名前という男は、普段こそだらしがなく、一人では生活もままならないような男であるものの、民俗学の分野においては著名な研究者だ。彼の書いた論文、『ケロマツ神話から見られる人とポケモンの相違性』は、その道を学ぶ者で知らない者は居ないと言われている――らしい。
 遥か昔は人間とポケモンが現在よりも近しかったのではないか、という論考にはマーシュも同意しているが、元より学界に詳しいわけではなし、そもそもそれを言った本人の名前も半信半疑だったので、結局のところよくは解らない。ただ、民俗学について少し調べれば、瞬く間に名前の名前が現れるので、そこそこ知名度があることは疑いようがなかった。
 マーシュが名前の存在を知ったのも、彼の論文を読んでのことだった。ポケモンバトルのことしか能が無かったマーシュが、何故人間の在り方を問う論文を読む気になったのか。それは、偶然読んだポケモンジャーナルが原因だった。
 その号のメインは、ウツギ博士の対談。彼はジョウトの研究者であり、だからこそマーシュは何となしにその記事へ目を通したのだ。対談の相手は、カロス地方出身の若い民俗学者――それが名前だった。ウツギ博士が専門としているのは、生物学的視点から見たポケモンの起源だ。そして名前は民俗学的観点から、主にポケモンとの付き合い方から人間について研究をしている。当時の名前はまだ若く、学者としても駆け出しだったから、キャリアの浅いウツギ博士の対談相手としては都合が良かったのだろう。
 対談自体の内容はさして覚えていないのだが(確か、ポケモンのタマゴは卵によく似ているが、実は全然違うものだとか、そういうことが書かれていたように思う)、マーシュの目を引いたのは、名前についての紹介文だ。ごくごく簡単なものだったが、不思議とマーシュの心に根を張った。――民俗学者。カロス地方、クノエシティ出身。ポケモンとの関係性から民俗学を研究しており、またロータスの同一説を強く主張している。

 ロータスの同一説とは、かのロータスが唱えた、ポケモンの起源説の一つだ。ロータスによると、ポケモンと人間は古代においてはほぼ同一の存在だったのだという。その中で獣に近しいものがポケモンとなり、知性のより優れたものが人間になったらしい。科学的論証が得られない為、提唱する学者はそう多くない。
 そして、名前はそれを民俗学の観点から主張している。彼は各地方に残る異類婚姻譚から、人間とポケモンは現代よりもより近しい存在だったのではないかと考えているのだ(例えばカロス地方のケロマツ神話、シンオウに残る神話等だ)。また、名前がそうした主張をしたからこそ、ロータスの同一説の評価が見直されたことは疑いようがなかった。

 トレーナーズスクールで使う教科書の、端の端に密やかに書かれているような学説、それを当時のマーシュが理解していたかどうかは定かではない。しかしながら、マーシュは昔からポケモンになりたいと思っていた。


 人間とポケモンは、もっと近い存在だったのではないか。マーシュは常々そう思っていた。
 ポケモンは強く、美しい。それに比べて、人間のなんと醜く矮小なことか。ポケモンと心が重なる時、マーシュは得も言われぬ高揚を感じた。叶うことならポケモンになりたかったし、その思いは歳を取るにつれて、ますますマーシュの中で強くなっていった。
 しかしながら、「ポケモンになりたい」などと言って頷いてもらえるのは、せいぜいスクールに通っている時までだ。普通の人間は、困惑するか、馬鹿にするか、嫌悪するかのどれかだろう。ジムリーダーとなり、デザイナーとしても名が売れ始めた今だからこそ、マーシュはポケモンになりたくて服を作っていると公言しているが、それを額面通り受け取っている者は誰一人として居ないに違いない。
 名前とは出会うべくして出会った――少なくとも、マーシュはそう考えている。

 デザインを学ぶ為、カロス地方へと訪れてから早幾年。クノエシティジムのジムリーダーとして推薦された時、マーシュは不意に若い民俗学者のことを思い出した。少し調べてみれば、現在はミアレシティに住んでいるという。偶然にもミアレシティに居たマーシュは、そのままの足で名前の家へと向かった。会えればそれで良いし、会えなかったら縁が無かったということだ。
 同一説を主張する同じ歳の人間がどういう人間なのか、とても興味があった。
 実際に会ってみれば、なんてことはない、良く言えば学者肌、悪く言えば根暗でコミュニケーション能力の乏しいつまらない男、ただそれだけだった。しかし、彼は否定しなかった。――ポケモンになりたいのだと打ち明けたマーシュを、一度として否定しなかった。



「ポケモンへの回帰願望は、ポケモンと触れ合った者なら誰しもが持つ感情さ。何も恥に思うことはない」初めて会ったあの日、名前はごくありきたりのことを答えるかのように、きっぱりとそう言い切った。そして、それだけではあまりにも素っ気ないと思ったのか、「僕はとても好ましいことだと思うけどね、君のその感情は」と付け足した。
 彼はその言葉にマーシュがどれだけ救われたかを知らないだろうし、きっとこれからも知ることはないだろう。ポケモンの強さや美しさに憧れてポケモンになりたいと思っていたのに、今では彼に好かれたいが為にポケモンになりたい――マーシュはそう思ってしまっている。

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