玄関で待っていたマーシュの前に現れたのは、やはり名前ではなく彼の相棒であるゲコガシラだった。おはようさんと声を掛ければ、ゲコガシラはやがて小さな声で鳴き、すっと身を引いてマーシュを迎え入れてくれた。
 ゲコガシラの案内に従ってリビングへと向かえば、マーシュの予想に反し、家の主は起きてレコーダーを弄っている。ゲコガシラが鳴いて呼び掛けると名前は振り返り、マーシュの存在に気付くと「やあ」と手を上げた。
「なんや、驚いたわあ。初めてと違う、うちが来た時に起きとったん」
「そうだったかな」
 立ち上がった名前は少々恥ずかしそうに笑っている。「さっきまで別の映画を観ていたんだ」
 徹夜しちゃったよ、と子供のように笑う名前の目の下には、確かに薄っすらと隈がある。まあ、彼は大分不規則な生活を送っているわけで、こうして眠そうにしていること自体は珍しくないが。マーシュがついとその隈を指でなぞると、名前はぱちぱちと目を瞬かせ、そのまま小さくはにかんだ。

 無言の抗議に、マーシュはすぐさま名前から離れる。もっとも、本人は未だ、自分の一番身近な相棒の気持ちには少しも気が付いていないらしい。
「でも、良いのかな。まだ上映中だっていうのに」
 そう言いながらも、その目はたった今手渡されたDVDのパッケージに夢中だ。――ポケモンも一緒に入れる映画館はカロスでも僅かで、上映日も限られている。ジムリーダーとして多忙なマーシュと、名前の予定はどうしても合わず、困り切っていたところだった。そこに手を貸してくれたのが、主演女優その人だ。
 マーシュは微かに笑った。「ええんとちゃうかな、カルネはんが貸してくれたんやから。まあ……試写会みたいなものと違う?」
 どうしても映画を観たかったが、ポケモンを置いていくこともしたくはない――どこから聞き付けたのか、そんな悩みを聞いたカルネが、「ぜひポケモンと一緒に観て」と、映画のDVDを快く分けてくれたのだ。まだ試作段階だけどという言葉と共に。

 同意するようにゲコガシラが小さく鳴き、名前はそうかなと首を傾げた。それから、君達前より仲良くなってない、とも。
 マーシュとゲコガシラは顔を見合わせたが、互いに否定的な言葉を紡ぐ。マーシュはまさかと言い、ゲコガシラは不服そうに鳴き声を上げた。別に仲良くなってはいないし、マーシュがゲコガシラの気持ちに気付く前と変わらず、互いに「諦めてくれたら良いのになあ」と思っている。
「ジムリーダーってすごいな……」
「そうやろ?」
 にっこりと笑うと、名前は肩を竦めた。


 プレイヤーを操作している名前の背を眺めながら、マーシュはこの上ない幸せを感じていた。彼がこのまま、近くに居ることをずっと許してくれたら良いのに。もちろん、恋人とか、それ以上の関係になれるならもっと良い。しかし、マーシュはそこまでは望んでいなかった――まだ、今は。
「ほんでも、楽しみやわあ。カルネはんも楽しみやけど、うち、ビースト役の俳優さんも好きなんよ」
「ビースト役?」一瞬名前の動きが止まったように見えたが、どうも見間違いだったようだ。慣れた手付きで操作を続けている。「確かに、ハンサムな役者だよね。けど、今回は大体特殊メイクしてるんだろ?」
「そうね。でも、声もええやない」
「……ふうん」
 ぱっと立ち上がった名前は、さあ出来たぞと言いたげな顔付きをしていたが、マーシュが礼も言わず、「何や嫉妬でもしとるん」と問い掛けたことで、些かムッとしたようだった。先程まで子供のようにはしゃいでいた癖に、今度は不機嫌な子供そっくりになっている。
「それとも、自分の方がハンサムや思とる?」
「別に……そんな事はないさ」
 リモコンを片手に、マーシュとゲコガシラの間に座った名前。その顔は不貞腐れたままだ。
「名前も男前や思うけど、えらいださいからなあ……」
「マーシュ、僕だって傷付くんだぜ」
「ほんまの事やもん」マーシュはにっこりした。「何なら、名前もカルネはんのこと、褒めたらええんよ」
 名前はちらりとマーシュを見遣り、そして言った。「君の方が綺麗だと思うけどね」


「……あら、お上手」
「チャンピオンも綺麗だし、凄い人だとは思ってるよ。もちろん映画俳優としても好きだし……けど、人間の中じゃ君が一番好きだね。それにチャンピオンは、僕が一ヶ月洗濯物を溜め込むと知ったら、きっと軽蔑するだろうさ」

 そもそも僕の友達は君しか居ない、とぶつくさ言った名前に、マーシュは何と答えれば良いのか解らなかった。この時ほど、感情が表情に出にくいことを感謝したことはない。
 マーシュが口を開き掛けた時、ゲコガシラが一声げこりと鳴いた。二人は漸く、既に映画が始まっていることに気が付いた。薄型テレビには、配給会社のロゴが流れている。マーシュと名前は目を見交わし、話は映画が終わってからにしようと無言で頷き合った。ゲコガシラが音も無く部屋の明かりを落とし、三人きりの上映会は幕を開けた。

[ 303/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -