クラボの実のクラフティ

 プテラの背に跨り、ザクロはミアレシティを目指していた。ショウヨウの東側に聳える崖を越え、それからリビエールライン、ベルサン通りに沿って空を進む。
 時間に直せば、せいぜい三十分ほどだろう。
 レベルが高く、ジム戦では滅多に活躍できないプテラは元気が有り余っているようで、もっと速く飛ぶこともできると主張していたが、丁重に断らせてもらった。この日、ザクロはマーシュと共に、ズミの家へと招かれていた。

 四天王であるズミは、時折こうして友人を招いて小さな食事会を開いてくれることがあった。なお、その頻度はズミの気分と都合によって変化する。ある時は手ごわい挑戦者が来たからとポケモンリーグに籠り切りになり、またある時は新しいレシピの開発に忙しく連絡すら取れないこともあるのだ。
 しかしながら、ズミの唐突な呼び出しにもザクロ達が応じるのは、彼の料理が絶品だと知っていることと、それ以上に、こうして集まれることを二人共が楽しみにしているからに他ならなかった。

 ミアレシティの郊外に降り立ち、プテラをボールへと戻した。そして少し歩けば、ミアレシティの大通りへと到着だ。ショウヨウシティとはまた違う、活気と熱意に満ち溢れた芸術の都。プリズムタワーは噂通り沈黙を守っていたが、それでもこの街の華やかさは少しも色褪せていなかった。
 名前と知り合ってからというもの、ザクロはミアレシティによく足を運んでいた。彼女が以前調べてくれた購入可能な低カロリーの菓子類は、ミアレシティで売っているものが多かったからだ。もちろんミアレを中心的に調べてくれたというわけではなく、単に、大都市であるミアレにパティスリーの類が他より多く存在しているだけだ。どれも健康に良く、とても美味しいものだった。もっとも、名前が作ってくれるそれには到底及ばないが――。


 久しぶりに――近頃めっきりリーグ挑戦者が減ったため、ズミはそれを機に新作レシピの研究に熱を入れていたらしい――顔を合わせた三人は、いつもと同じようにズミが腕を振るってくれたディナーを楽しみつつ、それぞれ最近あったことなどを話し合った。マーシュは最近ジムへの挑戦者が多いのだと言い、ザクロもそれに同意した。おそらく、ミアレジムが休業していることが影響しているのだろう。
 ミアレシティは今、慢性的に電力不足の状態にある。詳しい発表はなされていないが、どうもカロス発電所で大きなトラブルが起こっているらしく、ミアレへの電力供給のみが停止しているのだ。
 ミアレジムのジムリーダー、シトロンは、若いながらも優秀な科学者としての顔も持っていた。彼は今、ミアレの電力不足を改善すべく、各地を奔走している。当然ジムを開けておくことは不可能だ。ミアレシティのポケモンジムは、今現在休業状態にある。またズミの話では、使用電力を極力減らす為、営業を自粛している企業や店舗も多いのだという。
「皆、季節外れのバカンスだと喜んでいますよ」無意識なのだろう、眉間に皺を寄せながらズミは言った。

 この日、ズミがデザートに作ってくれたのはクラボの実のクラフティだった。カロスの伝統菓子で、ザクロの好物の一つでもある。ズミを見遣れば、彼は常よりも更に眉を寄せ、「カロリーは落としてありますから」と渋々言った。
 究極の食を追い求めるズミにとって、ザクロのように体型を維持するため、あえて食事を制限するなどという行為は冒涜に等しいのだ。単に感謝を表現したつもりだったのだが、勘違いされてしまったらしい。ありがとうございますとザクロが口にすれば、マーシュが小さく笑っていた。
 ――ズミが作ってくれたクラフティは、それはもう美味しかった。想像していたクラボの辛味は殆どなく、ごく僅かに感じられるそれは、むしろ生地の甘みを存分に引き立たせていた。辛味と甘味、その両者が喧嘩することなく生地に馴染んでいる。素材の良さを百パーセント引き出すのは、ズミならではの手腕と言えるだろう。よほど気に入ったのか、マーシュも手放しにクラフティを褒めている。確かに、とても美味しかった。
 しかし何故か――物足りない、そう思ってしまった。

「なんや、えらい珍しなあ」
 マーシュの呟きに、ザクロは顔を上げた。マーシュはこちらを見詰めており、彼女が何のことを言ったのか解らなかったザクロは首を捻った。
「何がですか?」
「ザクロはんが、何も言わへんことよ。いつも、おいしいおいしい言うて食べはるのに」
 何かあったん、と小首を傾げてみせたマーシュに、反応したのはズミだ。「何です、このズミが作った料理に何か不満でも?」
 剣呑な雰囲気を漂わせるズミに、ザクロは急いで手を振った。
「いえ、まさか。とても美味しいです」
 目を細め、じろっと睨み付けてくるズミに、ザクロは内心で冷や汗をかいた。昔から、どうもこの目には弱いのだ。ガメノデスに似ている、と密かに思っている。
 うっかり「その、何か少し物足りないような気がして」と口を滑らせれば、ズミはひくりと目元を痙攣させた。それから小さく溜息を吐き、「砂糖を少なめにしてあるので、それじゃないですか」と不機嫌そうに言った。
「ああ、そうなんや」ズミの発する不穏な空気を物ともせず、マーシュが普段通りマイペースに言った。「言われてみると、クラフティて、もっと甘いお菓子やった気するわ」
「甘さは控えてありますから。それに、クラボの実を標準より多めに入れてあります。クラボは普通、熱されるとより辛味が増すものですが、一晩水に浸けておくと辛味は殆ど抜け、逆に甘味が出てきます。まあ、クラフティには少々邪道とも言えますが……。名前さんが下さったレシピを元に作ったのですが、このズミも驚いています。これは確かにクラフティです」
 満足げに言ったズミは、再び眉根を寄せた。ぽかんと口を開けているザクロが目に入ったに違いない。しかしやがて、その表情は怒りから当惑へ変わる。ザクロの顔が、瞬く間に真っ赤に染まったからだ。

 名前。思ってもみない名前が飛び出した。そして同時に、ようやく最後のホールドに手が届いた、そんな気がした。――クラフティを味気ないと思ったのは、隣に名前が居ないからだ。
 いつからだっただろう、名前が菓子を作ってくれた時、ザクロはいつも彼女の隣で食べるようになっていた。名前が来たから骨休め、そんな風に勝手に決めて。彼女の方も、直接感想を聞けた方が嬉しいからと、ザクロの誘いに付き合ってくれていた。そしていつからだっただろう、彼女との他愛ないお喋りの方が楽しみになっていた。ザクロが美味しいと口にした時、はにかんで笑う彼女を見ると、自然と喜びが湧き上がった。
 自覚はなかった。いや、そう思い込んでいただけかもしれなかった。ザクロは今、一つの大きな壁を登り切ってしまった。――わたしは彼女が好きなのだ。


 真っ赤になって黙り込んだザクロを見て、二人も最初の内は戸惑った様子だった。しかし、やがて何かを察したらしい。マーシュが、「まあ、一緒に食べる相手さんで、料理の味は変わる言うしねえ」と、訳知り顔で頷いた。
「それでは私達では不足、ということになりませんか」
「実際そうなのと違う?」
「料理人として、何やら侮辱された気分です」しかしながら、言葉とは裏腹に、ズミのその声に怒気は少しも籠っていない。「マーシュ、名前さんはどのような方が好みなんです?」
 マーシュはううんと小さく唸った。「そうねえ……」
 勝手に話を進めていく二人に、やめて欲しいと言いたかった。しかし、口にすることができなかった。彼女のことを知りたいと思っていたし、同時にそんな自分にひどく戸惑っていた。
 今まで恋をしたことがないと言えば嘘になるが、名前ほど知りたいと強く願った女性は居なかった。
「だらしない人が好きやね」マーシュはきっぱり言った。
「なるほど……確かに、彼女は世話を焼くのが好きと見える。ああいう女性は損をすることが多い。気を付けた方が良いでしょうね」
「それはズミはんも同じやと思うけどなあ」
「私のことは関係ありません。つまり、何です、名前さんはあなたのような方が好きと」
「嫌やわあ、女の子は立てるんが、カロス男いうもんやないん?」
「お一人で朝食の一つや二つ、作れるようになったなら認めましょう」
「あらら……」
 その後も二人はああでもないこうでもないと話し合っていたが、結局この日、ザクロが口を挿むことはなかった。ただ、「ザクロとは真逆ですね」というズミの小さな呟きが、少しだけ胸に痛かった。

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