Pyrrhic Victory

「アスフォデルとニガヨモギを合わせると、眠り薬となる。あまりに強力なため、『生ける屍の水薬』と言われている。ベゾアール石は山羊の胃から取り出す石で、大抵の薬に対する解毒剤となる。モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物で、別名をアコナイトとも言うが、とりかぶとのことだ」
 ふと、そこでスネイプ先生は言葉を句切り、そして言った。
「諸君、何故今の言葉を書き取らんのかね?」



 終業のベルが鳴り響き、陰気くさい地下牢教室を出る頃には、殆どの生徒は魔法薬学という教科自体に嫌気が差しているようだった。何人もがぶつくさと不平を呟いているし、あからさまに教師を罵る生徒も居る。確かにスネイプ先生の授業は緊張が走っていて、身が削られる思いだった。
 しかし名前は、魔法薬学が好きになった。先日の、変身術なんかよりは特に。魔法薬を煎じるのは楽しかったし、一番に調合が終わって五点の加点をもらった事は嬉しかった。スネイプ先生に褒めてもらえた事も、誇らしかった。
「有名なだけでは何もできない……ハッ、本当にそうだ。ポッターの奴、ざまを見ろ、だ!」
 魔法薬学が難しいにしろ、楽しまなかった大半の生徒はグリフィンドール生だった。逆の場合が主にスリザリン生で、名前も実際その一人だったし、隣を歩くドラコ・マルフォイは、まさに有頂天だった。もっとも、名前とドラコが楽しんだ理由は全く違うのだが。

 名前は薬学の授業を、二人組を作れと言われ、そして誘われるままにドラコと組んでいた。だから今、こうしてドラコの隣を歩いていたし、名前の後ろには、クラッブとゴイルが巨体を揺らして歩いていた。いつものような、おべっかを使って取り入ろうとしてくるような輩と違い、気が合うかどうかは別としても、昔からの付き合いであるドラコ達と一緒に居るのは、名前にとって気が楽だった。
 スネイプ先生は、あの憎たらしいグリフィンドールから容赦なく減点をしたので、スリザリン生は授業を嫌だと思っても、その事については薬学の授業を楽しんでいた。スリザリン寮監のスネイプは、スリザリン贔屓。前評判は本当だった。
「それに、あのロングボトムとかいうやつ。いい気味だ。ニブチン!」
「ねえ、そんなことどうだって良いじゃないか。それより、どうしてスネイプ教授はあの……グレンジャー? とかいう子を当てなかったんだと思う? 教授は挙手をしても、当てて下さらないのだと思うかい?」
「知るもんか」ドラコが言った。「それに君、どうせ手を挙げないじゃないか」
 まあそうだな、と名前は頷いた。名前自身、教師が質問をして、それが解っている問いだったとしても、授業において、自分から挙手をしたりはしなかった。そういうのは、ドラコとか、ザビニとか、ああいった目立つのがやるべきだ。僕はそういう柄じゃない。
 ドラコが機嫌が良いらしいと名前が解ったように、名前のそういう性格を、ここ数日で、ドラコも薄々察したようだった。君は勉強もできるくせに、とかなんとかドラコは小さくぼやいたが、名前は気にしなかった。

 おできを治す薬の調合を、褒めて貰えた事は嬉しかった。しかし同時に、スネイプ先生が自寮の寮監である事は解っていた。もしも自分がスリザリン寮じゃなかったとしても、スネイプ先生は褒めて下さっただろうか? 思わず名前は、そう考えてしまうのだった。あの人が自分の両親と旧知であった事も確かだ。
 僕は、ちゃんと魔法薬を調合できた。『ウスノロ』とは違う。
 名前は、スネイプ先生にもっとちゃんと、自分を褒めて欲しかった。ハリー・ポッターが聞かれていた質問も、全て解っていた。グレンジャーだけじゃないんだ。他の授業は別として、魔法薬学だけは、好きだと思えた唯一の教科なのだ。他の誰にも負けたくない。名前は、魔法薬学だけは自分から挙手をしていこうと決めた。
「名前、君、聞いてるのか?」ドラコが聞いた。
「聞いているさ。飛行機を、すれすれでかわしたんだろう?」
 名前とドラコは右に曲がり、階段を上った。先程の地下牢教室のすぐ上に、スリザリンの談話室があった。二人とも、一度荷物を置いてから、昼食を食べに行くつもりだった。
 考え事をしながらも、名前はドラコが喋っていることをきちんと聞いていた。七歳の頃、箒に乗っていたとき、危うく飛行機にぶつかりそうになった時の話だ。どれほど自分が空高く飛び、いかに上手に飛行機をかわしたか。ドラコが話す話の中でも、お気に入りの一つだった。
 しかし、もう何度も聞かされていたし、というよりも名前は、実際その場に居た。ドラコが危うく飛行機を躱し、その直後にバランスを崩して転落した事も知っていたし、彼の父親である自分の叔父があの後、魔法省から厳重注意を受けた事も知っていた。そして、それらの事をドラコが話の中で省く事も、ちゃんと知っていた。
「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃないか」
「そうだねえ」
 階段の真ん中の段を、名前はひょいと跨いだ。
「僕ならそんな目にあったら、二度と箒に乗ろうだなんて思わないね」
 ドラコは勇気があるね、と付け足そうとした時、後ろから小さく、うわっと悲鳴が上がった。名前が後ろを振り返ると、クラッブが騙し階段にズブリと足を取られていた。名前とドラコは顔を見合わせ、仕方なくクラッブの救出に向かった。


 ホグワーツの授業において、名前は常に予習復習を欠かさなかった。レストレンジの跡取りとして、トップの成績を収める事はいわゆる一つの義務だった。良い成績を取れば、友人達は感心してより人のパイプができていき、また名前の将来へとも繋がる。名前は首席になる事を自分に課し、そしてゆくゆくは魔法省で高い地位を得る事を目標としていた。それがレストレンジの嫡男として生まれた、名前の役目でもあったのだ。
 名前は自分の立場を昔から理解していたし、そうして頑張っている自分という存在はそれほど嫌いではなかった。勉強をして知識を得ていくのが楽しいとも思えていたし、もし仮に自分がレストレンジ家に生まれなかったとして、悪い成績を取ったとしても、それは自分のプライドが――負けず嫌いな性格というよりは、諦めが悪い性格だという方がより正確かもしれないが――許さなかっただろうと解っていた。

 しかし、予習や復習だけではどうにもならない事が一つ生まれていた。
 その日の談話室は、主に一年生の生徒達によって浮き足立っていた。上級生達は、それは毎年の事だと解っておるらしく、少しも関与しない。掲示板の周りにいる一年生達だけが、ざわざわと囁き合っていた。
「やったぞ、ついに始まるんだ」名前の隣で、誰かがそう言った。
 次の木曜日の放課後――つまり、明々後日の放課後だが――に、飛行訓練が行われることになった。みんな箒に乗るのを楽しみにしていたし、そこら中で飛行訓練の授業の話(グリフィンドールと合同だって! あいつらがどんなに下手くそな乗り方をするか、じっくり拝んでやろうじゃないか!)や、自分の箒についての体験談(私の箒ってママのお下がりなんだけど、蝶々にも追い抜かれちゃうの。でもそのおかげで私、ターンやスピンが抜群に上手くなったわ!)、クィディッチの話(一年生は選手になれないなんて、一体誰が決めたんだ? 僕がレギュラーになったら優勝間違いなしだろうになあ)などをしていた。
 一週間に一度しかないだとか、グリフィンドールと合同だとか、そんな事は全て、名前にとってどうでも良い事だった。全く持って、そんな事には興味がなかったのだ。
「なあ名前、君は飛行訓練をどう思う?」
 名前の周りにいつもいる、茶髪の男子生徒が名前にそう聞いた。名前は返事をしながら、そういえば彼の名前は何というのだっただろうとぼんやり考えていた。
「どうって事ないさ。僕は昔から箒に乗ってきたし、わざわざ課外授業として扱う、その理由を知りたいぐらいだよ。それよりも僕は、グリフィンドールだなんてうるさいだけの連中と合同なのが気に食わないね。君もそう思わないかい?」
 名前の取り巻き達はそうだそうだと同意し、勝手にぺちゃくちゃと喋り出した。スリザリン生が一番盛り上がるのは、やっぱりグリフィンドールを槍玉に挙げた話題だな。名前はうっすらとそう考えながら、飛行訓練の掲示を見つめた。
 名前は、箒が大嫌いだったのだ。

 別に乗れないわけじゃなかったし、恐いわけでもない。しかし、名前は箒が嫌いだった。下手ではないと思うが、上手ではなかったのだ。人並みには乗れる筈だ。しかし、所詮人並みだ。こればっかりは生まれながらの才能の差であって、名前の努力ではどうにもならない、そう解り切っていた。
 わざわざ時間の掛かる箒に乗る必要を感じない事も事実だったし、煙突飛行粉の方が圧倒的に楽に思えるのだから、練習するのを怠慢だと思う事は仕方がない。
 姿現し術を練習する方が、よっぽど時間の有効活用というものだ。それだったら、この中の誰よりも早く習得する自信があるのに。なんなら、今から六年生の中に混じって練習したって良い。
 名前は人知れず、そして自分でも気付かぬ内に、小さく溜息を吐いていた。

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