四月の荒れた風が過ぎ去り、クィディッチの優勝戦が幕を閉じた後、五年生を待っているのはOWL試験だった。魔法省の監修下に行われる標準魔法レベル試験は、今までの期末テストとは違い、魔法界において自分の実力が試される試験だった。先生達が皆揃って山のような宿題を出すので、五年生と七年生(こちらはNEWT試験だ)の大部分はノイローゼにかかっていた。
 しかし休暇の後、その宿題の殆どは消えていた。先生達は宿題で自主勉強を勧めるより、授業でOWL試験の過去問題をさせ、生徒にきっちり技能を覚え込まそうとする事にしたらしかった。
「先のOWL試験で、無様な失態を晒し、愚かにも自分の行いの無力さを棚に上げんとする者は数多くいた。我輩は、諸君らの一握りでも多くの者が、我輩の欲するレベルに達する事を願っている」
 スネイプ先生を始め、全員が同じような事を言うので、五年生達は背中がヒンヤリとするのを感じない訳には行かないのだった。生徒達は普段行きもしない図書室に通い詰めたり、談話室ですし詰めになって必要な知識を詰め込もうする者が大半だった。

 名前はというと、他の皆よりは感じている重圧が少なかった。名前が目指しているのは魔法省に入省する事であり、この間の進路相談で、今の成績なら十分にどの部署にも入る事が可能だと、寮監にお墨付きを貰っていたため、安心していたのだ。それに三年生の時に取った魔法薬学士の資格も、名前の就職への道を確かなものにしていた。
 OWL試験は重要だったが、普段から予習復習を欠かさない名前にとって、『OWL試験だから』といって、焦るほどではなかったのだ。勿論、試験で悪い点を取るわけにはいかないのだが(それこそ、無様な失態を侵すわけにはいかないのだが)、そうならない自信が名前にはあった。


 OWLの勉強をしながらも、その反面、名前はずっと右腕のじくじくした疼きに耐えて過ごしていた。あの人が説明したような、強く焼かれるような痛みが右腕にやってきた事はなかったが、今までとははっきり違っていた。主張するように黒々としている闇の印はいつも熱を帯びていたし、何かに当たったりするだけで物凄く痛んだ。名前はできるだけ、利き腕だけで生活している事が不自然にならないよう、常に気を付けていなければならなかった。
 勿論、名前に招集が掛かる筈はなかった。名前はホグワーツ生だから、勝手に出歩くわけにはいかないからだ。(母親の言葉を借りれば)あの御方はご理解がある方だから、その辺のところもちゃんと存じていらっしゃるのだった。
 名前には一つの役目が与えられていて、それがホグワーツの事を定期的に知らせる事だった。何か変わった事が起きなかったか、教師達がどのような事を話しているか、ダンブルドアはどう対応しているのか、生徒達は死喰い人の大量脱獄や闇の帝王復活についてどう思っているのか。そのような事を名前は羊皮紙に書き綴り、両親達に向けて送るのだった。
 誰に対して羊皮紙の太い束を送っているのか、それを知られないようにする事にも、名前は必要以上に気を付けなければならなかった。幸い、名前は普段からそういったプライベートな事は誰にも知られないようにと行動していた為、新しく出来た文通相手を気にするような輩は居なかったが。

 その日の朝も、名前は早起きして、昨日の夜に書き上げていた手紙を出しに行っていた。早めの朝食を食べ寮に戻ると、掲示板の前で生徒達がガヤガヤと話し合っていた。新しく何かが張り出されたらしく(そういえば、今日は掲示板を見るのを忘れていた)、生徒達は口々に喚き立て、指を指していた。
 また新しい高等尋問官令だろうか? 名前は一瞬そう思ったが、それにしては違和感がある。あんなものは一度目を通してしまえばお終いだし、好き好んで熟読する生徒なんて殆ど居ない。それに、雰囲気が嬉しげだった。
 名前が掲示板に近寄ると、小さくではあるが人垣はパッと割れた。よくよくその生徒達を見てみれば、名前と同級生かそれより少し上か少し下の生徒しかいない。覗き込むと、いつもの落とし物やら違反リストの他に、ホグズミード休暇の知らせが貼ってあった。テストが始まる前の週の土曜日で、息抜きにという先生達からの心遣いかもしれなかった。
 しかしこの時期、特に大きな試験が控えている五年生と七年生の生徒達の多くは、これを傍迷惑な褒美だと思っているらしく、皆が皆嬉しく思っているわけではないようだった。その証拠に、掲示板を見つめていた名前に話し掛けてきた同級生は、浮かない顔をしていた。彼は寝室に居なかった名前を探し回ったのだと少しだけ文句を言い、名前はこのホグズミード休暇をどうするのかと聞いた。
 名前は生まれてからずっと、ホグズミードに行った事がなかった。保護者からサインを貰う事ができなかったからだ。その事を知っているのは血縁関係にあるドラコや、昔からの友人達だけだった。名前も一々説明したりはしなかったので、取り巻き達は全員、名前がホグズミードに行かないのは、何か他の理由があるのだろうと思っていたようだった(むしろ彼らは、名前が許可証にサインを貰っていないなんて考えもしていなかった)。
「僕は、行こうかな」
 名前がそう言うと、声を掛けてきた友人はその茶髪の頭を振りながら、感心したように言った。自分はOWLの勉強をしなければならないけど、流石は名前だね、と。名前は彼の呪文学の成績が芳しくない事を知っていたし、その他の教科でさえ名前の半分の点数を取る事すらできないだろうと解っていたので、微笑んで頷くだけで返した。


 今年の闇の魔術に対する防衛術のクラスは、馬鹿馬鹿しいほどにつまらないというのが、衆目の一致するところだった。名前もそう思っている生徒の一人だった。被害妄想癖の強いスリンクハードの論を目で追うより、教室を開放して、自由に呪いを掛け合う方がよっぽどためになるだろう。
 『防衛術の理論』の五章を読む事が今日の授業内容だったが、開始十分で名前は放棄していた。何度も読まされていたので、既に内容を暗記していたのだ。週に二度はある防衛術の授業中において、スリンクハードの影に隠れて別の本を読むことは、名前の日課になっていた。しかし実際、真面目に読み続けている生徒の方が少数だろう。
 スリザリンの授業ではまだ見掛けた事がなかったが、他の寮生が話していた事によると、防衛術の授業では、ウィーズリーの双子が売り捌いていたずる休みスナックボックスとやらで、仮病を使う生徒が続出しているらしい。名前は自分がスリザリン生だったし、それに対しての矜持も持っていた為、彼らの元へ買いに行った事はなかった。しかし、それは良い案だと心の内で賞賛していた。

 こんな何の役にも立たないような本を何度も読むなんて、時間の無駄じゃないか。
 もちろん口には出さないが、名前はずっとそう思っている。ふと顔を上げると、アンブリッジのにんまり顔がすぐ目の前に立っていた。彼女は背が低いので、こちらが座っている分、殊更顔の位置が近い。
 名前は一瞬、心の中が読まれたのかと思ってヒヤヒヤした。脳内で罵倒したその次の瞬間に、アンブリッジに声を掛けられたからだ。もちろん、闇の帝王でないのだから、そんな事は有り得ないのだが(それに開心術が相手ならば、目を合わせなければ良いと名前は知っている)。十六年間養ってきたポーカーフェイスのおかげでそれが顔に出る事はなかったのだが、柄にもなく名前は焦っていた。
 こちらの思惑を知ってか知らずか、何でしょう、という顔を取り繕っている名前に、アンブリッジは猫撫で声で六十三ページの所を読むようにと言った。最近では彼女は、生徒達が授業に集中していない事を認めない訳にはいかなくなってきたらしく、こうして誰かを指名して読ませる事が多々あるようになっていた。

 一体どういうわけか――名前は綺麗に朗読しながら、視線だけをちらりとアンブリッジに向けた。アンブリッジは教室を歩きもせず、よくわからないニンマリ顔で名前の前に立っている――、この教師は名前の事を気に入っているらしかった。
 もちろん名前は、誰彼にも当たり障りのないように、できれば気に入られるようにと振る舞っている。だからこそ、教師から信用を得られ、周りの生徒達からは尊敬を集めるのだ。
 しかし、名前はただの生徒ではなく、名前・レストレンジなのだ。一月に脱獄した死喰い人達の一員である、ロドルファス・レストレンジとベラトリックス・レストレンジの息子だ。その事は周知の事実だったし、だからこそ最近攻撃的な視線を受けるし、以前にも増して怯えられもするようになった。
 アンブリッジは魔法省の役人であるにも関わらず、名前の両親が死喰い人である事を棚に上げ――名前にしてみれば非常に不本意ではあるのだが、他に言い様がないのでこう言うことにする――可愛がっている。
「よくできましたね。スリザリンに五点」名前が段落まで読み終わると、いつもの甘ったるい声でアンブリッジがそう言った。
「貴方は本当に何でもよくできますね、名前。全生徒が貴方を見習うべきだわ」
「ありがとうございます、校長先生」
 名前が特別にニッコリと微笑んでそう言うと、アンブリッジはわざとらしく「まっ」と言い、聞いている此方が不愉快になってきそうなぐらいの声で、クスクスと笑った。名前が呆気にとられて(勿論、微笑んだままだが)見ていると、アンブリッジは「口がお上手ね」と言って名前の頬を抓った。

 アンブリッジが背を向けた時には、既に名前は隠しもせずに舌を出していた。周りの生徒達が体を揺らして笑っている。向こうの方でザビニが噴き出しているのを、名前は見た。名前は頬を小さく引きつらせたまま、後で顔を洗おうと心に決めた。

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