老いぼれた屋敷しもべ妖精が居なくなった後、校長室は静けさに包まれた。名前もダンブルドアも、暫く口を開かなかった。
 そもそも名前は、この老人の事が嫌いだった。彼の青い瞳に見られると、此方の全てが見透かされた気になり、ひどく居心地が悪くなる。まるで、咎められているように感じるのだ。
 それは名前に負い目が有るという事の現れかもしれないが、それとこれとは話が別だ。

「わしの用事は終わったのじゃが、ふむ――」
「たったあれだけの事で、僕を呼び出したんですか?」
 思わず名前は、呆れた調子で聞いてしまった。ダンブルドアは気分を害された風もなく、微笑んだままだ。名前はまたそれが気に障り、もうどうにでもなれという気で足を組んだ。最初は自分が死喰い人に加わった事でついに何かを言われるかと思ったのに、全然ベクトルの違う事だった。パックがレストレンジ家に戻る事でダンブルドアに何の得があるのか知らないが、名前には関係のない事だ。
 名前がムッツリしても、ダンブルドアは気にしなかった。このままソファに寝転んでしまったって、彼は何も言わないかもしれない(勿論、そんな事はしないが)。
「君にのう、名前――」ダンブルドアが言った。「頼み事があるのじゃが」
「……頼み事、ですか?」
 名前は慇懃に聞き返した。ダンブルドアは頷いた。
「君だけにしか頼めない事なのじゃが、引き受けてくれるかね?」
「――内容によりますね、先生」
 ダンブルドアは名前のその答えに満足したらしかった。彼は長い指を組みかえ、名前を見つめたまま言った。
「名前、ぜひ、ドラコの手伝いをしてはくれんかね?」
「……は?」名前は思わず聞き返した。「ドラコの……手伝い?」
 ダンブルドアは微笑を浮かべたままで、名前は彼の意図を理解するのに暫くの時間を要した。そしてついに答えを導き出し、ハッとした。そして同時に、一体この男は何を考えているのかとゾッとした。


 ドラコ・マルフォイが死喰い人になったと名前が聞いたのは、夏休みの半ばだった。
 あの人にとある任務を任されたのだと、名前は母親の口から聞いた。そしてそれから、残りの夏休みをマルフォイ邸で過ごす事になった。それはベラトリックスが、名前とドラコに閉心術を教える為だった。マルフォイ家で行う事になったのは、成人した魔法使いが居らず、屋敷しもべ妖精も居ない筈のレストレンジの屋敷で、大っぴらに魔法を使うのは止した方が良いだろうとの判断だった。
 閉心術はダンブルドアの為かと問うと、ベラトリックスはスネイプへの用心だと答えた。
「あの男は信用ならないからね。ルシウスが抜けた穴をまんまとせしめた。抜け目の無い男だ」
 ベラトリックスは険しい顔で、そう言ったのだった。

 名前はドラコが死喰い人になったと聞いて、納得もしたし、驚きもした。
 確かに以前、ホグワーツに行くよりもずっと昔に、もしもあの人が復活すれば、自分もあの人の下に行くに違いないと話し合いはした。名前と、ドラコと、そしてノットとで。あの時は話しているだけで、自分達は他の人間達とは違うのだという、些細な、そして甘美な気持ちに浸っていたのだ。
 名前が死喰い人になったのは十五才の時だ。
 しかし、名前とドラコは違う。考え方も、能力も、そして何より立場が違うのだ。子どもがどう思っていようとも、名前は彼の両親達が、自分の息子をぜひ死喰い人にと言っているのを、ただの一度も聞いた事がなかった。
 ドラコはもっと、違う生き方が出来た筈だ。
 ノットは既に、死喰い人になるという道を棄てていた。彼は闇の帝王に畏れを抱いていた。そして同時に、本人は気付いていないかもしれないが、憎しみも抱いていた。父親を捨て駒のように扱うあの人に対して。
 名前は、二人とは違っていた。名前はそれを理解していたし、それを望んでいたのだ。

 ドラコが与えられたという任務が何なのか、名前はもちろん知らなかった。誰かに命じられた役目を他の人間が知らないのは当たり前だし、名前自身も知りたいとは思っていなかった。再びホグワーツに帰って来るまで、名前はその事を忘れてすらいた。
 名前は最初、知りたかったわけではなかった。彼なら聞かれたがるだろうと思って、ドラコに数回尋ねていただけだった。一体、何を頼まれたのかと。ドラコは当然、優越感に浸った満足げな表情を浮かべるだけで、口を割らなかった。しかし、ドラコは日を追うごとにやつれていった。表情は暗くなり、滅多に笑わなくなった。
 雪が積もりきった頃には、一体どんな任務なのかとドラコに訊ねる事が名前の日課になっていた。その事以外に原因がある筈がない。彼は最初の内、関係ないと一喝するだけで取り合わなかった。だがとうとう休暇明けに、ついに名前に任務の内容を打ち明けた。それは名前が、自分も死喰い人なのだから、と言って促したからもあるのだろう。


「――ドラコの手伝い?」名前はもう一度繰り返した。
 ダンブルドアは頷いた。彼の背後にある銀の道具が煙を吐き出す音が、ポッポッと部屋に響いた。名前が二度聞いたのは、自分の耳が聞き間違えたかもしれないと思ったからだ。一体どこの世界に、自分を殺す手伝いをしてくれだなんて頼む奴が居るんだ?
 もしかしたら、名前が思った事とダンブルドアが言っている事は違う事なのかもしれない。ドラコの変身術の課題を手伝えだとか、そういう事かもしれない。僕がきっと、大きな思い違いをしているに違いない。
 しかしそう思うのは一瞬だけで、自分の考えは正しいのだと本能的に解っていた。

 名前が眉根を寄せると、ダンブルドアは満足げに微笑んだ。
「……自分が何を言ってらっしゃるのか、お解りですか?」
「おお、それはもう、重々承知じゃよ」ダンブルドアはにこにこしたままだ。
 狂ってる――名前は心の中で呟いた。
 ダンブルドアの事だから、ドラコが自分の命を狙っているのだという事は解っているのだろう。グリフィンドールのチェイサーが怪我をした事件の裏側も、全て知っている筈だ。例えドラコや名前が完璧に閉心術をマスターしていたところで、ダンブルドアは察してしまうに違いない。
「死にたいのですか?」名前は率直に聞いた。
「おお、そう取ってもらってもかまわんよ。君の自由に解釈しておくれ」
 ダンブルドアは、愉快そうに瞳を揺らした。君が彼を手助けしてやれば、事はもっと穏便に、迅速に進むじゃろう、とダンブルドアは言った。
 名前は返答に迷った。どう答えれば、ダンブルドアは困るというのだろう。彼と話していると、計算ずくのチェスをやらされているような気がする。そしてドラコがチェックメイトをかける事すら、この男の計算の中に入っているのだ。
「君の叔母様にも頼まれたじゃろう。支えてやってくれと」ダンブルドアが言った。
「もちろん、君は言われた通りにするじゃろうの? 何故なら君は、彼女に対して特別な感情を持って接しておる」
「特別な感情?」名前が聞いた。
「愛じゃよ」
 さも当たり前というように、ダンブルドアは答えた。
 名前は釈然としないまま、黙っていた。
「――最初から、そのつもりですよ」名前がそう答えると、ダンブルドアは微笑んだ。


 名前はこの部屋を早く出たかった。此処に居ると、息が詰まった。歴代の校長達がじろじろと見てくるのも腹が立ったし、奥にいる不死鳥までが、自分を問い詰めてくる気がした。
 自分の中の何かが、ゆっくりと溶け出していく気がした。
 ダンブルドアがもう良いと言ったので、名前は遠慮無く立ち上がった。
「――先生、一つ伺っても?」歩き出す前に、名前は聞いた。ダンブルドアは顔を上げて、構わんよと言った。名前はゆっくりと言った。決して、ダンブルドアの方を見なかった。
「僕はOWLの試験で、全てOを取ってみせた」
「ああ、知っておるよ」
「魔法薬学士の試験にも通ってみせた。あんたより二つも年下の時だ」
「ああ、そうじゃのう」
「母さんは――」名前は言いかけて、言葉を換えた。「――何も言わなかった」
 言葉を一つ一つを紡ぐのに、ある種の勇気が必要だった。ダンブルドアはその言葉一つ一つに頷いた。
「僕は――僕は間違っているのか?」

「――いいや」ダンブルドアが答えるまでに、やけに時間が長く感じられた。
「少なくとも、わしはそう思う」
 名前は何の返事も振り返りもせず、校長室を後にした。

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