名前という男は、おそらくポケフィリアだ。しかも、重度の。

 ポケフィリア、つまりポケモンに対して性的な感情を抱く、性的嗜好のことだ。
 無論本人に直接尋ねたわけではないし、彼から打ち明けられたわけでもない。マーシュが勝手にそう思っているだけだ。しかし不気味な確信があったし、おそらく間違いではないだろう。

 例えば、彼には恋人が居ない。
 ――こういう風に言っては何だが、彼はコミュニケーション能力が頗る低いし、身形に気を遣わないおかげでミアレに住んでいる癖にスタイリッシュと対極の位置に居る。しかしながら、異性にまったくモテないわけでもないのだ。それらを補って余りあるほどに、彼は容姿が整っている。名前が女性に声を掛けられているシーンに遭遇したのは、実のところ一度や二度ではない。
 しかし、名前は異性というものに全く興味を持たなかった。街中でどれほど麗しい女性に声を掛けられてもそれきりだし、マーシュは今まで彼の身の回りで(自分以外の)女の影を見たことがなかった。そして極め付きは、ポケモンを♀のゲコガシラ一匹しか持っていないことだ。

 一般的に、トレーナーは二匹以上のポケモンを連れている。また、誰かとバトルする際にも、最低一匹は残しておくのが普通だ。そうしないと、バトルに負けてしまった時に、にっちもさっちも行かなくなってしまう。
 だから、「一匹だけ」しか持っていないというのはとても珍しいのだ。
 よほどその一匹がレベルが高く、誰にでも勝てる自信があるのか、それともバトルに負けた後でポケモンセンターに向かっているのか、それとも新人トレーナーで本当に一匹きりしかポケモンを持っていないのか。
 確かに、名前のゲコガシラはそれなりにレベルが高い。しかし、常時一匹しか連れていないし、新人トレーナーというわけでもない。それに彼は、本当にゲコガシラ一匹しか持っていないのだ。
 カロス地方に住むポケモントレーナーは、クロケアが管理する預かりシステムを使っても良いことになっている。しかし、名前のボックスは常に空っぽだ。その事を尋ねれば、名前は「僕はトレーナーじゃないからなあ」と苦笑する。トレーナーカードは持っているし、ポケモンも持っているが、資格を有しているだけのペーパートレーナーなのだと彼は言うのだ。

 確かに、ポケモンを戦わせるのがトレーナーならば、名前はポケモントレーナーではない。しかし、わざわざゲコガシラだけを――カロスに伝わるケロマツ神話に出るケロマツの進化形であり、ゲッコウガに進化するレベルをゆうに超えているゲコガシラを――連れているというのは、些か妙な話だった。
 以前その事を少し聞いてみたところ、食費が嵩むから進化させないのだと言っていた。妥当な理由ではあるが、それだけ違和感があるというか。費用がどうこうと言うなら、ケロマツのままの方が良いだろうに。
 ――これがマーシュの杞憂であり、ただただ単純に、マーシュがゲコガシラに対して嫉妬心を抱いているというだけなら良いのだが。
 整った顔をしているのに恋人も居らず、手持ちは雌のポケモンが一匹だけ。付き合っている女性は居らず、「ゲコガシラはゲコガシラだから良いんだ」などと笑う名前。仮にマーシュが名前に好意を抱いておらずとも、そう考えてしまうのは仕方がないことなのではなかろうか。


 ポケモンに嫉妬するというのも妙な話だ。しかし、確かに名前はゲコガシラのことを大切にしているし、あのゲコガシラはこれ以上ないほどに大切にされている。
 美しいゲコガシラだ、とは思う。
 肌は艶やかに光り、発色も良い。傷一つ無いし、常に万全の状態に手入れされている。遠くホウエンやシンオウでは、ポケモンのコンディションを高め、コンテストに臨ませるというが、名前のゲコガシラはそういったポケモン達と比べても遜色ないに違いない。

 まあ、全てはマーシュの想像でしかないし、ゲコガシラも何かを無理強いされている様子はないので(しかも、名前に大そう懐いているようなので)、何も問題は無いのかもしれなかった。下手をすると名誉棄損になってしまう。問題があるとすれば、やはりマーシュの方にあるのだろう。
 仮に本当に、名前がポケフィリアだとしても、マーシュはどうとも思わなかった。いや、ポケモンに無体を働くなら軽蔑するが、欲情すること自体には嫌悪感は抱かない。要はマーシュは――名前が特殊性癖の持ち主だと信じ込んでまで、自分が彼に選ばれない理由を作りたいのだ。

 それでもと、マーシュは思う。「……アヤしいんよねぇ」
 漏れ出た呟きに、名前が振り返った。その手には、水ポケモン専用のクリームが付いている。以前マーシュも教えてもらった物だが、マリルリに与えてみたところとても喜んでいたので、恐らく相当高品質のものなのだろう。ゲコガシラも気持ち良さそうに目を細めている。
 パートナーのスキンケアに勤しんでいた名前は、不思議そうに首を傾げると、何か言ったかいとマーシュに尋ねた。
「別に、何も言わへんよ」
「そう?」
 名前は再び、ゲコガシラの手入れに精を出し始めた。体中満遍なく、半透明のクリームを塗り込んでいく。
 みずタイプのポケモンは、その大半が水辺を生息地としている。しかし人間と共に暮らすとなると、当然のことながら陸地に上がっていることが多くなる。その結果肌が乾燥し、軽い火傷のような症状が出たり、ともすると病気になってしまうのだ。特にゲコガシラなど、皮膚が薄いものだから尚更だ。こうして肌の潤いを保つことは、水ポケモンのトレーナーとして当然のことだった。例えその手付きが少々丁寧過ぎても、満更おかしなことではないのだろう、多分。

 ふんふんと鼻歌を唄っている名前、そしてそれに合わせて小さく喉を震わせているゲコガシラの二人組を眺めながら、マーシュは密かに溜息を吐いた。

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