菜食主義者の嘆き

 他の動物を襲い、その肉を食べる肉食動物は下品で下等。反対に、ただそこに生えている植物を食べるだけの草食動物は上品で上等――その言葉の是非はともかく、少なくとも、サラブレッドであるロデオはそう信じ切っている。
 ヤツドキサーカスのパフォーマーでもある彼は、根っからの草食至上主義者だった。
「見ろ、肉食の連中はまたああも騒いでいる。まったく、下品極まりない」そう言って鼻息を荒く噴き出したロデオは、ふと思い付いたかのように、俄かに名前の方を向いた。「名前だってそう思うだろう?」
 ロデオの視線の先――馬の視界はほぼ350度というから、この表現は的確ではないかもしれない――では、シシドとビャッコフが何やら揉めているようだった。同じネコ科同士仲良くすれば良いのにと、そう思わないでもないが、その理論で行くとツキノワグマである名前は志久万と仲良くしなければならなくなるので、その考えを口に出しはしなかった。志久万さんはちょっと怖い。
「そう……だね」
 名前が力ない笑いと共にそう答えると、ロデオはニッと笑ってみせた。ひどく満足げだ。多分、同意が得られて嬉しいのだろう。「やはり、名前は話の解る雌だ」
 逢魔ヶ刻動物園のメンバーは、その半数以上が草食動物だったが、不思議な事にロデオと同じ意見を持つ者は居ないに等しかった。草食動物だって植物を食べているのだから、他の生き物を殺していることに代わりはない筈だとか、そもそも肉食と雑食、草食の区別をすることに興味がないとか、ロデオのテンションが怖くて同意できないとか――様々な理由があるようだったが、結果として、彼に同意をする者が少ないのが現状だった。
 頷いてみせた名前はどうかというと、正直なところ、草食だろうと肉食だろうと大差ないと思っていた。皆、食べたいもの、食べられるものを食べているだけであって、そこに貴賤はないのではないか。それに名前自身はクマ、つまり雑食だ。

 草食至上主義であるロデオは、無論雑食動物のことも卑しいものと見なしている。しいて言うなら、「まあ肉食よりはちょっと上かな〜」くらいのものだろう。――彼の草食動物以外への振る舞いは目に余るものがあった。偉そうだし、傲慢そのものだ。本来なら、彼がクマである名前に対し、にこやかに微笑むなど有り得ない。
 それでは何故、今なお隣に座っていられるのか。それも、ごく親しい友人を相手にしているかのような、そんな態度で。
「まったく、連中も名前を見習うべきだな。そりゃ、俺だって肉食の連中に草食になれとは言わないさ。奴らは体の作りが違うんだ。しかし雑食なら、肉を食わずとも生きていける筈だし、実際名前は菜食になった。そうだろう?」名前の同意も無しに、ロデオは一人話し続ける。「意思の力次第でどうにかできることもある。皆名前を見習い、草食のようにもっと上品に生きるべきだな」
 そう言って頷いているロデオに、名前はぎこちない笑みを浮かべた。

 ロデオと知り合ってから、名前が菜食主義になったのは事実だった。ここ一か月ほど、肉や魚といった類を口にしていない。別にロデオに脅されたとか、彼の勢いに根負けしたとかじゃない。いや、まあ、ロデオが居なければ菜食になどなろうとも思わなかっただろうが。
 ついでに言うと、ロデオの考えに感銘を受け、上品な草食動物になることを目指しているわけでもない。名前はただ、ロデオと仲良くなりたかった。そして、試しに禁煙ならぬ禁肉をやってみたら意外と続いた。それだけだ。


 しかしながら正直なところ、ロデオは名前を過大評価している。彼はどれだけ名前が我慢しているのかを知らないのだ。もっとも、ロデオ以外の誰が知っているというわけでもない。もしかするとハナちゃんは気が付いているかもしれないが――それだけだ。
 植物から得られる栄養と、肉類から得られる栄養は必ずしも同じではない。大きな体を動かし、維持する為には相応なエネルギーが必要で、それを全て植物で補おうというのはこれがどうしてなかなか難しい。冬眠はしないのだから秋口に無理にカロリーを溜め込む必要はないとはいえ、日々の生活に必要な栄養を取ろうとすると、かなりの量の野菜を食べなければならないのだ。
 それに何より――満足感が違う。

 名前だって逢魔ヶ刻に来るまでは――いや、ロデオが動物園へ来るまでは――普通に肉類も食していた。脂の乗ったイノシシや、生まれたばかりの野ウサギ……それぞれ違う旨みがあった。歩き回った末に見付けた蜂の巣をハチの子諸共食べ尽くすのは、最高に気持ちが良かった。
 ――クマは、本来雑食だ。
 ペラパカペラパカと一人喋り続けているロデオの横で、名前は唇を噛み締めていた。
 身の引き締まった彼の身体は、とても美味しそうに見える。
 飢えて死にそうになったとしても、こうして変身している以上、絶対に仲間に手をかけたりはしない。相手がロデオなら尚更だ。しかし、こうも無防備に隣に居られると――ごくりと生唾を飲み込むと、その音を聞き付けたのだろう、ロデオが「んん?」と小さく呟いた。
「名前、どうかしたのか?」
 喉でも乾いているのかと僅かに首を傾げてみせるロデオに、何でもないと手を振った。

 確かにロデオはとびきり美味しそうに見える。が、いくら何でも食べたいとは思わなかった(食べたら美味しいだろうなあと、考えてしまっているだけだ。これだけでもかなり危ないことには変わりがないが)。ただ、この微妙な距離感を保ったまま、付き合っていかなければならないのはとても辛い。名前が草食生活を諦めてしまえば済む話なのだが、何よりも名前は、ロデオとこのままの関係で居たかった。
 名前はロデオのような、草食至上主義になったわけではない。ロデオと仲良くなりたいからこそベジタリアンを目指しているだけなのだ。彼はそんな名前の考えを知らないだろうし、何故飢餓感に苦しんでまでロデオと仲良くなりたいかなど解らないだろう。
「具合が悪いなら無理はするなよ?」ロデオが言った。
「ううん、平気だよ。どうもありがとう」
 名前が言うと、ロデオは「ふむ」と小さく言った。「名前のそういう謙虚な所、草食らしくて良いな」
 俺も見習わなければなと続けた後、ロデオはニッと笑いながら言った。名前は草食の鑑だなと。名前は苦笑いを浮かべながら、自分が菜食をやめた時のことを想像した。彼のこんな笑顔は拝めなくなるに違いない。解り切っている。
 私は雑食だよと、名前は小さく呟いた。

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