年も明け、冬の寒さがより一層厳しくなってくる頃には、六年生の内の何人かは『バラけ』ていた。しかしそれと同時に、姿を現せる確率も上がってきていた。名前も、前回の訓練の際に一度だけ、あの輪の中に姿現す事に成功していた。完璧に姿現しをする事はまだ不可能だったが、コツは掴めてきていた。トワイクロスの言う通りに、自分の三つの意志をしっかり集中させておけば良いのだ。

 脇にいた友人が名前の横腹を小突いたので何事かと振り向くと、彼はにやにやと笑っており、その指差す先にロングボトムがいた。名前もにやっとした。ロングボトムはその場でくるくると回転するだけで、ちっとも姿現しする気配がない(もっとも、その表情は真剣そのものなのだが)。そんな事、始めて一週間で終わるべき段階じゃないか。
「可哀想に、足が短いとこういう時にも不便なんだな」
 名前がそう口に出すと、すぐにクスクス笑いの波が広がった。名前が言ったのが聞こえたのか、それとも自分が笑われている事が解ったのかは判断がつかなかったが、ロングボトムの顔が赤くなっていた。しかし彼はそれでも何も言わず、ただ黙々と姿現しの練習に励んでいた。
 名前は少し面白くないとは思ったものの、それきり関心を失ってしまった。ロングボトムより少し向こうの方で、またバラけ事件が起きていた。他寮生の生徒はあまり知らないが、ハッフルパフかグリフィンドールの生徒だろう。毎回恒例の、寮監の四人が束になって向かっていき、派手な音と火花で生徒をくっつけ直す様子は、いつ見ても見物だった。
「いいぞ」名前の隣で誰かが呟いた。名前も再びにやっとした。


 名前が扉をノックすると、「どうぞ」と中から声がした。居なければ良いのにと思っていた反面、そんな事はないだろうとも解っていた。名前が部屋の中に入ると、ダンブルドアが微笑を浮かべて待っていた。
 校長が「お座り」と言ったので、名前は彼の向かいのソファにゆっくりと腰掛けた。
「来てくれると思っておったよ」ダンブルドアが言った。
 名前は何も答えなかった。もしも名前が来なかったとしたら、この老人はどうしたのだろう? しかし、答えは簡単だ。ダンブルドアは何も困りはしないのだろう。

 名前が黙りを決め込んでも、ダンブルドアは気にした素振りを見せなかった。
「レモン・キャンデーはどうかね? マグルのお菓子じゃが、わしはこれが好きでのう」
「ドルーブルの風船ガムではなくてですか?」
 手紙の終わりに追伸として付け加えられていた一文には、自分はドルーブルが好きだと書いてあった。いったい何の悪ふざけかと、休暇前に受け取った時は思ったのだが、それは校長室に入る為の合い言葉だった。
 ガーゴイルに合い言葉を言わなければならない事に対しては別段何も思わなかったが、『君が来る頃には、わしはドルーブルの風船ガムが好きじゃろう』と書かれていた事が腹が立った。おそらく彼には、名前が二ヶ月も三ヶ月も約束をすっぽかす事が解っていたのだろう。今日名前が校長室に来たのも、ダンブルドアが朝食の席に出ているのが久しぶりで、珍しく思って見ていたら偶然目が合ってしまったからだ。
「ふむ、君はそういうものがあまり好きではないだろうと思ったのでの」
「結構です」名前が言った。「甘いものは嫌いなので」
 その返答も解っていたのだろうか、ダンブルドアは微笑んで、それ以上レモン・キャンデーを勧めはしなかった。

「そういえばじゃが――」
 ダンブルドアが言った。名前は何故彼に呼ばれたのか、心当たりがないわけではなかった。例えば両親の事だとか、名前の右腕の、印の事だとか。しかし、ダンブルドアが言ったのはそのどちらとも違う事だった。
「――ホグワーツには、彼らの仕事がなくなってしまうほど、屋敷しもべ妖精は大勢居ての」
「屋敷しもべ妖精」名前は彼が言った事を繰り返し、頷いて見せた。
「解っておると思うが、以前レストレンジ家に仕えていた屋敷しもべ妖精のことじゃが――パックと言ったかの。彼女はとても働き者じゃ。彼女が掃除した後は塵一つ残らぬし、彼女が作る料理は天下一品じゃ。洗濯をさせれば新品同様に返ってくるし、庭仕事さえも完璧にこなしてみせる。彼女ほどの働き者はまたと居らんじゃろう。わしはたまたま、他の屋敷しもべ妖精が仕事がなくなってしまって困ると言っておるのを聞いての」
「そうですか」名前は相づちを打った。「それで?」
 名前は先を促した。この時初めて、ダンブルドアの青い瞳が揺れ動いた。
「率直に言うが、君の家は困ってはおらんのかね? 献身的な屋敷しもべ妖精が居なくなって?」
「あの家には僕しか住んでいないのですから、困りませんよ。学校から帰った時に、家が埃だらけになっているのは難点と言えるかもしれませんが」
 名前が言った事はどちらも事実だった。今あの屋敷には名前しか住人は居ないし、塵が積もって山になっている筈だ。しかし次に帰る時には既に成人している為、自分一人で暮らしていくのに困る事はない。
 この夏の間だって、その半分は実質一人きりで屋敷で生活していたようなものだった。稀に自分では対処しきれない場合もあり、いつだったか訪ねてきた給金を欲しがっていた屋敷しもべ妖精でも雇おうかと思った事もあったが、結果的にはその必要はなかった。
「ほう――」ダンブルドアは言った。「――わしに心を閉ざせと、母君に教わったかね?」
「いない人にどう教わるというのですか、先生?」
「そうじゃのう」
 二人は暫く、黙ったままだった。
「……君の屋敷しもべ妖精は、ホグワーツで働く事を望んではおらん」
「と言うと?」
「先程、パックの働きは完璧じゃと言うたが、少し付け加えねばならん。パックは毎日泣いておる。掃除をする時も、料理をする時も、洗濯をする時も、庭仕事をする時もじゃ。この一年間、彼女は泣き暮らしておった。他の屋敷しもべ妖精達がわしに訴えてきたほどじゃ――もちろん君は知っておると思うが、しもべ妖精が主人に何かを意見するなど万が一にも無い事じゃ――パックをどうにかして、元の主人の元に返してやってくれとのう」
 名前・レストレンジが何を考えているのか、ダンブルドアには一切解らなかった。それぐらい、この青年はぴったりと心を閉じていた。母親譲りのグレーの瞳は少しも動揺を見せず、ただ無感動に(これはダンブルドアの印象ではあるが、ダンブルドアはこの青年の事を無気力な、もとい何事にも興味を抱かない現代の若者のそれと同じだと思っていた)ダンブルドアの話を聞いていた。
「――本人を、呼んだ方が早いかもしれんの」ダンブルドアが言った。
 名前は返事もしなかったし、頷きもしなかった。ダンブルドアが小さく指を鳴らすと、パチンという音と共に一人の屋敷しもべ妖精が現れた。
 パックは以前よりも、目に見えて見窄らしかった。身なりには気を遣っているのか、以前と同じく清楚だったし、名前が与えたスカーフは新品同様にきらめいていた。しかし、耳を下げて項垂れ、目元は赤く腫れていて、テニスボールのような丸い目玉が真っ赤に充血しているのは、いかにも陰鬱そうに見えた。しょっちゅう泣いているようだった。
 しょぼくれた屋敷しもべ妖精は名前を見た途端、ワッと泣き出した。得意の嘘泣きではない事が、名前にはすぐに解った。名前は最初の一瞬以外、彼女を視界に入れないようにしていたが、つい小さく「黙れ」と呟いた。途端にパックは口をピタッと閉じ、無言でボロボロと涙を零していた。ダンブルドアは何も言わなかった。
「それで――何ですか?」名前が言った。
「よく解ったと思うがの、パックは今でもレストレンジ家に仕えたいと思っておる」
 名前は答えなかった。
「わしも、彼女の思う通りにさせてやりたいのじゃが? このまま彼女をホグワーツに居させるのは、ちと酷ではないのかね?」
「それで――」名前が再び言った。

「――それで、あの家にこいつを帰したらあの人の小間使いになる、そういうわけですか? こいつの平穏が脅かされるわけですか? こいつは何も知らないし聞いていない、レストレンジとも関わりがない、それでは何かあなたに不都合が有るとでも仰るのですか?」
 名前が一息でそう言い切ると、ダンブルドアの表情が大きく動いた。
「それでは――それでは君は……?」
「僕の家族は昔から、老いぼれたしもべが一人だけですから」
 名前は視界の端にも哀れな屋敷しもべ妖精が映らないように努めていたが、パックが(まったくの無言で)号泣し始めたのが気配で分かった。やはり、嘘泣きではなかった。
「――ふむ……」ダンブルドアは少し間を置いてから言った。
「パック、レストレンジ家の現当主は、新しい屋敷しもべ妖精は入り用でないと言っておるが、君はどうしたいかね?」
「ええ――ええ、ダンブルドア校長先生様、どうぞパックめを、このままホグワーツで働かせて下さいませ」キーキー声で、主人に忠実な屋敷しもべ妖精はそう答えた。その声は涙ぐんではいたが、はっきりとした響きを持っていた。
 ダンブルドアがもう厨房に戻って良いと合図をすると、パックはダンブルドアと、そして名前に殊更深くお辞儀をして(もちろん名前は無視した)姿をくらました。ダンブルドアが目をキラキラさせるので、名前は先程感じた優越感がすぐに消え失せるのを感じた。むしろ、目の前にいる老人の含み笑いに逆に腹が立った。
 名前が憮然とした表情を隠さなくなると、ダンブルドアは更に笑った。
「気付いていたかは知らんがの名前、彼女はわしの事を、御主人様とは呼ばんのじゃ」

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