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 どうやら生まれ変わったようだ、と、私がそう気付いたのは生後間もない頃だった。そして、ここがあのハリー・ポッターの世界だと気付いたのは、そのすぐ後だ。ホグワーツという単語が耳に入ってきた時の驚きといったら計り知れない。うっかり石化呪文を掛けられたくらいに硬直してしまい、母親らしき女を困惑させてしまった。
 これ、転生トリップってやつだ。
 夢小説を嗜む女子高生だったから、すぐにそう察しがついた。新しい両親の会話を聞いていた限りでは、どうやら例のあの人が猛威を振るっているようだから、子世代か、さもなくば親世代辺りだろう。最高だ。大好きなあんなキャラやこんなキャラといちゃいちゃラブラブできるかもしれない。物事はポジティブに考えるべきだろう。
 前世の自分がどうなったのか、そもそも自分とはいったいどんな人間だったのかも解らないことなんて、至極些細なことじゃないか。
 これで女子に生まれていたら、最高だったんだけどな。


 何がどう転んだのかは知れないが、私はイギリス人の男の子だった。――いや、心の中だけならともかく、口に出す時くらいは一人称も変えるべきだろうな。僕だ、僕。まあ、実際は英語を話しているわけだから、何と思おうとIには変わりがないのだが。気分って大事だ。
 ――生まれ変わる前、私は日本の女子高生だった。しかしながら、そういう「知識」があるだけで、実際自分がどんな人間だったのかはさっぱり思い出せない。父と母、友人達のことは顔も名前も性格も何となく思い出せるのに、自分についてだけは少しも解らなかったのだ。名前すら不明確だ。何か靄が掛かっているような、奇妙な感じだった。
 まあ、そういうものなのかもしれない。だってここはハリー・ポッターの世界なのだから。前の自分についてはっきり解ることと言えば、ハリー・ポッターシリーズが好きだったことくらいだろうか。
 ハリー・ポッターはイギリス発のファンタジー小説で、私も大好きな長編物語だった。魔法使いの少年が魔法の学校に通い、悪人をばっさばっさと倒していく――ちょっと違うか。まあ大体そんな感じだろう。とりあえず、魔法の学校の話だった。十一歳の時分には、梟が手紙を届けに来ないかな、なんて思いもしたものだ。実際のところは、ホグワーツを卒業する年齢になってもなお待ち続けるという結果に終わったが。
 しかし、トリップできないかなと日々夢想していた甲斐があるというものだろうか。性別は変わったものの、私はハリー・ポッターの世界に生まれ変わった。

 新しい父と母は、魔法使いと魔女だった。目が見えるようになったばかりの頃、勝手に埃を集める箒にはひどく驚愕した――知識では解っていたものの、実際目にするとひどく新鮮だったのだ。魔法って最高だ。
 両親のどちらも、ホグワーツ、つまりハリー・ポッター界の魔法学校を卒業していると来ている。スクイブでもない限り(魔法の使えない魔法族のことだ。原作についての知識は割と覚えている。確か、スクイブは珍しかった筈だ)、私もホグワーツに行けるだろう。実際、親のどちらも私がホグワーツに通うことを期待しているようだった。
 ハリー・ポッターの世界で生まれ変わったのだと認識してからすぐに、私は両親の目を盗んで「魔法」を試してみた。もっとも、ベビーベッドに寝そべったまま、うんうん唸っていただけだが。その結果、部屋中の物という物がびゅんびゅん飛び回り、両親を仰天させるやら喜ばせるやらという事態になった。
 私は魔法使いになったのだ。本当に。
 後から知ったことだが、普通、魔法使いの子どもが魔力の兆候を示すのは、七歳前後が一般的らしい。そりゃ、新しい母親も卒倒するというものだ。二歳にして魔法の才能をうっかり示してしまったために、私は両親から必要以上の期待を掛けられることになった。


 私は名前という名前が付けられた。父親と同じ名前らしい。新しい父と母は、私のことを「名前・ジュニア」とか、「名前坊や」とか、単に「ジュニア」と呼んだ。イギリスの名付け事情はよく解らない。親戚の叔父さんとかならまだしも、父親の名前をそのまま子どもに付けたりして、混乱したりはしないのだろうか。
 ついでに、ハリー・ポッターの悪の親玉、ヴォルデモートの本名はトム・リドルといって、彼も父親と同じ名前を付けられている。リドルとお揃いかと思うと少し笑えた。

 新しい父は痩せぎすの男で、筋張っていて、とても厳格そうな顔付きをしていた。髪には白髪が混ざり始めているのが目に付いた。具体的な年齢は解らないが、結構年がいっているらしいことは確かだ。口数は少なく、それでいて表情も乏しいという、何とも生き辛そうな印象を受けた。しかし私の前に立つとその顔にふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべ、彼が長男の誕生を心待ちにしていたことを窺わせた。
 母親の方は父と違い若い女だった。二十代の前半だろうか。豊かな亜麻色の髪をしていて、口紅も差していないのに赤く艶やかな唇が目を引いた。多分、美人の部類に入るのだろう。笑うとできるえくぼが彼女の人柄の良さを表しているようだった。どうやら少々体が弱いらしく、私が名前として生を受けてから二歳になるまでという僅かな間で、何度も寝込んでいた。
 両親の年齢は一回り以上離れていると思うのだが、恋愛結婚なのだろうか、喧嘩をしている様は見たことがなかった。むしろ目の前でいちゃいちゃっぷりを発揮され、少々目のやり場に困るくらいだった。

 二人は「私」のことを存分に愛してくれた。しかし、私にはそれがひどく苦痛だった。

 例え名前すら覚えていなかったとしても、私には日本で女子高生をしていた私が本当の私だった。冴えないサラリーマンの父、口煩い母親、それが私の家族だった。目の前で微笑む男と女は、どうしても「父と母」には思えなかった。彼らがいかに「私」に愛を注いでくれたとしても、「私」には彼らは単なる見知った男と女にしか思えなかった。


 もう魔法なんて、ホグワーツなんて、ハリー・ポッターなんてどうでも良かった。日本の我が家に帰りたかった。例え記憶が無くとも。例え「私」がどうなったのかを知らなくとも。気が狂いそうになりながら二年間を過ごした。名前・シニアとその妻が愛しているのは、私であって私ではないのだ。
 言葉を覚え始めた頃、私にとって大きな転機が訪れた。
 弟が、生まれた。

 新しい両親の元で生まれた、新しい弟。彼らにとっての本当の息子が生まれたのだ。そして私にとっても、彼は本当の弟だった。私は生まれ変わった後の環境に慣れることができなかった。親しむことができなかった。どうしても、前世の記憶が邪魔をした。自分の居場所はここではないと。
 しかし、弟は違う。
 私にとって、彼は唯一無二の弟だ。日本で生きていた時、私は一人っ子だった。ただ一人の弟。「新しい両親」を愛することはできそうになかったが、彼のことなら愛せると思った。母と呼ぶべき女が死んだ日、私は弟と手を繋ぎながら、彼が幸せな人生を歩めるよう全力を尽くそうとそう誓った。私の方が二年先に生まれてしまったおかげで、弟は二年分私よりも母親を知らない。しくしくと泣き続ける弟は、私の中で眠っていた庇護欲を呼び覚ました。
 名前の息子である私は私ではなかったが、兄である私は新しい私となったのだ。



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