ソレイユのカフェオレ

 名前が二杯目のカフェオレを頼もうかと思い始めた時、待ち人は現れた。常のように眉間に皺を寄せているものの、ズミは少々困惑気味で、名前が頭を下げると「一体いついらっしゃったんです」と小さく苦笑した。

 カフェ・ソレイユを後にした二人は、そのままブルー広場へと向かう。今度からはお互い五分前行動ということにしませんか、と何度も口にするズミは、どうやらいたくプライドを傷付けられたらしかった。
 名前は頷きこそすれ、次に彼に会う時も、恐らく待ち合わせ時間よりもずっと前に来てしまうのだろうなと考えていた。――ズミの方だって随分と早く来ているのだから、お互い様というものじゃなかろうか。何より、性分というものはなかなか変えられるものではない。
 適当な場所に二人で腰を降ろし、些細な雑談に興じる。ズミは、先日自身のカメテテが進化したのだと言った。目付きの鋭さこそ変わらないものの、どこか穏やかな雰囲気を纏わせている彼は、やはり料理人である以前に一人のトレーナーらしい。

 名前とズミは、互いに「マーシュの友人」という共通認識を持っていた。二人が知り合ったのも、元を辿るとマーシュの存在があってこそだ。しかしながら今現在、二人はごく親しい仲とは言わずとも、友人関係にある。それは、偏に名前とズミ、そのどちらもが料理人だからに他ならなかった。
 ズミに言わせると、名前の美的感覚が素晴らしいのだとか何とか。またそれぞれの親しい友人が料理を不得手としていることもあって、二人は何かと通じることが多かった。
 あなたの美的センスは評価に値します、とズミは言う。ジョウトに生まれ、ジョウトで育った名前の色彩感覚は、彼のそれとはまた違う。もっとも、それは逆に名前にとっても言えることだ。名前はカロスの華やかさに憧れ、ズミはジョウトの繊細さを好んでいる。

 ――だからこそ、ズミは名前に試食を求める。
「……少し大きくはないですか?」
 名前が控え目に言うと、ズミはぴくりと眉を動かす。「何です? このズミの作る菓子に、何か文句があるとでも?」
「まさか」
「でしょうね」
 名前が言うと、ズミは当然だとばかりに頷いた。
 紙の小皿に乗せられ、手渡されたのはふわふわのシフォンケーキ。人参が混ぜ込まれているらしく、所々に橙が散っている。食べなくても解るその美味しさに、名前は内心で溜息をついた。ズミに悪気はないのだろうが、こうも差を見せ付けられると自分が情けなくなってくる。
 思った通り、シフォンケーキはとても美味しかった。

 このシフォンケーキは元は友人が作ってくれたものを参考に作ったのだとか、その時はもっと控え目な味だったが店に出しても遜色ないように改良しただとか、どこか悔しげな雰囲気を滲ませて喋っていたズミだったが、名前が自分を見ていることに気が付くと、「何です」と眉根を寄せた。
「ズミさん、これが本題ではないのですよね?」
「……何故解るんです」
 全くの勘だったが、それを言うのもどうかと思い、「いつもと雰囲気が違ったので」と誤魔化した。ズミはじいと名前を見詰めていたが、やがてふいと目を逸らした。彼の視線の先には、ブルー広場のオブジェがある。
「あなたにお尋ねしたいことがありまして」
「何でしょう。私がズミさんのお力になれるのなら、何でもお答えしますよ」
 ズミは暫く黙っていたが、やがて言った。
「ジョウトにニンジャはどれくらい居るのですか?」



 名前はじっとズミの目を見詰めていた。これは彼なりのジョークなのだろうか、それとも本当に、本気で尋ねているのだろうか。眩暈がしてきた。
「すみませんズミさん、言葉が上手く聞き取れなくて。何と仰いました?」
「ジョウト地方に、ニンジャはどれくらい居るのか、とお尋ねしました」
 ズミは、真顔である。「実は、従業員にジョウト出身の者が居るのですが」
 彼が話すところによると、そのジョウト出身の従業員、料理人の見習いは――気が付いたら背後に立っている、何を考えているのかよく解らない、居ないと思ったら居る、エトセトラ。
 何故それで「忍者」という考えに至ったのかはよく解らないが、件の従業員は女性らしいので、「女の忍者はくのいちというんですよ」と訂正だけしておいた(ズミは「ほう、クノイチですか」と少々嬉しそうに言い、それから何度かクノイチ、クノイチ……と小声で繰り返していた)。
「……ええと」名前がいった。「確かに、忍者とかくのいちは今も一定数居ると思うんですけど、そんなに多くは居ない筈です」
「そうなのですか? それでは、あの娘はクノイチではないのでしょうか」
「私にはちょっと……ジョウトのどこ出身だと仰いました?」
「確か、チョウジタウン? だったと思います」
 名前は隣町を思い浮かべた。過去に数回行ったことがあるだけだが、あそこはそう、忍者の里である。

 ――もしかして、ズミが勝手に思っているだけではなく、本当に忍者なのでは? しかし、例えそうにしろそうでないにしろ、適当な返事はしたくない。
 口を噤んだ名前に、ズミは不思議そうな顔をしていた。
「まあ……多くないのなら、それはそれで構いません」
「そうですか」
 名前の曖昧な返事に、ズミは眉間に皺を作った。「彼女がもしニンジャなら、仕事の邪魔をしたくないと、そう思っただけです」
 ニンジャというのは暗殺者なのでしょう、とズミは言った。
「それに、確かに彼女は気配こそ消して近付きますが、それが嫌なわけではないのです。むしろ欲しい時に欲しいものをくれるし、彼女の紅茶はとても美味しい――私もそれは認めています。それに、そう、紅茶に関して言えば、その知識と技術は称賛に値するものがあります。このズミを紅茶で満足させられるのは、彼女の他は存在しません」
「あ……あー、そうですか」
「何なんですか、その言い草は」
 いえ何も、と名前が微笑みを浮かべれば、ズミは「……胡散臭い」と一刀両断した。最近、彼がやけに私に対して刺々しいのは気のせいだろうか。
 ともかく、これは、あれだ。


『犬も食わない感じの……』
「……? 今、何か仰いましたか?」
 ジョウトの言葉で小さく呟けば、ズミはそう言って首を傾げた。どうやら「彼女」について話す時に、自分がどんな顔をしているのか、全く知らないようだ。
 何でもありませんよと笑って答えながら、彼がこれからどんな行動を起こすのか、もう暫く見ていたいなとぼんやり考えた。同時に、完璧な料理人と言っても過言ではない彼が意識しているのはどんな女性なのだろうか、とも。

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