マリンスノー特製オレンジュース

 名前は面前に佇む三つの巨石をじっと眺めた。何千年もの間雨風に曝され続けているため、その表面はとてもなめらかだ。しかし試しに手を触れてみれば、名前の手に残るのは石の硬い感触と、冷たさだけだった。

 石の町、セキタイタウン。そこへやってきた名前は今、町の中央にある巨大な遺跡を見上げていた。傍らの看板によれば、謎のパワーを放出していると言われているのだとか。そのパワーがどういうものなのか、名前には解らなかったが、確かにこうして改めて見上げてみると、何かとても神聖なものなのではないかという気がしてくる。心無しか、ゴローンの方も普段よりはしゃいでいる様子だった。先日フウジョタウンへ行った時は、名物の風車に目もくれなかったのに。もしかすると、ポケモンにしか解らない何かがあるのかもしれない。
「ゴローン、少し回って見てみようか」名前が言った。
 古代遺跡を取り囲むようにして家々が並んでいるセキタイタウンだったが、その中央部は遺跡の他は何もないと言っても良い。おかげで東西南北、どこからでも列石を眺めることができる。もっとも、前から見ようと後ろから見ようと、さほど変わりはしないだろうとは思っていた。しかし、周りを回ってみることで気付くことも、もしかするとあるかもしれない。
 ゴローンが名前を見上げたが、その顔が不機嫌そうに歪んでいたので、名前は内心で首を傾げた。てっきり、ゴローンの方も楽しんでいるのだろうとばかり思っていたのに。しかし名前が悩んだのはほんの一瞬だった。後ろから、「名前さん!」と声を掛けられたからだ。

 振り返ってみると、ショウヨウシティのジムリーダー、ザクロが駆け寄ってくるところだった。
 ――マーシュの友人である彼だが、名前が彼と知り合ったのはごくごく最近だ。しかし、近頃では休みのたびに会っている。そのため、もしかするとマーシュと会うよりもよく顔を合わせているかもしれなかった。遠目からでも識別できるほどには親しくなった、と言ってもいいだろう。もっともツアー客がそれほど居ないうえ、ザクロはなかなかに目立つ容姿をしているので、さほど苦労せず見分けることはできるのだが。
 隣町のジムリーダーが何故こんなところに居るのだろうか――そんな風に思いはしたものの、名前は特に尋ねたりはせず、ただ「こんにちは、ザクロさん」と挨拶をした。「こんにちは」とにこやかに返した彼は、よほど良い事でもあったのか、随分と機嫌が良さそうだ。
「名前さんにお会いできるとは思いませんでした。今日はどうしてこちらに?」
「お店が休みだったので、少し観光に」そう言ってから、名前は付け足した。「時間がある時に、色々なところを回っておこうと思って」
 菓子作りをする上で、センスというものは非常に重要だ。特に、名前はカロス地方の出身ではないから、他のパティシエ達よりもいっそう美的感覚を磨かなければならないのだ。ミアレに居を構えているのも、職場がミアレにあることもあるが、それ以上にミアレ美術館の存在が大きい。
 先日はフウジョへ行ってきましたと言えば、ザクロは頷き、「あそこの風車はとても素晴らしいですからね」と同意した。
「すると……お店はまだお休みなのですね」
「あら、ご存知だったんですか」
 現在、リストランテ ニ・リューは休業状態にある。カロス発電所のトラブルにより、ミアレシティ全域で電気が不足しているからだ。過度な使用をしなければ、飲食店等の営業も認められているのだが、オーナーであるアルベールの意向により、店自体が一時的に閉じられるに至った。ジムリーダーのシトロンの負担を軽減する為だとか、電力不足を理由に味が落ちても困るだとか彼は言っていたが、名前が思うに、恐らく自分が休みたいだけなのだろう。
 ザクロは「マーシュから聞きました」と小さく笑った。
「ザクロさんはどうなさったんですか? セキタイタウンに何か用事が?」
「いいえ、用があったというわけではありません。わたしも、ごく個人的な興味でここへ来ました。この遺跡は――」ザクロが傍らの巨石を見上げた。つられて名前も遺跡を見遣る。三つの大きな石は、先程と同じく静かにそこに佇んでいるだけだ。「――どういう理由でここへ造られたのか? そして何を意味しているのか? いつかそれを解き明かしたいと考えています。そうすればより高みへ近付けると思うのです、ポケモントレーナーとしての」


 この後、名前はホテル・マリンスノーへと向かった。セキタイタウンの列石のことならホテルに泊まっているツアーガイドが詳しいと、そうザクロに教えてもらったからだ。
 ――確かに、彼が紹介してくれたおかげで、遺跡についての詳細な話を聞くことができたことは事実だ。ガイドの彼女は、セキタイタウンの遺跡や、メンヒルロードの列石について、名前が思ってもみないようなことを沢山知っていた。しかし――それにザクロが付き合う必要はなかったのではないだろうか。
 ツアーガイドの彼女はのりのりで話してくれたので(何でも、遺跡について熱心に知りたがる観光客は少ないそうだ)、名前も夢中になって聞いてしまい、気付けば四時間ほどが経過していた。そろそろどこのレストランでも客が入り始める頃合いだろう。――しかしながら、ザクロは最初から最後まで名前と共に居てくれていた。ガイドブックを読んだ程度の知識しかなかった名前はともかく、以前からセキタイの遺跡について調べていたらしいザクロの方は、話を聞くのも退屈だったのではないだろうか。彼が何故名前の用事に付き合ってくれたのかは解らないが、やはり名前の方から何か言うべきだったのだろう。名前は密かに反省した。

「すみませんザクロさん、結局最後まで付き合って頂いて」
 セキタイタウンの入り口でそう頭を下げれば、ザクロは驚いたように目を見開き、少々慌てた様子で手を振った。「いえ、わたしの方が――」一瞬、彼は言い澱んだ。「――わたしも、興味深いお話を聞くことができて、とても楽しかったですから」
「名前さんはこれからお帰りになられるのですか?」
「ええ」
 名前が頷くと、ザクロは少しばかり首を傾げた。「失礼ですが……ひこうタイプのポケモンはお持ちでしたか?」
 ――この世界の交通手段はもっぱらポケモンだ。ミアレシティほどに大きな街であれば、市中を車が通行することもあるが、人が作った機械が移動手段として使われるのは、よほど離れた街や地方へ行きたい時ばかりだ。それに、機械よりもポケモンに頼ることを好む人間の方が、圧倒的に多いことも事実だった。そして「そらをとぶ」さえ使うことができれば、移動範囲は格段に大きくなる。

 ちらちらとゴローンの方へ視線を投げるザクロは、どうやら名前がゴローンしか持っていないことを知っているようだった。確かに、名前が持っているポケモンはゴローンだけだ。
「いいえ」名前は愛想笑いを浮かべた。
 ――ザクロには、迷惑や、心配を掛けたくはなかった。
 彼はマーシュの友人であって、それ以上でもそれ以下でもない。これ以上彼に気を遣ってもらうと、“そういう事”なのだと、勘違いをしてしまうかもしれなかった。「歩いて帰ります。日が沈むまでには着くと思いますし」

 ザクロは眉を寄せた。
「それはいけません。いくら明るいとはいっても、こんな時間に女性を一人で帰らせることはできません」
「いえ、大丈夫です。ゴローンも居ますから」
 ねえゴローンと問い掛ければ、彼は小さく鳴き声を上げた。あまり乗り気ではない様子だったが、ザクロには解るまい。トレーナーの名前だって、未だにゴローンの気持ちを全て読み取ることはできないのだから。彼の方を向けば、思った通り、複雑な表情で名前達を見ている。しかしながら、ザクロは「駄目です」ときっぱり言った。
「野生のポケモンも活発になりますし、どんな輩が潜んでいるか、解ったものではありませんよ」
「いや、大丈夫ですよ。ゴローンが一緒ですし」
「それでは、ゴローンがひんし状態になってしまったらどうするのですか? お一人でポケモンセンターへ?」
「それは……」どう答えれば良いのか、少しだけ迷った。「ゴローンなら大丈夫ですよ」
 もう一度、傍らのゴローンに「ねえ?」と問い掛ける。
 ゴローンは口を結んだままじっと名前を見上げていたが、やがて思わぬ行動に出た。何も言わず、名前の腰元のモンスターボールの中へ戻っていったのだ。これに驚いたのは、ザクロではなく名前だった。
「ゴ、ゴローン?」
 気難しいところのある彼だが、勝手にボールへ入っていったのはこれが初めてだ。ゴローンとの付き合いはもう十年以上になるが、何やら裏切られたような気分だった。呆然としている名前に、ザクロが小さく笑いながら、「彼も私と同意見のようですね」と声を掛けた。
「ミアレシティまではわたしがご一緒しましょう。もちろん、名前さんがお嫌でなければですが」
 ザクロはそう言って、自分のボールを投げる。巨大な翼竜の姿に――しかも、どことなく嬉しそうな様子のプテラに――名前は頷くことしかできなかった。二人でプテラの背に乗り、ミアレシティまでの空路を辿る。送って頂いたお礼はまた今度させて頂きますからと言うと、ザクロは少し悩んだ様子を見せ、それから言った。「それでは名前さん、明日一日、わたしに付き合って頂けませんか?」

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