ハロウィーンが三日後に迫った日の放課後も、名前はいつものように、友達と一緒に図書室へと向かった。授業が全て終わった後、一度寮に戻って荷物を置き、それから借りていた本を鞄に詰め、図書室に向かう――それは名前の日常だった。今日は特に、闇の魔術に対する防衛術のレポートを仕上げてしまうという必要があった。
 入口から少し外れ、薬草に関する書棚の並んだ所にあるテーブルが、名前の、そしてその取り巻き達の特等席になっていた。背の高い広葉樹が壁を挟んですぐ脇に立っているので、窓から入ってくる日差しが少なすぎず多すぎず、滅多にやってくる人も居ないため、読書をするにも勉強をするにも最適の場所だった。そこはホグワーツの中に有る、数あるお気に入りの場所の中でも、名前が殊更好きな場所だった。
 名前が席に着き、闇の魔術に対する防衛術のレポート(赤帽鬼についてだ)を広げると、他の皆も全員がそれを真似し、同じように教科書を広げた。彼らの間には、名前がすることには逐一従うという、暗黙の了解がされているらしく、そしてそれは一年生の時からずっと続いていた。名前はその妙なルールに対して(普通はおかしいと思うのだろうが)、特に何も思ってはいなかった。

 ルーピン先生が出したレポートは、赤帽鬼の習性や特徴についてだった。授業で習った事の他、様々な事を調べ尽くし、纏め上げてしまわなければならなかった。もちろん、「幻の動物とその生息地」や「怪物的な怪物の本」にもレッドキャップのことは載っていたが、もっと詳しい資料が必要だった。その為に図書室に来ているのだ。
 名前は付いていこうと申し出た取り巻き達に、一人で十分だからとニッコリし、席を立った。ついでにと、借りていた本をマダム・ピンスに返却し、それから魔法生物についての本がある棚の方へと向かった。
 お目当ての棚はすぐに見つかった。名前は毎日図書室に来ているので、何処の場所にどの本が有るのか、殆ど全てを把握していた。赤帽鬼に限らず小人関係の事を詳しく解説してある本と、数冊の魔法生物に関する本、それとヨーロッパを中心とした紛争などについての本(赤帽鬼は人の血が流された場所に住み着き、それはつまり、古い戦場跡や牢屋などだ。レッドキャップの生息地は北欧が主だという事も、名前はちゃんと覚えている)を手にとって歩き出した。

 図書室というのは本来は本を読むべき場所だ。しかし、談話室のような人の集まる場所では話せないような、秘密の話をするにはピッタリの場所であるのも確かだった。驚くことに、図書室に来る生徒の二割は、本来の役割ではなく、内緒話をするために来ている。当たり前のように本棚の間から聞こえてくる不愉快なヒソヒソ声に、名前は逐一眉根を寄せた。何故なら名前は図書室が好きだったし、周りの迷惑を考えないようなそんな連中に、勉強の邪魔をされたくないからだ。
 いつもなら素通りする筈の、内緒話をしているくぐもった声に、思わず名前が立ち止まってしまったのは、それらが聞き覚えが有る声だったからだ。名前は他人の話を立ち聞きするのは良くないとは思ったが、誘惑に負け、その場で聞き耳を立てた。
「何度も言ってるでしょう? マクゴナガル先生と一緒に決めたの」
「だからって、一日に八時間も十時間も授業を受けれるわけがないじゃないか」
「そうだよハーマイオニー。今日だって、ホラ――」ポッターは(此処からは見えない)何かを指し示した。「――占い学、マグル学。一体どうやって二つも授業を受けたんだい?」
「それに、明日もだ。魔法生物飼育学、古代ルーン文字学、ワーオ……数占いまで同時進行と来てる」ウィーズリーがわざとらしく、さも驚いたというような声を出した。
「当たり前でしょう? 私は十二科目取ってるんだもの」
 グレンジャーがぴしゃりと言っても、ウィーズリーは話すのを止めなかった。
「だからって、これはおかしいぜ。大体君、何でマグル学なんかのレポートを書いてるんだ? 一度も受けた事ない筈だろ? マグル学の半分は占い学と同じ時間だし、その占い学はいつも僕らと一緒にいるんだから」
「バーベッジ先生が宿題をお出しになったからに決まってるじゃない。それにロン、その事はもう何度も言った筈よ。マクゴナガル先生と一緒に決めたんです!」
「だからって――」ウィーズリーはもう一度食い下がろうとしたが、途中で言葉を飲み込んだ。

 名前がにっこりして、「君達、図書室ではもう少し静かにするべきじゃないの?」と声を掛けたからだ。本棚の陰から現れた名前に対し、ポッターとウィーズリーは顔を顰めて立ち上がったし、振り向いたグレンジャーは立ち上がりこそしなかったものの、名前を見て彼らと同じように顔を歪ませていた。
「でないと、マダム・ピンスに追い出されてしまうよ? 僕は一向に構わないけれどね」
「一体、何の用があって来たんだ、レストレンジ?」ポッターが言った。
「盗み聞きか? 趣味が悪いぞ!」ウィーズリーだ。
 名前はひょいと肩を竦め、杖まで取り出しそうな二人は無視した。
「君が――」名前は微笑んだまま、グレンジャーに聞いた。「――十二科目も授業を受けているって本当かい?」
「本当よ。だとしても、貴方には関係のない事だわ」
 にべもない答えだ。名前は彼女のそんな冷たい声にも怯まず、再びにっこりした。
「そうだね――驚いたんだ、君が新しい教科を全て選択していたと聞いて。それに感心した――ホラ、どう考えたって時間が被るだろう? だから、全部選べるとは知らなかったよ。君をライバルだと思っている――勿論、勝手にだけれどね――僕としては、ちょっと悔しいと思ったんだ」
 グレンジャーが胡散臭そうな目をして名前を見ていたので、名前はもう一度ひょいと肩を揺らし、その場を後にした。名前が本棚の角を曲がり、少し歩くと、再びヒソヒソ声が始まった。彼らが自分に対して悪口を言っているのだろうと察しが付いていたが、名前は気にならなかった。

 グレンジャーが、十二科目を受講している?
 名前にとって重要なのはそっちだった。二年生はイースター休暇の時、次の三年生で取る科目として、新しい五教科の中から自分が受けたい物を選ぶ。大抵の生徒が二つか、多くて三つ。それ以上は時間割に入れられないからだ。しかし、ハーマイオニー・グレンジャーはどうやったのか、その全てを選んだのだという。自分の席に戻りながら、名前は奥歯を噛み潰した。
 しかも、マグル学だ。名前が敢えて選ばなかった授業だ。


 スネイプ先生は、一言もそんな事を――十二科目の全てを受けられるだなんて、そんな事を――教えてはくれなかった。名前は夕食後、彼の元へ向かった。
 スネイプ先生は名前がその事について尋ねた時、どうして名前が、グレンジャーが五科目とも選択した事を知っているのかと、少しの間不思議そうな顔をしていたが、やがてこう言った。
「君が勉強熱心な生徒だという事を、我輩は失念していた。左様、希望する者が有る限り、魔法省に申請し特別な許可を得た上で、タイムターナーを、つまり逆転時計を使用する事ができる。グレンジャーはその許可を取った。それ故、彼女は逆転時計を使用し、十二個の全ての教科を受講している」
 スネイプ先生は名前を見遣り、優しげな声で付け足した。
「しかし、我輩はこうも思う。例え、全ての教科を取ったとしよう。それで君に何が残るかね? 毎年グレンジャーのように熱心に、全てを学ぼうと無理に張り切る生徒は居る。占い学、数占い学、古代ルーン文字学、マグル学、魔法生物飼育学。勿論その全てが大事な教科だ。しかし例えそれを全て学び、良い評価を受けたところで、所詮そこまでだ」
 名前は、スネイプ先生が言っている事がよく解らなかった。
「それは――」名前はゆっくりと聞いた。「――僕がこれから、十二科目受けようとすることに、教授はご反対だという事ですか?」
「いいや」スネイプ先生はすぐにそう言った。
「勿論、君が希望するならば、我輩は今夜にでもダンブルドアに言い、魔法省に交渉しよう。君ならばすぐに許可が下りる筈だ。今からでも、君なら授業にきちんと付いて行けるだろう。しかし、我が輩が思うに、君には多くの教科を学ぶよりも、もっと向いていると思う事がある――君は、得意な教科を更に深めるべきだ。我が輩はそう思う」
 名前はスネイプ先生を見つめ続けたものの、言葉以上の事は理解できず、彼の黒い瞳に目をやったまま頷いた。スネイプ先生は「幸い、君が選ばなかった科目は、マグル学、占い学といった、非常に専門的な分野だ。我輩は特に君に必要だろうとは思わない」と付け足した。

 名前は暫く黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。名前が尋ねるのを聞くと、スネイプ先生は満足げに微笑んだ。滅多に見られないような、心からの笑みだった。
「教授、放課後、地下牢教室の一部をお貸し頂いてもよろしいですか?」

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