マゴの実のグラッセ

 ズミは、眉間に皺を寄せていた。「まさかこのズミを、試食をさせるため呼び付けるとは……」
「ズミさん、何でも言ってくださいって仰ったじゃないですか」
 そう言って名前が笑えば、彼はますます眉間の皺を深くした。

 こちらがチョコレートスフレで、こっちがマゴの実をグラッセにしたものです――名前が皿を前に置くと、ズミは漸く観念したように小さく溜息をついた。
「伝説のシェフを味見係に使うなど、あなたくらいのものですよ」
「あ、私それ知ってますよ」名前が言った。「それ、お客さん相手でも怒鳴り付けるから、付いた異名らしいですね」
「……何故それを」
「アルベールさんが言ってました」
「野郎……」
 もちろんズミさんがカロス一のシェフだということは存じていますけどね、と名前が微笑むと、ズミは「当然です」と不貞腐れたように呟いた。それからグラッセと、スフレをそれぞれ口に運ぶ。「グラッセはともかく、スフレの方は味がくどいんじゃないですか」
「あらそうですか。でも、それはそれで良いんですよ」
「何故」
 名前は笑った。「その方が、ザクロさんがお好きですから」
 これまでに見たことがないほどに、ズミの端正な顔が歪みに歪んだ。シーヤの実を生でそのまま食べた時、こんな顔になるのではないかという顔だ。もう満腹ですと呟くズミに、名前は再びくすくすと笑った。



 突如目の前に出現した氷の壁に頭をぶつけたチゴラスは、そのまま尻餅をつき、ぷるぷると頭を振る。しかしすぐさま起き上がると、苛々した様子で唸り声を上げ、再び頭突きをした。薄かったのだろう、氷の壁はぱらぱらと砕け落ちる。そのまま癇癪任せに突進していきそうだったが、名前がその名を呼ぶとパッと振り返り、甘えた声でぐるると鳴いた。尻尾までが揺れているのは、どこか犬ポケモンを思わせる。
「闇雲に攻撃するだけでは、わたしのアマルルガは倒せませんよ」
 控え目にザクロがそう言うと、再び前を向いたチゴラスは、牙を剥いて威嚇をした。その先に悠々と佇んでいるのは、ツンドラポケモンのアマルルガだ。息巻いているチゴラスを見ても、首長竜は微かに目を細め、微かに鰭を震わせるだけだった。

「ごめんね、もう少し頑張ってくれる?」名前が言った。「チゴラス、がんせきふうじ!」
「迎え撃ちなさい。こちらもがんせきふうじ!」
 チゴラスが生成した岩石は、最初の一、二発こそアマルルガの胴体に当たったものの、その殆どが弾き返されてしまった。幸運だったのは、チゴラスが小柄なおかげで相手の放った岩が当たらなかったことと、行く手を塞がれてもその岩と岩の隙間を通り抜けられることだった。おかげで、アマルルガが立ち往生している間、チゴラスはその後ろに回り込むことができる。
「チゴラス、もう一回、がんせきふうじ!」
 名前の指示を聞いて、チゴラスがくわっと口を開けた。その周囲に、岩石が生成されていく。
 ザクロは二の足を踏むアマルルガをじっと観察していたが、すぐに次の指示を出した。「アマルルガ、後ろから来ます」
 しろいきり――ザクロがそう言った瞬間、アマルルガの脇腹にある菱形の結晶体から白い気体が噴出した。その霧はバトルフィールドを覆い尽くし、名前達の視界を塞ぐ。戸惑った名前がまごついている間にも、チゴラスは何度かがんせきふうじを繰り出していたが、どうやら殆どが外れてしまったようだった。薄れた霧の中から姿を現したアマルルガは、先程と同じく悠々とフィールドに佇んでいる。
「大丈夫ですよ、名前さん。どうか落ち着いて」
 微かな笑みを浮かべてみせたザクロは、ジムリーダーのザクロではなく、名前がよく知るザクロそのものだった。恐々と頷けば、彼も同じく頷いてみせ、それから再び真剣な面持ちになる。「次で決めましょう」
 彼の呟きに反応したアマルルガがゆるりとその長い首を動かし、ザクロの方を見遣った。彼は頷き、それからアマルルガに指示を出した。
「アマルルガ、ゆきなだれ!」

 アマルルガの頭部の薄黄色の鰭が震え始め、チゴラスの頭上付近に膨大な量の雪が生成されていく。負けん気の強いチゴラスだったが、流石に雪の塊には恐れをなしたらしい。いわ・ドラゴンタイプのチゴラスにとって、こおりタイプの技は大敵そのものだ。
 ザクロがアマルルガに合図を出す直前になって、漸く名前はハッとなった。「チ、チゴラス、あまえる!」


 威力の下がったゆきなだれは、チゴラスを沈めることはなかった。むしろ逆にチゴラスのかわらわりが急所に入り、アマルルガの方が片膝をつく結果となった。ザクロが青い巨体をボールへと戻し、名前も駆け寄ってきたチゴラスの頭を撫でる。
 変温動物のチゴラスは元々体温が低いのだが、今のバトルのおかげで、掌から伝わってくる岩の体皮は仄かに熱を孕んでいた。「ありがとう、よく頑張ってくれたね」
 チゴラスを戻し、新たにモンスターボールを手に取ってからジムリーダーの方へと向き直ると、ザクロが複雑な表情で名前を見ていた。
「今のあまえる、とても有効な使い方でした」口を尖らせながら、ザクロが言った。「バトルはわたしがお教えすると言ったのに」
「別に、バトルが上手な知り合いはザクロさんだけじゃないですから」
「わたしはあなたの恋人ではないですか」
「ザクロさん、ジムリーダーでしょ」
 そんなにジムを空けていたら駄目ですもの。苦笑混じりにそう言って、名前はボールを投げる。赤い光と共に飛び出したのは、十年来の相棒だ。
 ゴローニャは相手のザクロを見据え、ここがショウヨウジムのバトルフィールドだと気付くと、ちらりと名前を振り返った。ザクロは今、複雑な表情のまま自身のボールを放っている。中から出てきたのはチゴラスの進化形、赤い体躯をしたガチゴラスだ。
「懐かしいね。こうやってあなたと一緒にジム戦するの、何年ぶりだろうね、ゴローニャ。――相手はザクロさんだけど……また、一緒に頑張ってくれる?」
 ゴローニャは名前をじっと見詰めていたが、やがて黙したまま半身を翻し、力強い雄叫びを上げた。



 何故こんな所にベンチなんか、と尋ねれば、ザクロは少々得意げな面持ちで「綺麗でしょう?」と言った。
「でも、側に滝なんてあったら、ポケモン達は困るんじゃないですか? 水は弱点じゃないですか」
「確かにその通りですが、もしもこの滝を利用して攻撃を仕掛けてくるトレーナーが居たならば、それだけでジムバッジを進呈するに値しますよ」
 そういうものなのだろうかと名前が呆れれば、その沈黙をどう解釈したのか、ザクロは満足そうに頷いていた。

 バトルに強くなりたいなら、やはりポケモンジムに挑戦するのが一番ですよと、そう期待を込めて言うザクロに頷いたのは、決して彼の期待を裏切りたくなかったからではなく、ただただ単純に、ジムリーダーとしてザクロを一目見たかったからだ。
 正直な話、ショウヨウシティに来るのは結構骨折りだ。ポケモンジムなら名前の住むミアレシティにもあるし、しかもリーダーのシトロンはでんきタイプの使い手で、ゴローニャ達との相性も良い。――それでも、ショウヨウに来て良かった。名前はそう思う。
「最後のふいうちには参りました。だからチゴラスに、何度も『がんせきふうじ』をさせていたのですね」
 そう微笑むザクロに、名前はこくりと頷いた。
 ――先のバトル、勝敗を分けたのは名前のゴローニャが放ったふいうちだった。互いに体力が残り少なく、あと一撃で勝負が決まるという、絶体絶命の局面――ゴローニャは名を呼んだだけの名前の指示を正しく理解し、ふいうちを放った。じしんの要領で大地を震わせ、それまでのバトルで詰み上がっていた大量の岩石を、ガチゴラスへと直撃させたのだ。
 ゴローニャとガチゴラスでは、どうしたってガチゴラスの方が素早さが高い。その点、「ふいうち」は先制攻撃技だ。もちろん、不意をつくわけだから、そう何度も使えるものではない(ふいうちは元々相手が攻撃を仕掛けていないと成功しない技で、行動を読まれてしまうと、ふいうち自体が無効になってしまう)。そのため、ここぞという時だけ使える技だった。そして、ゴローニャは名前の意図をしっかりと理解してくれた。

 ザクロの手を借り、ゴローンはゴローニャへと進化した。物事を冷静に判断することができる彼は、おそらく、名前がバトルに臆していることに気が付いていた。そして――ただただ待っていてくれた。名前が正面からポケモンバトルに、そしてゴローンに向き合うことを。
 ザクロが言い当ててみせた通り、ゴローニャはバトルが好きだった。強い相手と戦っている時こそ、彼は生き生きと輝いていた。今のバトルだって、ゴローニャがどれほど楽しそうだったか。そして名前がバトルを一切やめてしまってからの数年間、彼はどれほど辛かっただろうか。そんなゴローニャに気付かせてくれたのはザクロであり、バトルやゴローンに真剣に向き合うことを尻込みしていた名前の、その手を引いてくれたのもまたザクロだった。
 名前は、今もポケモンバトルが苦手だった。それでも前ほどは嫌いではないし、バトルが好きなゴローニャの為にも、少しずつはポケモン勝負にも慣れていきたいと思っていた。それに練習を重ねていれば、多少なりともザクロに近付けるような、そんな気がした。


 今現在、滝の飛沫がぎりぎり掛からない所で、チゴラスとアマルルガが共に何事かを話し合っている。ザクロが言うには、バトルのコツを聞いているのではないかという(いわタイプの使い手だから彼らの言葉が解るんですかと問えば、彼は「まさか」と肩を竦めた。当てずっぽうらしい)。先程まで互いに傷付けようと牙を剥いていたのが嘘のようだ。ちなみに、ゴローニャは既にボールに戻っている。気を、遣ってくれたらしい。
「そうだわ、がんせきふうじで思い出しました。ザクロさんにわざマシンをお返ししないと」
「おやまあ、わたしも忘れていました。そのわざマシン、ぜひ名前さんが受け取ってください」
 チゴラスを鍛える為借りていたわざマシンを返そうとすれば、ザクロは名前の手を制しながらそう口にした。何でも、ジムを制覇した暁に挑戦者へわざマシンを与えるのが、ジムリーダーの伝統となっているらしい。確かにジョウトでジムバッジを貰った時も、同じようにわざマシンを貰ったような気がしなくもない。「ショウヨウジムを制覇したあなたに、わたしからのプレゼントですよ」と笑うザクロに、仕方なく名前は手を引っ込める。
「何だか私、ザクロさんに迷惑ばかり掛けている気がするわ」
 風邪の件しかり、わざマシンの件しかり、バトルの練習しかり。
「そんな事。どんどん頼って下さい。でも、そうですね……」
 口を閉じたザクロに、少しだけどきっとする。「わたしにも、ご褒美があっても良いですよね」

 彼が何を言っているのかは解っているつもりだったが、名前は微笑んだまま、「今日はフレーズ・バニーユにしてみました」と口にした。途端にザクロの顔がきらきらと輝き、すぐに催促をし始めるのだから笑ってしまう。ケーキを小皿に取り分け、ザクロに手渡そうとした瞬間、背後から「あの……」と申し訳なさそうな声が二人に届いた。振り返れば、ホープトレーナーのニコロが立っている。「リーダー、その、チャレンジャーが来てます」
「タケモト達に頑張るよう言っておいて下さい」
 きっぱり言い切ったザクロに、ニコロが顔を青くした。名前が「ザクロさん」と言うと、ザクロは渋々「わかりましたよ……」と呟き、大儀そうに立ち上がる。よほどデザートに未練があるらしい。
 ニコロが走り去ったのを見送ってから、ザクロは言った。「名前さん、わたしが戻るまで、デセールを食べるのは待っていて下さいね」
「はいはい、解ってますよ。ザクロさんこそ、早く食べたいからって、挑戦者さんを無下にしないで下さいね」
 口を引き結んだザクロに、名前は苦笑を零す。「ご褒美が欲しいって仰ったでしょう」
「今日のジム戦が終わったら、ぜひ輝きの洞窟へ連れていって下さい。そして、たくさん案内して下さい。いえ、まあ、それがご褒美になるのかは……ちょっと解らないですけど」
「……きっとですよ」
 名前がにっこり頷くと、ザクロはやがてぐっと伸びをし、「頑張ってきます」と笑ってみせた。そのまま手を振って見送ろうとしたのだが、ザクロはなかなか立ち去らない。どうやら、一口だけでも食べさせてくれと言っているらしかった。名前は苦笑しつつフォークで一口分を掬い取り、ザクロへと差し出した。彼は目を瞬かせたものの、やがて嬉しそうに笑って名前の手を取り、ぐっと引き寄せそのままキスを落とした。

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