ベリブ入りホットワイン

 カロス発電所が稼働を再開した。どういったトラブルだったのか、発電所からの公式発表はなかったが、ともかくプリズムタワーには光が戻り、ミアレシティはまた元のような華やかさを取り戻した。そして――リストランテ ニ・リューも、それに伴い営業を再開した。
 久々の勤務に加え(もっとも、ミアレへの電気供給が止まっていた間、ずっと休業していたわけではない)、お詫びの為一時的にダブルバトルもコースに加えようということになり、名前を含めた店員達は皆大わらわだった。そして、そんな疲れが一度に出たのだろう、名前はひどく風邪を引いてしまった。

 明日が休みで良かった、そんな風に思いながら、気怠い体を引きずりつつ、マーシュへ謝罪のメールを作る。次の休みは一緒に遊ぼう、と、そう約束していたのだ。風邪を移してしまうから、見舞いには来なくて大丈夫――ホログラムを非表示にしたメールを送ると、名前はそのままベッドの傍らに控える二体を見遣った。
「あなた達も、風邪、移っちゃうといけないから」
 だからボールの中で大人しくしててね。そう言い含めて、ゴローンとチゴラスをボールへ戻す。何かを言いたげなゴローンと、今にも泣き出しそうなチゴラスが気にはなったが、名前は結局そのままベッドに潜り込み、ゆっくりと目を閉じた。



 顔に何かが触れたような気がして、名前はぼんやりと目を覚ました。名前が目覚めたことに気が付いた何者かは小さく身を震わせたものの、やがて控え目な声音で、「具合はいかがですか」と問い掛けた。ザクロだった。

 名前が身を起こそうとすると、「どうかそのままで」と彼はやんわり押し留めた。仕方なく名前は再び身を沈め、それからザクロの方を見る。――これが現実に起こっていることなのか、それとも実は夢の中のことなのか、名前には判断が付かなかった。体は依然として仄かに熱く、頭も上手く働かない。
「つい先程まで、マーシュも一緒だったのですが」ザクロが言った。「今は、少し席を外しています。家にはゴローンが入れてくれました。彼らも心配していましたよ」
 二体は今マーシュと一緒に居ます、とザクロは付け足した。そのまま名前の額にタオルを乗せる。どうやら、先程までも載せられていたようだが、体を起こそうとした時に落ちてしまったらしい。その冷たさに、名前は漸くこれは夢ではないのだと思い始めた。
 苦しそうな表情をしているザクロを前に、何かを言わなければならない、そう思った。
「……ジムリーダーさんが、ジム、あけてちゃ駄目ですよ」
 ゆっくりと紡いだ言葉に、初めてザクロは小さく微笑んだ。
「いいんです。名前さんの方が、ずっと大切ですから」

 あなたは周りに気を遣い過ぎなのですよ、と、ザクロは小さく苦笑を浮かべた。
 ――今目の前に居るザクロは本物のザクロの筈なのに、本当にそうなのだろうか。名前にはもはや、よく解らなくなっていた。もしそうならば、何故、こうも欲しい言葉をくれるというのか。風邪を引いて気が滅入っているせいなのか、それとも本当に、熱に浮かされて見ている夢の中の話なのだろうか。
 すん、と小さく鼻を鳴らした。
「私、別に、そんな」言葉が途中で迷子になる。「だって、わたし、好きでやってるんです。ザクロさんに、食べてほし、くて」
 じいと自分を見詰めるザクロに、決まりが悪くなった。もごもごと口を動かす。意味の無い音が出るばかりで、上手く声にはならなかった。すると段々と熱が上がってきたような気がして、ゆっくりとザクロから視線を逸らす。
「名前さん」ザクロが言った。
「そのままで良いので、どうか聞いてください」
「……はい」
 毛布の隙間から見えるザクロは、いつもと同じように、ただただ穏やかな顔付きをしていた。「わたしは」ザクロが言った。「わたしは、あなたのことが好きです」
「わたしは、あなたの事を心配したい。あなたが風邪を引いたなら、ずっと隣に居たい。何かして欲しいことがあるのなら、その全てをしてあげたい。あなたが困っているのなら、真っ先に手を貸したい。何か嫌な事があるのなら……それを知りたいのです」
 そう言って微かな笑みを浮かべたザクロは、それからこう付け足した。「わたしの手も、足も、あなたを支える為、長く生まれてきたのだと思います」


「……ザクロ、さん」名前が言った。
「はい」
 寝室には、名前と、ザクロの二人だけしか居なかった。枕元にある筈のモンスターボールは空っぽで、ゴローンもチゴラスも別の場所に居る筈だった。――恐らく、リビングの方に居るのだろう。顔を合わせていないが、マーシュもそこに居る筈だ。「私、本当は」
「はい」
「本当は、私」
 口籠った名前を、ザクロは決して急かさなかった。
「――私、いわタイプ、好きじゃないんです」
「はい」
「可愛くないし、なでても硬いばっかりだし」
「はい」
「ゴローンも、いまになっても、何考えてるのか、全然わかんないし」
「はい」
「バトルだって、好きじゃないんです」
「はい」
「ううん……全然、嫌いなんです、ポケモンバトル」
「はい」
「負けるし、つまんないし」
「はい」
 名前が口を閉ざしても、ザクロはいつもと変わらない穏やかな表情を浮かべたままだった。どうして彼が今なおそんな顔をしていられるのか、名前には解らなかった。彼が優しくしてくれる事も、言ってはいけないことを言ってしまった事も、全ては熱のせいなのだと、そう思い込みたかった。

 ザクロが言った。「名前さん」
「……はい」
「今度、またショウヨウにいらしてください」彼はそう言って、静かに笑った。「そうして、一緒に海を見ましょう。そうですね……今度はぜひ、浜の方まで行きましょう。とても素晴らしいものですよ、ショウヨウから見える海は」
「それに、自転車レース。今度、また大会があるのです。この間はお越し頂けませんでしたから……ぜひ、名前さんに見て貰いたいです。わたしが優勝するところを」

「わたしは、もっとあなたの事を知りたいです。何を好きなのか、何が嫌いなのか。そして、わたしの事も知って欲しい。何が好きなのか、何を嫌いなのか。そうすれば、お互いもっと仲良くなれる筈です」
 ザクロはそう言って、名前の方へ手を伸ばした。彼の長い指が、目尻に滲んでいた涙を一つずつぬぐい取る。思わずその手を握れば、ザクロは一瞬驚いたような素振りをした。しかし、すぐに微笑みを浮かべ、そっと握り返す。
「その、ザクロさん、その……」
「はい」
「今日だけ、その、私が寝るまで、あなたの手を……握っていて、いいですか?」名前が小さく言った。「もう少ししたら、風邪も……よくなると思うし、だから……」
 ――まるで、子どもに戻ったかのような気分だった。誰かに甘える事がこれほど難しく、同時にこれほど嬉しい事なのだとは、夢にも思わなかった。
 しかし、思わず泣いてしまいそうになるほどに嬉しいのは、相手がザクロであるからに違いなかった。思えば、レストランで最初に顔を合わせた時からそうだったのだ。あれほど喜ばれたのは生まれて初めてだった。恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった。いつの間にか、彼には特別喜んで欲しいと思うようになっていた。嘘もついたし、虚勢も張った。幻滅されたくなかったし、嫌な自分を見られたくなかった。――名前はずっと前からザクロが好きだったし、そんな彼に受け入れられた事が何よりも嬉しかった。
 ザクロは、笑っていた。
「ええ、もちろん。あなたが目を覚ますまで、わたしはずっとここに居ますよ」
 彼の両手は、名前の手を簡単に包み込んでしまった。名前のものよりもずっと大きく、そして石灰で白く染まったザクロの手は、この世界で一番愛おしいものだと感じられた。

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