ホグズミードに行こうとする生徒は、名前が想像した通り、ほんの一握りしかいなかった。何故それが解ったかというと、朝食の席がまったく混んでいなかったからだ。ホグズミード行きの日は、朝も早くから上級生達が朝食を食べに大広間へとやってくる。今日はいつもとあまり変わっていなかった。
 村に行く生徒が少ないのは、空が曇っていたせいもあるのだろうと名前は思った。太陽は分厚く重たい雲に遮られており、五月だというのに肌寒いぐらいだった。
 結局、名前の周りには一緒にホグズミードに行く友達はいなかった。OWL試験が近付いていたので、殆どの生徒が娯楽よりも勉強を取ったのだ。今更詰め込んだって遅いのではないか、と名前は思っていたのだが、何も言わず、一人でホグズミードに行く事に決めた。
 勿論名前にとって、その方が都合が良い。気を回さなくて良いし、静かだ。


 玄関ホールで隙間風に晒されている中、管理人のフィルチが許可証を確かめ、生徒を送り出した。彼が憎々しげに生徒を睨み付けていたのは気のせいではないだろう。しかしそんな事は気にせず、生徒達は一時の休暇を楽しむべく寒空の下を歩き出した。
 名前も、楽しむつもりだった。何せ、初めてのホグズミードなのだ。
 村に着き、メインストリートに入り、何処へ行こうかと考えている時、不意に前方から男子生徒の集団がやってきた。同じ五年生の、グリフィンドール生達だった。それと解ったのは、見覚えのある顔ばかりだったし、何よりネビル・ロングボトムがいたからだ。彼らは名前と同じように、勉強よりもホグズミードを取ったらしかった。
 名前にしてみれば、彼らグリフィンドール生は、できるだけ近寄りたくない人種だった。喧しく、五月蠅いだけの連中だ。今も何が楽しいのか、皆で笑い合っている。

 どうしてなのか――おそらく、珍しくも名前が取り巻きも連れずに一人で歩いていたからか、もしくは彼らいる方向を見ていた名前と、彼らの中の一人の目が偶然合ったからだろうが――グリフィンドール生達が名前の方を向き、何かを囁き合った。顔を上げた彼らの目に厭らしい光が宿っていたのが解ったが、名前は何も気付かなかったふりをして、いつものように歩き続けた。
「やあレストレンジ。今日は一人かい? いつものお仲間はどうしたんだ?」白々しくも笑いかけながら、黄土色の髪のグリフィンドール生が(名前は彼の名前を知らない)名前にそう言った。
「やあ」名前が応えた。「僕だって一人で過ごしたい時もあるのでね」
 グリフィンドール生達は一人を除いて、ニヤニヤしたり、あからさまにくすくすと笑ったりした。彼らの内の一人、ロングボトムだけは、どう反応しようか迷っているようだった。名前は彼を見て、ほんの少しだけ腹立たしく思った。――僕が気に食わないのなら、はっきりとそう言えばいいじゃないか?
 あからさまに嫌味を込めて、黄土色の髪のグリフィンドール生が名前に言った。
「へえ意外だな、僕はてっきり、一人ぼっちが嫌だから群れているんだと思ってたよ」
「そうかい? でもそれは君も同じなんだろう、お友達と一緒に来ているのだものねえ」
 名前がにっこりしてそう言い返すと、彼の顔が少しだけ赤くなった。喧嘩を吹っ掛けるのなら、それなりの文句を用意しておくべきだろうに。名前は心の中で冷笑した。
 名前がまったく怯まない事が意外だったのか、グリフィンドール生達の中で一瞬変化が生じたようだった。目を見交わし合っているのを見るに、どう反応しようか迷っているらしい。大通りに面している為か、グリフィンドール生とスリザリン生の諍いを見て、野次馬が集まりだしてきていた。名前はそこはかとなく優越感に浸り、彼らを眺めていた。

「さぞや良い気分なんだろうな!」彼らの中で頭一つ飛び出ている分、ウィーズリーの方を見るのに苦労はしなかった。「大きいお友達が増えて、やっと一人でも歩けるようになったんだろう!」
 名前は一瞬だけ、彼が何を言わんとしたのか解らなかった。しかしすぐに、一月に死喰い人達が脱獄した事を言っているのだと理解した。それを察したのは名前だけでなく、周りに集まってきていた人垣の中にも居たらしい。一人で立っているスリザリン生が、死喰い人の息子の名前・レストレンジだと解った連中の間で、微かなざわめきが広がっていた。
 名前は口元に笑みを浮かべた。
「そうだとしてもミスター・ウィーズリー、君には関係ないね。残念ながら、生憎と君は歓迎されないだろうさ。マグル生まれの連中なんかと付き合ってるようじゃね。それに付け足しておけば、君は視野が狭すぎる。自分の見識でだけしか物事を見れないだなんて、まったく哀れとしか言い様がないよ」
「誰が哀れだって?!」ウィーズリーは耳まで赤くしてそう叫んだ。
「哀れなのは君の方だろう、レストレンジ? パパとママが帰ってきて、本当は駆けずり回って喜びたいんじゃないのか? 君がそう言うのならそうなのかもしれないけど、僕から言わせてもらえば、君の周りにいつもいるのは友人なんかじゃない。君の味方は犯罪者のパパとママしか居ないんだ。友達の一人も居ないなんて、哀れにもほどがあるね」
 憎々しげな表情を浮かべて、ポッターは言った。名前はにっこりしたままだったが、自分でも気付かないぐらい、僅かに頬が痙攣した。そして彼の言った何が自分の琴線に触れたのかすら、名前には解らなかった。
「――羨ましいんだね、ポッター」名前は優しく微笑んだ。「そうだろうとも、僕には君の気持ちはよく解るよ。君は自分の父親と母親に、会ったことすらないのだから。次に会えるのはお空の上でかな――」
 名前の言葉は尻切れトンボに終わった。渾身の力で、ロングボトムが名前の左頬を殴りつけていたからだ。誰もその場から動けなかった。名前は倒れこそしなかったものの、二三歩後ろによろめいた。
「ネビル!」グリフィンドール生の内の誰かが叫んだ。ショックを受けたような声だった。
 名前がロングボトムを睨み付けたのと同じように、ロングボトムも名前を睨み付けていた。
「――君、最低だ……!」


「僕、君は違うと思ってた」
 ロングボトムが静かにそう言った。彼の顔には憎しみの表情が浮き彫りになっていた。腹の底でどう思っていたかは知らないが、この五年間の間、彼がそんな表情をしたのを名前は見た事がなかった。しかし――きっと名前も、同じような表情をしているのだろう。
 口の端を拭うと、手の甲に赤色が付いた。
「君だけは、違うんだと思ってたんだ……!」
「へえ、そうかい?」名前は嘲笑った。

 名前は今まで、彼のことを――ネビル・ロングボトムの事を何とも思っていなかった。彼の両親がああなったのは母達が原因だったが、名前の両親がああなった原因は彼の両親だった筈だ。しかし名前はむしろ、申し訳なく思っていた。彼には出来る限り親切にしてやったし、彼の気が済むように立ち回ってきたつもりだった。――それなのに、この仕打ちは何なんだ?
 ロングボトムなんて、被害者面をした只のチビじゃないか。
「……だったらお門違いも甚だしいね。僕が誰と違うんだって? 生き残った男の子とかい? それとも自分の息子すら解らない、哀れな植物人間どもとかい?」
 よくも――と彼が言ったかどうかは、誰にも解らなかった。そこからは組んずほぐれつの取っ組み合いになったからだ。名前もロングボトムも杖を使う事すら忘れ、ただお互いを滅茶苦茶にしてやりたいという思いだけで殴り合った。ロングボトムと一緒にいたグリフィンドール生達は、唖然として成り行きを見ていたが、パッと鮮血が宙に舞い、女子生徒があげた悲鳴で、やっと我に返ったようだった。
 彼らが名前とネビルを引き離そうと奮闘し始めた時には、既に二人は地面に転がっている状態だった。
「ネビル!」ロングボトムの右腕を拘束したウィーズリーが再びそう叫んだ。ロングボトムが依然として暴れるので、彼らにまで引っ掻き傷や打撲が出来始めていた。
「放してくれ!」
 ネビルがどれだけ叫んでも、友人達は頑として動かなかった。ダラダラと鼻血を流しながら、彼は小さく呻いた。

 名前はというと、黄土色の髪のグリフィンドール生とポッターに押さえられていた。彼らはロングボトムから引き離そうとしていたようだったが、成り行きで名前も捕まえているにすぎないようだった。しかし腕の骨が軋まんばかりに握り締めているのを見るに、今ここで名前を放せば、再びロングボトムに殴りかかると思っているらしい。
 名前は力任せに二人を振り解いた。
 黄土色の髪の毛の生徒もポッターも、揃って名前を見たが、じろっと睨み付けるとそれ以上近付いては来なかった。元より、名前は既に殴ってやりたいという気持ちはなくなっていた。殴られた左頬はじんじんと痛んだが、それよりも殴りつけた左手の痛みの方が大きかった。
 名前は手をぎゅっと握り締めた。
「僕が一体、誰と同じだって言うんだ?」
 地を這うようなその声に、その場にいた誰もが名前を見た。名前とネビルはお互いが親の敵であるかのように睨み合っていた――そしてそれが事実であるという事を知る人間は、片手で足りるほどしか居なかったが、その異様な雰囲気に、息を呑む者すら居なかった。
「その言葉の通りだろう、人殺し!」
 名前の眉がぴくりと動き、目がスッと細くなった。
 名前の頭の中でほんの一瞬だけ、彼が言った通りの、邪悪な考えが浮かび上がった――こいつに禁じられた呪文を唱えてやったらどうなるだろう? 磔の呪文なんかを?
 杖腕が何かを握りたそうに痙攣したが、結局の所、名前は何もしなかった。
「……不愉快だ」名前が言った。「僕は名前だ。名前・レストレンジだ。おまえが僕をどう思っていようとどうだっていい。だが僕はあの人達の息子だけど、おまえに何一つしちゃいない。せいぜいその事を履き違えるなよ、ロングボトム」
 ネビルがハッと気が付いた時には、名前は既に踵を返していた。見物人達の壁は二手に割れて、名前の前に道を作った。
 勇猛果敢なグリフィンドールは、背を向けたスリザリンに呪いを放ってきたりはしなかった。彼らは唖然としたまま、その場に棒立ちになっていた。一歩たりとも動かなかったのだ。臆病者、名前は心の中で罵った。


 気が付けば、空は雨雲で覆われていた。あと数十分もすれば雨が降り出すだろう。それも土砂降りの。しかしその頃には既に、名前はホグワーツに居る。彼らは思い切り降られる筈だ。
 良い気味だ、と名前は小さくほくそ笑んだ。

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