新学期が始まっても、継承者騒ぎは収まるところを知らなかった。魔除けやらお守りといった、イカサマな護身用グッズを売って小遣い稼ぎをしている連中は、クリスマス休暇の間に新しい物を作ってきていたようだったし、医務室にあるベッドのいくつかにはカーテンが引かれたままだった。ポルターガイストのピーブズも、自分で作った歌がやけに気に入ったらしく、そこら中で歌い回っていた。その歌の主役であるポッターに、名前も偶然会った事があった。
「へえ、君でも図書室に来る事があるんだね」名前は微笑んだ。
「ミス・グレンジャーは一緒じゃないの?」
 軽い調子でそう聞くと、ポッターはジロッと名前を睨み付けた。名前の周りの友達がクスクスと追従笑いをすると、ポッターはますます眉根を寄せた。
「君に関係ないだろ。君がスリザリンの継承者なんじゃないのかい?」
「僕が? まさか。それに君がそれを言うの?」
 名前が、『オー、ポッター、いやなやつだー』のメロディを口ずさむと、ポッターは顔を真っ赤にして辺りにあった本を乱暴にひっ掴み、スリザリン生達の笑い声に見送られて走り去っていった。


 スリザリンの継承者がホグワーツにもたらした不安感は、日に日に増していくようだった。スリザリン生だって、他の寮に比べればマシかもしれないが、数少ないマグル生まれの者達は皆怯えて暮らしていたし、そうじゃない生徒達も、どこかビクビクしているようだった。『スリザリンの怪物』そのものに、恐れをなしているのかもしれない。要は、気にさず普段通りに生活しているのは城中探しても少数派だったのだ。
 しかし、名前はその少数派だった。自分がスリザリン生で、しかも純血だからかもしれなかったが、何にせよ、秘密の部屋が有るのだと信じ切れなかったし、会ったこともない奴に怯える事自体が馬鹿馬鹿しかった。名前にしてみれば、出される宿題の数々の方が何倍も重要だった。

 その日、名前はスリザリンの二年生全員分のレポートを、闇の魔術に対する防衛術の教諭に届け終えてきたところだった(この教師は、名前と同じく継承者について全く不安に思っていない少数派の一人だった。彼が「皆の気持ちが沈みがちなのはよくない、断じてよくない。そうは思いませんか?」と尋ねてきたので、名前は嫌な予感がしつつも首を縦に振った)。ロックハートの部屋を出る頃には、飾ってあった写真の中のロックハートがウィンクしてくるのに、ほとほと嫌気が差していた。

 しみじみと廊下を一人で歩きながら、意外なことだ、と名前は思った。名前の周りにはいつも取り巻きの誰かが居るので、こうして一人きりでいるというのは珍しいのだ。誰かの媚びへつらいに笑って返事を返すこともしなくて良いし、気の利いた台詞も言わなくて良い。広い廊下は自分の歩く音しかしなくてとても静かだった。
 カツカツと廊下を歩いていくと、先の曲がり角から、小さくて黒い物が飛び出してきた。ペタンペタンと床を跳ねているのは、ヒキガエルだった。ほんの数歩でその蛙の元に辿り着き、名前は逃げようともしないヒキガエルを拾い上げた。ヒキガエルはひんやりと冷たかった。
 こんな季節に城の中に居るのだから、誰かのペットに違いない。しかし生憎、ヒキガエルを飼っている生徒が名前には思い当たらなかったし、周りには誰も居なかった。壁に掛けられている絵画の淑女達に尋ねてみても、彼女達は首を傾げるだけだった。
 ヒキガエルは名前の手の上から逃げようとすらしなかったので、仕方ないと思いながらも、名前はどこかワクワクし、寮監に届けることに決めた。迷子のペットは、誰か先生に預けるべきだ。名前は談話室の方向へと向かうのを止め、地下牢教室の方へと歩き出した。


 ひんやりとして、ぬらりと湿っているヒキガエルは、本当に逃げようとはしていなかった。名前が自分をどこかに連れて行こうとしているのに、まったく無頓着だった。頭を撫でても、ぷにぷにと体を優しく握っても、お構いなしだ。目玉をつつこうとした時には流石に抵抗したが、それだけだった。
 クールなヒキガエルに、名前はいつのまにか愛着が湧いていた。スネイプ教授が預かって下さらなかったら、僕が飼ってやろう。名前はそこまで考えていた。
 階段に差し掛かり、降りようとした時、名前は不意に足を止めた。階段の真ん中ほどで、此方を見上げた生徒と目が合ったからだ。ネビル・ロングボトムだった。

「君、そんな所で一人で何をやっているの?」名前は思わずそう声を掛けた。
 ロングボトムはどう見ても、騙し階段に引っ掛かっていた。段の中に右足がズブリと埋まっている。名前は彼が鈍くさい事を普段の授業で知っていたので、他の皆がそうならなくとも彼なら二年生になっても騙し階段に引っ掛かるかもしれないと思い、今更不思議に思ったりはしなかった。しかし、反射的にそう尋ねていた。思わず笑いたくなってしまうような光景だった。ロングボトムの顔には、何で今この時にこんな奴に会わなくちゃいけないんだ?とありありと書いてあった。
 おかしな事に、彼の周りには名前しかいなかった。名前はロングボトムに尋ねながらも、彼が友達に置いていかれたか、それとも元から一人で居たからなのか、そのどちらかだろうと解っていた。そして、彼の鞄が口を開けて彼の数段下に散らばっている事や、ここが人通りの少ない階段である事から、後者らしかった。
「――トレバー!」ロングボトムは質問に答える代わりにそう叫んだ。
 僕は名前だ、と言い返そうとして、彼の視線がヒキガエルに向けられている事に気が付いた。名前が階段を降りている時にも、ロングボトムの視線は蛙に向いていた。
「これ、君のヒキガエルなの?」
「何で君が持ってるんだ?」
「偶々さ。一匹で廊下を跳ねていたから、寮監にでも渡しに行こうと思っていたところだ」
 こっちの言うことに答えようともしないロングボトムに、名前は少しだけムッとしたし、段々と心が冷めていくのを感じていた。彼が何も言おうとしなかったので、名前は仕方なく口を開いた。
「こういう時は君、何か言うものじゃないの?」
 名前はそう言いながらも返事は待たず――どうせ、彼は答えないだろう――に、拾ったヒキガエル(トレバーという名前らしいが)を無理矢理彼の手に押し付け、そのまま彼を段の中から引っ張り上げてやった。

 不意打ちだったからか、ロングボトムはよろめいた。しかし名前は手を貸そうとまではしなかったし、そして彼もそれを望んでいなかった。騙し階段から抜け出せたロングボトムは、急いで鞄を拾い、散らばっている教科書やら羽ペンやらを掻き集め始めた。
 名前は手伝うでもなく、その様子を眺めていた。
「君、水晶なんて興味あるの?」
「君には関係ないだろ」ネビルは名前の方を見向きもせず言った。
 やたらと見覚えがある尖った紫水晶に、名前は思わず声を掛けていた。何処で見たのかと考えれば、驚く事にスリザリンの談話室だ。上級生の一人が、羊皮紙の切れっ端やらお菓子の空き箱やらを変身させていた、あの紫水晶だ。どうやら彼は、寮も学年も関係なく紛い物を売り捌いているらしい。
「まさかとは思うけど、継承者用の魔除けじゃないだろうね」
 名前が足下に落ちていた、萎びた小さい蕪のようなものをプラプラ振りながら言うと、それに気付いたロングボトムは「返せよ!」と言って、名前の手から蕪を引ったくった。彼の顔がまだらに赤く染まっていたので、名前は自分の言った事が正しかったと知った。
「君が気付いてないのなら教えてあげるけど、継承者の敵ってのはマグル生まれの事を指しているんだぜ。君は純血じゃないか、れっきとした」
 ネビルは何も言わなかった。
「君は『襲われる』心配なんてしなくて良いだろうと思うよ」
「……僕がスクイブだって、みんな知ってるよ」
 ロングボトムが小さな声でそう答えたので、名前は奇妙な気持ちになった。
「いやだな、スクイブっていうのは、魔法が全く使えない人の事だよ。彼らは頑張っても、浮遊術はおろか、簡単なおできを治す薬だって作れないんだぜ。君はほら……そうじゃないじゃないか。いくらなんでも、ダンブルドア校長でさえ、スクイブをホグワーツに入学させるのは無理さ」
 名前がそう言うと、ロングボトムは俯いていた顔を上に向かせた。人の良さそうな丸い顔がくしゃりと潰れた。やがてロングボトムは、小さく何かを呟いた。彼が何と言ったのか、名前は上手く聞き取れなかったが、佇むロングボトムと彼の手の中で藻掻いているトレバーを残し、その場を後にした。

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