その日、名前は朝から憂鬱な気分を味わっていた。ついに今日、飛行訓練が始まるのだ。
 最後の授業は闇の魔術に対する防衛術だった。防衛術の授業は、教授から何から、ニンニク臭くてたまらなかった。噂ではクィレル教授はアルバニアで吸血鬼に出会ってから様子がおかしくなってしまったというが、名前にしてみれば、何故そんな教師を雇っているのか、ダンブルドアの気が知れなかった。自分の教える教科にもビビっているような人間が、一体どうして闇の魔術に対する防衛術の先生なんだ?
「ミ、ミスター・レ、レストレンジ、トロールにど、どんな種類がい、いるかわ、解るかね?」
「はい先生。山トロール、森トロール、川トロールの三種類です」名前はにっこりした。
「す、すばらしい」
 その後、クィレル先生はスリザリンに五点をくれた。
 クィレル教授がトロールについて講義をしている中、名前は目だけは彼に向けているものの、内心で舌打ちをしていた。どもりの授業はうんざりだった。しかしこの後、飛行訓練が待っている。どちらがより嫌か、甲乙が付けがたかった。


 三時半になる十分前、名前達スリザリンの一年生は校庭へと向かった。そこでグリフィンドールとの合同の、飛行訓練が行われる事になっていた。
 校庭に行く途中、名前の取り巻き達は勝手に話し合っていた。彼らは名前がそれこそ訓練が必要ないくらい、箒を自在に乗りこなせると思っているらしかった。一体授業がどんな風なのかと、ありもしない想像をしながら楽しそうに喋り合っている。箒が嫌いな名前は彼らの会話には参加せず、ただ憂鬱な気分で彼らのお喋りを聞いていた。後で、一人で箒も練習しようと心に誓った。
 スリザリン生が到着して間もなく、グリフィンドール生も全員が揃ったようだった。

 やってきたマダム・フーチは開口一番、みんなに箒の側に立つようにとガミガミ言った。マダムは怒りっぽい気質らしく、名前達全員を急かしてがなっていた。クラス全員が地面に並べられた箒の横に立ったのを確認すると、マダムは掛け声をかけた。
「右手を箒の上に突き出し、『上がれ!』という」
「上がれ!」
 みんなが同時に叫んだ。しかし一度で箒が宙に上がったのは少数で、名前は少数派の一人だった。どうやら、失敗するわけにはいかないと自分に言い聞かせたのが効いたらしく、手の中で箒が小さく振動していた。周りのスリザリン生が尊敬の眼差しで見つめる中、名前は密かに安堵した。
 皆の箒が無事に上がった後、マダム・フーチは実際に正しい乗り方をやってみせ、生徒達もやるようにと指示した。マダムは生徒と生徒の間を歩いて回り、皆の握り方やらなんやらを直させてから、次の指示を出した。
「私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って下さい」
 三、二、一――と、マダムが合図をし終わる前に、グリフィンドールの生徒がピューッと飛び出した。名前が解る範囲では、先程最後の最後まで箒が浮き上がらなかった奴だった。
「ロングボトムだ」スリザリンの誰かがそう呟いた。
 ネビル・ロングボトムは、マダム・フーチが戻ってくるよう大声で言っているのに、戻ってくる素振りを全く見せなかった。どうやら待ち切れずに飛び出したのではなく、何かの弾みで飛び出してしまったらしい。名前は小さく溜息をついた。このまま、授業が中止されてしまえば良いのに。

 ロングボトムは箒に跨ったまま、四メートル、六メートルと上昇していたが、不意に、箒が彼の体から離れた。彼が箒から落ちたのだ。ロングボトムが蒼白な顔をしているのが、名前にも解った。
「待ちなさい、レストレンジ!」
 マダムが叫んでいた。しかしそれが名前の耳に届く頃には、名前は既に箒に乗ってロングボトムの方へと飛んでいた。ヒッと息を呑むような音や、女子生徒の甲高い叫び声は、遙か後方から聞こえたように感じた。箒はてんでバラバラな方向へと枝が伸びているオンボロなのに、名前が操るまま、一直線に飛んだ。
 ネビルが地面に激突するまで三メートル。名前とネビルの視線が合った。名前はガバッと手を広げた。そして――
 ボキッ、と、嫌な音が名前の耳にも入ってきた。そして同時に息がつまった。名前の肋骨は悲鳴を上げていた。
 名前は咽せ込みながら、自分と、そしてロングボトムが死んでいない事が解った。名前に向かって墜落する事になったロングボトムは、顔を顰めてグスグスと泣きべそをかいていた。名前は自分が跨っていた中古の流れ星が、足の下で無様に折れているのが解った。
「おまえ、いつまで乗っかってやがるんだ!」
 名前が駆け寄ってきている皆に聞こえないように小さく叫ぶと、ロングボトムは反射的に名前の上から退いた。しかし、またすぐに泣き始めた。

 名前は立ち上がり、身の回りを確認した。やはり、箒は折れていた。バラバラになって二人の回りに散らばってしまっている。もう一本の箒は何処だと探すと、箒はかなり高い上空をフワフワ飛んでいて、そして次第に禁じられた森の方へと流れていった。いつまでも鼻を鳴らしているロングボトムを鬱陶しく思って見遣ってみれば、彼の左手首が本来なら曲がらない筈の方向に曲がっていた。
 ロングボトムがいつまでもぐすぐすしているのに苛立って、名前は彼の左腕を掴んで無理矢理引っ張り起こした。
「痛い!」ネビルが叫んだ。
「二人とも、大丈夫ですか?」
 ロングボトムにも負けないくらい真っ青な顔をしたマダム・フーチが、名前とロングボトムの顔を忙しなく見比べながら、ひどく切羽詰った様子でそう尋ねた。見ると、スリザリン生とグリフィンドール生も(綺麗に別れてはいるが)走ってくるところだった。
「マダム、ミスター・ロングボトムの手首が折れているようです」
「まあ」
 マダム・フーチは手首を押さえているロングボトムに目を移し、彼の左手首の様子を確認した。
「大丈夫よ、ネビル。医務室に行けばすぐに治りますから」マダム・フーチが優しげな声でそう言った。それから、名前の方に向き直って言った。「スリザリンに五点です、レストレンジ。浅はかな行動でしたが、あなたのおかげでロングボトムは無事でした」
「私がこの子達を医務室に連れて行きますから、その間誰も動いてはいけません。箒もそのままにして置いておくように。さもないと、クィディッチの『ク』を言う前にホグワーツから出ていってもらいますよ」


 医務室に行く途中、箒に乗る時は軽はずみな行動をしてはいけないとマダム・フーチが二人を注意していたが、名前とネビルの二人はろくに返事もしていなかった。二人はそれぞれ反省してはいるものの、それとこれとは話が別だった。どちらも頑なに前を向いたままで、フーチ先生の方を見なかった。そうでもしなければ、相手の姿が目に入ってしまう。二人共、目を合わしもしていなかった。名前は、彼が――ヒキガエルに逃げられ、魔法薬学の授業でおできを治す薬を爆発させていた少年が――あのネビル・ロングボトムなのだと気付いていたし、ネビルの方はネビルの方で、名前がレストレンジ家の息子なのだと、組み分けの時から知っていた。
 マダム・フーチが校医のマダム・ポンフリーに名前達二人を任せて医務室を出ていき、手首の骨折を治す為のスケレ・グロを探しに薬棚へとマダム・ポンフリーが向かった後、ロングボトムが呟いた。
「……僕、君にお礼は言わない」小さな声だった。
「好きにすれば良いさ」名前が答えた。
 名前は実際、彼の事などどうでも良かった。彼を受け止めようとしたのは、何かの弾みだった。決して、彼に負い目があったからではない。助けようとすれば周りから良い評価を貰えるだとか、そんな事を考えていたわけでもなかったが、何故か彼を受け止められるんじゃないかと思ったのだ。
「君がどう思おうと君の勝手だ」
「さあロングボトム、これを全て飲むんですよ」名前が言った時、ちょうど戻ってきたマダム・ポンフリーが、湯気の立っている薬が半分ほど注がれたコップを差し出して、ロングボトムにそう言った。

 勿論ロングボトムはマダムに従い、その薬を飲もうとした。しかし一口飲むか飲まないかの内に、ロングボトムは顔色を今まで以上に悪くさせた。どうやら骨を接着させるための薬は、そうとう不味いらしい。咳き込んでいるロングボトムを見ながら、いい気味だと名前は密かに思った。
 付き添いのおかげで飛行訓練の時間が少し減った、と内心で嬉しく思っていると、不意にマダム・ポンフリーが、名前にもロングボトムに渡したものと同じ物を差し出した。どうやら、肋骨が骨折していたのがばれていたようだった。名前が渋々受け取ると、マダムは二人ともベッドで一時間安静にしているようにと告げた。
「嬉しいよ、ここまで付き合ってくれるなんて」ロングボトムが皮肉った。
 名前はムッとしたが、何も言わず、焼け付くような辛さの薬を一気に飲み干した。

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