモンセンターを食事処として利用している。
 ズミは反対に、トレーナー修行をしている間も三六五日、三食全てを自分で作っていたらしい。もっともそれは後から知ったことだったが、正直彼が“伝説のシェフ”と呼ばれるようになった今でも信じられない。確かに彼は料理が好きで料理人になったのだろうし、その事は昔から変わらないのだろうが、不器用な名前からしてみれば、よくもまああんなに面倒なことをずっと続けていられるなとも思う。
 数年前に――名前もズミも、まだトレーナー修行の旅を続けている時だ――三食全てをポケモンセンターで済ませていると言った時の、そのズミの顔と言ったら。
「時間の無駄、金の無駄……手間が掛かるだけとも仰っていましたか?」
「やっ」名前は、自分の顔が俄かに赤くなったことがわかった。「やめてってば!」
「まともに料理をやる人間の気が知れない、とも言っていたような」
「ズミくん!」
 名前が叫ぶように言うと、ズミは微かに肩を揺らした。「構いませんよ」


 もう一度、名前の口から「え」と声が漏れた。ズミが昔のやりとりを逐一覚えていたことも驚きだが、それよりも彼が不躾な願い出を受けてくれたことの方がより驚いた。すると先ほどまで穏やかに笑っていたズミが、常のように眉根を寄せる。
「何なんです。あなたが言ったんでしょう」
「え、ええー……だって、まさかオッケー貰えるとは思わなくて」
 不服そうに目を細めてみせたズミだったが、やがて小さく溜息をついた。
「先ほども言いましたが、私はいたく感動したんですよ。まさかあなたが料理に興味を持つとは――」名前が「ちょっと!」と抗議の声を上げたが、ズミはそのまま言葉を続けた。「――その事を思えば、別に料理を教える事など……別段どうということはありません」
 特に気にした風もなくそう言い放ったズミに、名前の方が参ってしまった。口をつぐんだまま頷いて、「まあ、いきなり今日、というのは勘弁して欲しいのですがね」と呟いたズミに再び首を縦に振る。「ところで」ズミが言った。
「何故急に料理を? 私の記憶では、あなたは別段料理というものに興味がなかったように思うのですが」
 ズミの問いに、名前は詰まってしまった。聞かれるかもしれないとは思っていたが、やはりどう答えようか――微妙に、迷う。しかしながら結局、名前は用意していた答えを口にしていた。わざわざそれを言うのもどうかと思うが、別に嘘ではない。「その、好きな人が居て……」
 その瞬間昔馴染みの顔がこれまでに見たことがないほどに歪み、名前は心底恐怖した。

[ 305/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -