蛙に睨まれた蛇

 大柄の異星人が行き交っている中、彼らを避けるように名前はじぐざぐに歩いていた。いくらこの街がインダストリアの監視下から外れていたとしても、目を付けられるような真似はしたくない。名前のような一商人にとって、いざこざの類は絶対に避けなければならないのだ。
 が、結局後ろを歩いていた同行者達のせいで、名前のそうした気遣いは無駄になってしまった。毛むくじゃらの異星人にぺこぺこと頭を下げつつ、右手に持っていた引き綱をぐっと引く。
 サーペント星人の名前、職業は――奴隷商人。


 ここもやりやすくなりましたねえと、名前の相方がしみじみと言った。その言葉に、名前もちらと辺りを見回す。二年ほど前、ブラックという男が侵略を開始してからというもの、マセイルの街はもはや昔の面影を失くしていた。通りには異星風の建物が聳え、名前達のような異星人が闊歩している。そうだなと相槌を打てば、相方はガラガラと笑った。
「おかげで私らもおまんまにありつける。ありがたいよ、全く」
 同じくサーペント星人の彼は再びガラガラと笑う。「この星の連中、ほんとちょろいですもんね。大口開けずとも鼠が飛び込んでくる、入れ食いですよ」
 俺たちがちょいと睨んでやれば竦み上がるんだから、こんなに楽な仕事はないですよと愉快げに言う彼に、名前もこくりと頷いた。名前は決してお調子者というわけではないのだが、確かにマセイルを拠点としてからというもの売り上げは上々で、自然と頬が緩むというものだ。奴隷はいつでも地下から調達できるし、需要も高い。おまけにインダストリア星人は脆いから、すぐに次の注文が入る。ここ数か月、名前達の懐は確かに暖かだった。

 が、こうも調子が良過ぎると、同時に少々薄ら寒くもあるのは確かだ。
「――そろそろ潮時かも解らんよ」
 名前が小さく呟けば、相方はええー!と不満そうな声を上げた。
「うるせいよ。ともかく、こいつら――」名前は後ろに続く奴隷達をくいっと顎で指し示した。「――売っ飛ばしたらここは締めえよ。もっともお前が一人でやってきたいってんなら、私は一向に構わんがね」
 そんなぁとぶつくさ言っている彼に少々腹が立ち、その首筋をぐっと掴んで引き寄せる。ぐえ、と蛙が潰れたような音がした。
「あそこを見てみ」
「……どこスかぁー」
 情けない顔をしながらも、相方は名前が指差した方向を見遣った。二人の視線の先には、のっぽの異星人がその背を弓なりに曲げ、不機嫌そうに歩いているところだった。
「ありゃあ……タドですね、ブラックのとこの」
「そうよ。ありゃあ事が順調って面じゃない。ここん所いっつもあの調子だ。インダストリア連中だって馬鹿じゃあねえし、下にゃまだ抵抗続けてる輩も居る」
「けど、ブラックは憲兵連中だって丸め込んだわけでしょ?」
「お前、仲間裏切ってきた連中を心底信頼できるか?」
「なァる……」納得したように小さく呟いた彼は、そのまま「あれ?」と首を傾げる。「タドが消えましたね」
 彼の言葉につられ、名前も先ほどまでタドが居た方向をもう一度見る。人込みに消えてしまったかと思って見渡せば、タドらしき姿は見当たらない。なかなか特徴的なシルエットだし、そうそう見失うこともない筈なのだが。
「……まあ取り敢えずだ、暗黒エネルギーだかなんだか知らねえが、これ以上胡散臭い連中にへいこらするのもやめにしようってだけの話だ」
「誰が何だって?」
 唐突に降ってきた第三者の声に、名前は微かに身動ぎした。相方の顔は真っ青になっていて、最悪の展開を予想しながら後ろを振り返る。背後に立っていた男の顔を見るのに、随分と上を見なければならなかった。そこにたっていたのはブラックの右腕、フロッグ星人のタド・ポールだった。


 名前はぱっと笑顔になった。「これはこれはタドさん! こんな所で一体どうなさったんです? お仕事ですか?」
「そんなようなもんだ」
 にこにこと笑っている名前、そして先ほど見掛けた時と違いニヤニヤと笑みを浮かべているタド。相方はなおも真っ青な顔をしていて、それどころか震えてすらいる。こいつを一息で丸呑みにしてやれたらどれほど良いだろう。そんな事を考えながら、名前はタドの出方を伺う。恐らく名前達の会話が聞こえていたに違いない。
「景気良さそうじゃねぇの、商人さん」タドが言った。
「おかげ様でこの通り、繁盛しております、ええ!」
 その割には随分薄汚れたのばっか並べてんねと鼻で笑うタド。そんな彼を見詰めながら、名前はにこにこと笑い続ける。タドにこうして会えて、本当に嬉しい――そんな表情を作ってはいるものの、あまり効果は期待できない。
 サーペント星人とフロッグ星人、その性質上、名前の方がタドよりも圧倒的優位に立っている。しかしながら、タドは件の侵略者軍団、そのトップの右腕たる男だ。どんな卑怯な手を使っても勝てはしないだろう。元々名前は戦闘に長けているわけでもなし、タドが本気で名前達に腹を立てているのであれば、一瞬で首が飛ぶに違いない。
 首が飛ぶだけなら良いのだ。死ねばそこで終わりなのだから。タドに嫌われて、商売が続けられなくなるのが一番まずい。
 本当に、好調ばかりが続くとろくなことが無い。サーペント星人の中でもことさら背が低く、むしろインダストリア星人と同じくらいの体格をしている名前は――もっとも、そのおかげで簡単な変装だけでインダストリア星人の中に紛れ込むことができるのだが。スキンコートを被るだけで簡単に内部に潜入できる。商品の仕入れも簡単だ――フロッグ星人の中でも長身のタドを見上げるには、それこそ背中を思い切り反らしていなければならなかった。背骨が悲鳴を上げている。「タドさんも一匹いかがですか? お安くしますよ!」
 にっこりと笑ってそう言葉を紡げば、笑みを浮かべていたタドがふと考え込んだような顔付きになった。奴隷が入用だったのか、それとも別の理由からか。やがて、タドが言った。「サーペント星人はいくらだ?」

 ジョークと受け止めるべきか、それとも真面目に答えるべきなのか、名前は暫し考えた。そろそろ辞世の句を用意しておくべきかもしれない。
「そうですね、七千クォークといったところでしょうか」
「へぇ」
 少しばかり目を見開きながら、「結構高ぇんだな」とタドは呟いた。同族の私達が攫おうとなると色々と手間が掛かりますからねえと笑いながら、名前はタドの動向を伺う。彼は自身の財布を取り出し、それを名前達の方へ放り投げた。
「じゃ、買わせてもらうわ。糞生意気で、オレを見下していやがるてめェをな?」


 こてりと首を傾げてみせたタドと、反対に血の気が引いていく名前。もはや、作り笑いすらまともに浮かべられなかった。相方も奴隷達もそしてタドも何もかもを振り切り、人混みに紛れようと駆け出す。が、一歩と進まない内に横腹に重い一撃を食らった。タドに蹴り飛ばされた名前は数メートル吹き飛び、痛みに呻きながら地べたに這いつくばる。それでも逃げようとするのだが、すぐにそれも叶わなくなった。瞬く間に名前の元までやってきたタドが、そのまま名前の頭を踏み付けたからだ。
「くそっ! どけよ!」
「何言ってんのか聞こえねぇぜ?」ブプ、とくぐもった笑い声が頭上から聞こえてきた。それが存外近い所から聞こえてくるのは、タドが屈み込んでいるからに違いない。視界の端で、タドが頭部に着けていた羽飾りが揺れているのが解る。「ともかく、てめェは今からオレのもんだ。解るだろ?」
 全てはオレを見下した、てめェの浅はかさを恨むんだなと、タドが笑った。
「っそが!」名前の口から呪詛が漏れるが、タドは気にも留めない。
名前の頭に足を乗せたまま、その財布ごとくれてやるからてめェは失せろ、と相方に声を掛けている。何年も共に奴隷売買を続けてきた相方は、「名前さんが居なくてもやってけますから、心配しないでくださいね」と早々に名前達の前から姿を消した。自分に火の粉が降りかかるのを恐れたに違いない。そりゃ、名前と彼の立場が逆だったならば、名前だって奴を見捨てたに違いない。しかし実際、こうもあっさり――何の感慨もなく――見捨てられるというのは、ひどく悲しかった。これからタドにどんな仕打ちを受けるのかより、むしろそちらの方がショックが大きいかもしれない。
「っそ……」
 漏れ出た呟きに、タドがにちゃりと笑った。「てめェの今の顔、すごく良いぜ」
 タドに頭を踏まれながらも、名前はそこから動くことができなかった。かろうじて拘束を乱暴に解くことはできたかもしれないが、そのまま最後まで逃げ切れる自信はない。
 何故こんな奴に良いようにされなければならないのかと考えると腹が立つし、何より自分が情けなかった。蛇に睨まれた蛙ならぬ、蛙に睨まれた蛇――もう一度、名前は小さく「くそが」と呟いた。

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