ここ最近、名前が姿を見せない。
 シンオウでの任を解かれ、カロスへ帰って来てからというもの、名前は三日と空けずカロスリーグを訪れていた。そして毎度の如く、奔流に押し流されて帰っていくのだ。しかしこの一週間ほど、ズミは名前の姿を見ていなかった。他の四天王に尋ねてみれば、やはり彼らの元へも名前は来ていないという。
「ズミくん、心配なのね」意外そうに、ドラセナ。
「はあ……まあ、一応友人なので」
 ズミがそう口にすると、彼女は何がおかしいのか小さく笑った。隣に座るガンピは、小さく「むむ……」と唸っている。しかしながら、どうも名前のことを考えていたわけではないらしかった。
「名前もそうだが、近頃とんと挑戦者が訪れぬ」
 いかような理由があるというのか、とつまらなさげに口にするガンピに、ズミも内心で同意の声を漏らした。
 この一週間ほど、カロスリーグへの挑戦者数が目に見えて減っていた。確かに各地のジムやバトル施設と比べれば、リーグに挑もうとする者は数が少ない。しかしここ最近はいくら何でも少な過ぎた。最後に挑戦者が訪れたのは四日も前だ(ちなみに、その挑戦者は一人目の相手としてドラセナを選び、返り討ちにされていた)。
 四天王、などと言っても、所詮は皆、ポケモン勝負が好きなだけの物好きだ。チャレンジャーが多ければ嬉しいし、更に言えば強い相手だとより嬉しく感じる。

 そんな四天王が三人、それぞれ頭を悩ませている。そんな中、一人優雅に紅茶を飲んでいるのは、火炎の間を任されているパキラだった。
 挑戦者が少ないことはさておいて、名前の件は、少々自分がからかい過ぎたからではないかとズミは考えていた。思えば、名前が姿を見せなくなったのは、ズミが彼に直接パキラのことを尋ねた日からだ。つまり名前のトリトドンが、リンドの実を持っていた日。
 あの場にパキラが現れたことはズミによるものではないが、確かに、悪い事をしてしまったとは思っている。

 ――珍しいことに、この日はパキラもズミの元を訪れていた。ガンピとドラセナが美味い茶と菓子をズミに求めるのはいつもの事だったが、ここにパキラが混ざるのは珍しい。ついでに、ガンピ達曰く、使えるものは使っておくべきとかどうとか。料理人を何だと思っているのだろう。
 パキラという女は、ちらちらと灯るあかりのように、どうにも掴みどころのない人間だった。明るく燃え盛るわけではないが仄かな光を放ち、そうかと思い手を伸ばせば消え失せる。彼女との付き合いもかれこれ五年ほどになるわけだが、ズミは未だに彼女がどんな人間なのか、いまいち解らない。一つだけはっきりと解っているのは、彼女がほのおタイプのポケモンを好んで使っているということだろうか。
 色眼鏡越しにパキラと目が合い、ズミは密かにどきりとした。
「そう……何でも、今、チャンピオンロードにとても強いトレーナーが居るそうよ」
「あら、そうなの?」
 それはちょっと困っちゃうわねと呟くドラセナ。
 ポケモントレーナーがチャンピオンロードへ出向く理由はただ一つ――ポケモンリーグ挑戦前の修業である。
 バトルの経験を積むことだったり、技の精度を高めることだったり、はたまた強敵と戦う為だったりと理由は様々だが、彼らに共通しているのは、一定の期間の後、ポケモンリーグへと挑戦するということだ。

 どこから仕入れてきた情報なのかは解らないが、どうやらパキラ自身はそれほど関心が無いようだった。彼女が一人静かに紅茶を飲んでいる横で、ガンピが悔しそうに言った。「さようならば、何故われらの所へ来ぬのだ!」



 歩き慣れない山道で、ズミは一人悪態をつく。転びそうになったのはこれで三度目だ。ズミの声に反応して、近くに居たのだろうオンバットが慌てて飛び去っていった。わたしの特性は威嚇かと、ズミは溜息を零しつつ辺りを見回した。チャンピオンロードに入ってからというもの、野生ポケモンと稀に遭遇することはあれど、トレーナーと目が合うことは一度としてなかった。
 ――現在のカロスリーグ四天王の中で、一番四天王としてのキャリアが短いのはパキラだった(彼女が火炎の間を任される前は、初老のくさタイプ使いが四天王を担っていたのを覚えている)。しかしながら、こういう雑用事は大抵ズミが押し付けられる決まりとなっている。確かに女に雑用をさせるのも気が引けるし、その点で考えれば構わないのだが、それがリーグ外部にまで及ぶ用事となると嘆息したくなるのも仕方がないのではないか。
 ズミは今、件の“とても強いトレーナー”を探して、チャンピオンロードを彷徨っている。

 いつものコック服でこそないものの、やはりズミにとって山やら洞窟やらは不慣れな場所だった。別に、山道を歩くのが苦手だから、水タイプを好んでいるというわけではない。ないのだが、普段屋内に籠る生活ばかりを送っているせいだろうか、やたらと疲れる。
 もっと奥まった所に居るのだろうかと、ズミが辺りを見回した時、不意に大きな物音が耳に届いた。例えるなら、山肌が崩れ落ちたような、そんな轟音だ。ズミはそっと眉を顰め、ボールからガメノデスを出しておく。野生ポケモンが暴れているのか、それとも誰かがバトルをしているのかは解らなかったが、仮に後者だとすれば、何か情報が得られるかもしれなかった。
 音を辿り、地響きを辿り、行き着いたのは少し拓けた場所だった。

 大岩のような巨躯が、鋼のように硬化させた尾をしならせる。ドサイドンの重い一撃はホルードを沈めることはなかったが、代わりにその先の地面へ大きな罅割れを残した。身軽なバックステップを見せたホルードは、そのまま姿勢を低くし、そのシャベルのような耳を前後させた。威嚇行動だ。
 ドサイドンとホルード、そのどちらもが鍛え抜かれたポケモンだということは一目で解った。そして、同時にどこか見覚えがあることも。
 答えが解りそうになった瞬間、二匹のトレーナーなのだろう男の声が場に響いた。「ホルードは飛び跳ねてアームハンマー、ドサイドンはロックブラストで撃ち落とせ」
 身を起こしたホルードは耳にぐっと力を籠め、今にも攻撃できそうな雰囲気だったが、ドサイドンの方は身動ぎ一つしなかった。そのままその巨体を少し横にずらし、ズミ達が身を隠している岩場を見据える。鋭い三白眼に見据えられて、ズミは僅かに身体を震わせた。
「んん? どうした、ドサイドン」名前だった。「何かあったのか――トレーナーか!」
 漸くズミとガメノデスの存在に気が付いたらしい名前は、嬉しそうにそう言った。よくよく見てみれば服はぼろぼろ、おまけに泥塗れときている。山籠もりでもしていたのではという風貌だ。
「目が合ったらポケモンバトルだ! そうだろう、若者よ!」
 からからと笑う名前に、ズミは小さく溜息を吐いた。真っ先にズミに気が付いたドサイドンと、ホルードは此処に居るのがズミだと察しているようだったが、トレーナーの方は少しも気付いていないようだった。そのまま小さく「痴れ者が」と呟けば、やっと名前も今自分が対峙しているのがズミだと解ったらしく、「ここで君と会うとはな!」と再び笑った。


 ここで何をしているのですかと問おうとしたのに、名前の方がさっさと口火を切った。「ま、ともかくも勝負だ勝負」
「はあ……ここで、ですか?」
「当然だ。目が合ったらバトル、それが常識だろう」
 視線が合えばポケモンバトル、確かにそれがトレーナーの常識だ。しかしながらそれは規則ではなく、あくまで不文律だ。リーグの公認トレーナーたる四天王とはいえ、拒否をすること自体は可能なのだ。勝負を挑まれ背を向けるという羞恥に、ズミが耐えることができればだが。
「ルールはどうするんです」ズミが尋ねた。
「そうだな、何体持ってる?」
「生憎、ここに居るガメノデスと、控えのギャラドスだけです」
「ならタイマンだな」
 ズミ達の会話を聞いていたのだろう、ドサイドン達と何事かを話し合っていたガメノデスがぱっと姿勢を正す。やる気のようだ。名前は少しの逡巡の後、ホルードをボールへ戻した。どうやら、ドサイドンがバトルの相手らしい。
 審判も居ない、場も整っていない――そんな野良バトルは、ズミにとって随分と久方ぶりのことだった。



 勢いよく振り下ろされたシェルブレードを、ドサイドンは難なく受け止めた。いくら特性がハードロックとはいえ、あまりに無謀な行為の筈だった。しかしながら、ドサイドンは一切怯むことなく刃を受け止め、むしろ動きを封じられたガメノデスの方が動揺を隠し切れないでいる。そこに、名前からの指示が飛ぶ。「ドサイドン、ロックブラスト」
「っ……下がりなさい、ガメノデス!」
 プロテクターに覆われた左腕に力が込められ、僅かに膨張する。間一髪、ガメノデスは放たれた岩を避けることができた。そのまま充分な距離を取らせ、ズミは次の手を考える。
 ガメノデスが覚えている技は、その殆どが物理主体の接触技だ。しかし、名前達の表情を見るに、何か秘策があってもおかしくない。また、いくら威力が低く、命中率もそれほど高くないロックブラストとはいえ、至近距離から放たれてはいくら何でも苦しいものがある。名前のドサイドンの攻撃力の高さは、ズミも身を持って知っている。
 敢えて彼の誘いに応じ、距離を詰めてシェルブレードを使うべきか、それともこの距離を保ったまま、ストーンエッジを駆使して攻めていくか――この一瞬の迷いが仇となった。「ドサイドン、じしんだ!」

 ドサイドンが大きく足を踏み降ろし、そこから同心円状に揺れが広がっていく。不意を衝かれたガメノデスは、膝をつくことで何とか揺れによるダメージを最小限に抑えようとしていたが、この「じしん」は「じしん」だけに収まらなかった。鳴り止まない地響きは狭い洞窟の中で反響し、土砂崩れを起こすに至ったのだ。当然、それに巻き込まれたガメノデスは一溜りもなかった。


 ズミがガメノデスをボールに戻している横で、名前は「久しぶりにズミくんに勝ったぞ!」と顔中を口にして笑っていた。
「勝ったと言っても、公的なものではないでしょう」
「それでも、勝ちは勝ちだろう」名前は随分と得意げだ。「嬉しい時には素直に喜ぶ、それがバトルを長く続けるコツだ」
 からからと笑い続ける名前に、ズミは目を細めた。
 たかだか一体一で自分を倒しただけで、これほど嬉しがるのか――複雑な心境だったが、名前の「場をよく見て戦うべきだったな、ズミくん」という言葉には些かムッとした。
 まだ年若いとはいえ、ズミもカロス地方を代表する、四天王の一人だ。当然、フィールドというものがどれだけポケモン勝負を左右するかは解っている。狭く、岩が連なる洞窟内で、水場を得意とするガメノデスより、岩を駆使して闘うドサイドンの方が有利なのは火を見るよりも明らかだ。無知なホープトレーナーのように扱われるのは腹が立つ。
「このズミ、そんな事は理解しております」理解していたところで、実際のバトルに生かしていなければ意味が無いのだが、それでも一言二言言わなければ気が済まなかった。「大体、あなたに地の利があるのは当然でしょう。名前、何日此処に居たんです」
「ん? さあなあ、まあ一週間くらいかな」
「いっ……」

「最近、君に負けっぱなしだったからな。初心に返って、此処で修行していたわけだ」
 得意げに笑う名前に、ズミの中でばらばらの点が一本の長い線となる。彼がリーグに姿を見せなかったのは此処に籠って修行していたから、リーグ挑戦者が逃げ帰るほどに強いトレーナーの存在、名前が修行し始めたのとチャレンジャーが減り始めたのはどちらも一週間ほど前から。「この――」
「ん?」名前は首を傾げた。
「――痴れ者がァ!!!」

 ズミのこの日一番の怒鳴り声は、チャンピオンロード入り口のトレーナー達にまで届いていたという。

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