マトマ入りパイ

 ルージュ広場に彼女の姿を見付けた時、ザクロは心底胸を撫で下ろした。そのままプテラに指示を出せば、彼は解っているとでも言うように小さく唸り、円を描いてゆるやかに高度を下げ始めた。こちらに気が付いたらしい名前が手を振っているのを見て、ザクロも同じように手を振り返した――いや、同じようにではないかもしれない。明らかに、ザクロは浮かれていた。
 つい昨日、ザクロは偶然にもセキタイタウンで名前と顔を合わせた。彼女が勤めているレストランが営業を停止していることは知っていたし、従って名前も暫く仕事が休みなのだろうとは思っていたが、彼女に会ったのはまったくの偶然だ。そりゃ、普段よりもジムを留守にする頻度が多少高かったかもしれないし、ショウヨウに限らずあちこちへ足を延ばしていたことは否定できないのだが。
 ――セキタイタウンを立とうとした時、半ば強引にミアレシティまで送らせてもらった。正直なところ、名前は迷惑に思っていたのだろう。普段より笑顔がぎこちなく、気まずそうに何度も視線を逸らしていたからだ。しかし、共にプテラの背に乗った時には普段通りの彼女に戻っていて、それまでにない近さであっても、同じように会話が弾んだ。ひこうタイプを持っていないので「そらをとぶ」は久しぶりです、と、笑った彼女の、その顔が見られなかったことは残念だった。――遠慮をし、一度は断るのが自分達の中では礼儀なのだとマーシュに教わったが、本気で迷惑がっていたのではないかと不安だったし、だからこそ、デートに――彼女はそう思っていないかもしれないが――応じてくれたことは本当に嬉しかった。

「こんにちは、名前さん」
 プテラの背から降り立ちそう声を掛けると、彼女もこんにちはと頭を下げた。それだけで気分が高揚してくるのだから、何ともまあ単純なものだ。思わず微笑みながら「来て下さったのですね」と言うと、名前はおかしそうに小さく笑った。「ザクロさんが仰ったのに」
「今日はいったいどちらへ? 私にできることなら何でもお手伝いしますよ」
「内緒――というわけにはいきませんか?」
 今度こそ名前は笑った。
「もし良ければ、またプテラに」
 ザクロの言葉を聞いていたのだろう、プテラは両翼を広げ、それから乗りやすいようにぐっと身を屈めた。陽気な性格をしている彼だったが、決してお調子者ではなく、こんな風に気取った動作をすることは滅多にない。どうやら、ポケモン達にも自分の気持ちは筒抜けらしかった。そんなプテラの様子に名前は微かに笑い、ザクロが手を差し出せば、はにかみながらその手を取った。
 背中に名前の存在を感じながらも、ポケモン達に余計な気を回さなくても良いと言っておくべきかもしれないと、ザクロは真剣に考えなければならなかった。


 二人がやってきたのはコウジン水族館だった。主にコウジンタウンの近海に住むポケモンを展示している、町営の小さな水族館だ。ショウヨウシティの隣町であることと、化石研究所へ定期的に訪れていることもあり、ザクロもこの水族館にはよく足を運んでいた。また、今は化石ポケモンについての展示も行っているので、展示が変わらない内にゆっくりと見て回りたいとも思っていた。
 ――本当は、輝きの洞窟を案内したいと思っていた。そもそもザクロがコウジンタウンへよく訪れるのも、その先にある輝きの洞窟が目当てなのだ。金緑色に輝く洞窟の中、野生ポケモン達の放つ微かな物音に耳を澄ませていると、とても気持ちが安らぐ。またチゴラスやアマルスといった手持ちポケモン達と出会ったのもあの洞窟だったし、ザクロがカロスの中で一番好きな場所だと言っても良いかもしれなかった。険しい山道の先にあり、少々奥まったところにあるが、ザクロはあの洞窟が好きだった。
 また日暮れに近いある時間には、その名の通り輝きに満ち溢れたとても美しい場所へと進化する。その光景を、名前にも見て欲しかった。
 ――昔馴染みであるズミに罵られたことは多々あれど、わざわざホログラムメールで痴れ者がと叫ばれたのは初めてだった。続け様に届いた二通(一通目はほぼ罵倒だった。そしてそれを送った後、ズミは我に返ったらしい)に、彼がどんな気持ちで声を吹き込んだのかは想像に難くない。
 ズミが言うには、そんな埃臭い場所を好ましく思う女性は、雌のイーブイが生まれる割合より低いのだという。そりゃ、ザクロだって、名前が洞窟やらトンネルやらを好いているとは思っていない。しかし、できれば自分が好きだと思うものを、美しいと思うものを知って欲しかったのだ。コウジン水族館へと行き先を変更した一番の理由は、「名前さんとの付き合いをそれきりにしても良いのなら、もう何も言いません」というズミの言葉だった。ザクロは例の気難しい友人を信頼している。女性との付き合い方については尚更だ。

 休みの日は色々な所を回ることにしている、という名前の言葉は、マーシュに言わせると「菓子職人に必要なセンスを磨く為、勉強の為に各地を回っている」という事らしい。ザクロはあまり料理が得意ではなかったし、菓子類となると尚更だ。しかし、想像することはできるわけで――身近に伝説とも称される料理人が居るし――、彼女のその飽くなき追求心や、地道な努力を惜しまない姿は、ザクロにとってとても好ましいものだった。
 コウジン水族館へ来たのは初めてですと笑った名前は、ひどく楽しげな様子であちこちを見て回っていた。――セキタイでツアーガイドの話を聞いていた時も思ったが、どうやら彼女は、集中すると辺りに気が回らなくなるらしい。時折、はっとした様子でザクロの方へ目を向けてくるのも、普段の何でも卒なく名前と違って可愛らしい。気にするなという風に目配せをすれば、ほっとしたように微笑むのも、やはり可愛らしい。
 しかしながら、「てっきり、ザクロさんは輝きの洞窟がお好きなんじゃないかって思ってました」と言われた時には少々どきっとした。確かにザクロはよく輝きの洞窟へ足を運ぶ。そして、あまつさえ名前に案内しようと思っていた。客観的に考えてみれば、女性が訪れて喜ぶような場所ではないのは火を見るより明らかなのに、だ。
「ええ……」ザクロはどう答えるべきか、一瞬悩んだ。自分の短慮を見透かされているような気がして、少しだけ恥ずかしかった。「よく行きます。特に、輝きの洞窟にはいわタイプのポケモンが多く生息していますから」
 ザクロを見上げる名前の顔は、水槽から漏れる光で淡い青色に染まっていた。二人のすぐ脇を、ラブカスの群れが通り抜けていく。名前はそれを見送ってから、再びザクロへと目を移した。
「ザクロさんのお好きな場所なら、きっと素敵なところなんだろうなと思って」
 まだ行ったことがないんですよねと、独り言のように呟く名前。思わず「それでは、今度一緒に行きませんか」と口にすれば、彼女は嬉しそうに頷いた。――名前への好意を自覚してからというもの、新しい彼女を発見するたび、愛おしさが積もっていくような、そんな気がする。

 もし名前さえ頷いてくれれば、今からでも輝きの洞窟へ行ってみようか――ザクロはそんな風に考えていたのだが、ホロキャスターに連絡が入り、そういうわけにはいかなくなってしまった。どうやら、ショウヨウジムに挑戦者が現れたらしかった。いつもは首を長くしてチャレンジャーを待っているわけだが、この時ばかりはジムリーダーとしての立場が恨めしい。名前も心なしか寂しげに「私もミアレに帰ることにしますね」と微笑んだ。
 挑戦者が待っている(今現在、ジムトレーナー達がザクロが戻るまでの時間稼ぎに奮闘している)以上、彼女をミアレシティまで送っていくことはできなかった。ザクロ一人なら、プテラに時速数百キロのスピードで飛んでもらっても構わないのだが、名前を相手にそれは不可能だ。彼女をこのまま一人、帰してしまっても良いものか――そこで、ザクロに一つ考えが浮かんだ。
「名前さん、少しここで待っていてくれませんか」
「はい?」
 名前の返事を聞くか聞かないかの内に、ザクロは走り出した。目指したのはコウジンタウンの東端、カセキ研究所だ。



 数分後、再び姿を現したザクロを見て、名前はぱちぱちと目を瞬かせた。そしてそんな名前を見て、ザクロの腕の中のチゴラスが甘えたような鳴き声を出す。どうやら、相性が悪くはないようだ。「ええと……?」名前が少しばかり戸惑ったように、ザクロと、ザクロが抱えているチゴラスを見比べた。しかしやがて微笑みを浮かべる。「可愛い子ですね。ザクロさんのチゴラスですか?」
「ええ」
 頷きながら地面へ降ろせば、チゴラスは名前の元へ歩み寄った。彼女が身を屈め、その顎を撫でると嬉しそうに喉を鳴らした。
「実は、名前さんに育てて頂ければと思いまして」
「……え?」
 ザクロは説明した。このチゴラスは自分が先日見付けた化石から復元したものだということ。手持ちポケモンが一匹では、何かあった時の対処が難しいということ。またチゴラスが進化すればガチゴラスとなり、良いボディーガードとなるはずだということ。
 名前は黙って聞いていたが、やがて「確かに、ザクロさんが仰る通りですね」とにっこりした。
「でも、私にはゴローンが居ますし。それに、折角ザクロさんが見付けられたんですから」
「いえ、わたしは良いのです。それに、名前さんにもしもの事があってはいけませんから。しかしこのチゴラスなら、きっと名前さんの力になってくれる筈ですよ」
 それに、チゴラスも既に名前さんに懐いているようです――そうザクロが言うと、名前は一瞬チゴラスをじっと見詰め、それから「わかりました」と頷いた。
「ありがとうございます、ザクロさん。大切に育てますね」
 にっこりと笑う名前に、ザクロも嬉しくなった。こちらの会話を解っているのかいないのか、チゴラスの方もどことなくはしゃいだ様子で名前にじゃれついている。少しばかりチゴラスを羨ましく思ってしまったことは、胸の内に秘めておこうと思う。

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