ナナの実入りカトルカール

 ザクロはこの日、ジム内部に造られた山の上で、どこかそわそわしながら人を待っていた。挑戦者を待っている時とは違い、どこか緊張さえ覚えている。まるで、初めてジムリーダーとしてジムに立った日のように。
 数日前、ホロキャスターに連絡が入った。名前からだ。今度の日曜日は休みだから、もし良ければまた試食に付き合ってくれないかと。
 ジムリーダーを務めているザクロに決まった休日は無く、ジムを長く空けるのは好ましいことではない。しかしそんな事情を解っているのだろう、名前は都合の良い時に届けに行くからと付け足してくれていた。当然、ザクロの返事は決まっている。

 ジムリーダーというものは、基本的には待つことが仕事だった。とりわけ、カロス地方の南西に位置し、崖と海とに囲まれているショウヨウシティは、他の町より訪れる旅人の平均数が下回っている。また、ジムがある街からショウヨウに来るには相当の距離がある上、ミアレからは地つなぎの洞穴、シャラからは映し身の洞窟と、いずれも洞窟を経由しなければならないため、ショウヨウジムに挑戦するトレーナーの数も、他に比べると随分と低いのだ。
 そのおかげで、ザクロは毎日の殆どを、いつ訪れるか知れないチャレンジャーを待ち続けることのみに費やしている。挑戦者を募る為に通い始めたバトルシャトーで、いつの間にか自分自身が爵位を上げることにのめり込んでいたのはここだけの秘密だ。
 しかしながら、ジムリーダーとして挑戦者を待っている時は、焦燥を感じこそすれ、今のように緊張したりはしない。――そうした気持ちはどうやら態度にも表れていたらしく、ジムトレーナー達は不思議そうにザクロを見上げるのだった。

 この日初めての挑戦者が急ぎ足で帰っていった後、やまおとこのノボルが口を開いた。ショウヨウジムでザクロに次ぐ実力を持っている彼は、ザクロから最も近い場所に立っていることもあり、ジム内で一番よく話す相手でもあった。ポケモン勝負はロジックだ、が彼の口癖である。「リーダー、どうしたんです。何か気掛かりなことでもあるんですか?」
 それとも、さっきの挑戦者が物足りなかったとか、と、ノボルは小さく付け足す。
 先程ショウヨウジムに訪れたトレーナーは、どうもここ最近旅立ったばかりのようで、まだタイプの相性もはっきり覚えていないような新人トレーナーだった。もっとも、タイプを複数持ったポケモンが相手だと、何の技が効果的なのかが解り辛くなることは確かだ。
 カロス地方では、進化学の権威であるプラターヌ博士がミアレを拠点としていることも関係して、ミアレシティから旅立つトレーナーが比較的に多い。旅に出たばかりの新人トレーナーがショウヨウジムに訪れるのも、さほど珍しいことではなかった。
 ザクロは、ジムリーダーとしてトレーナーの腕を見極める役目を負っている。リーグの公認バッジを渡すのに相応しい相手かどうか、それをポケモン勝負で見極めることがジムリーダーの務めだった。ポケモンジムに勝利した証のバッジには、数と種類に応じて様々な特権が与えられることになっているのだ。――ザクロとて、ジムリーダーである以前に一人のポケモントレーナーだ。より強いトレーナーと戦いたいと望むのは、トレーナーとして当然のことだった。

 苦笑と共に首を振れば、やまおとこは「そうですか」と頷いた。もっとも、どうもあまり納得はしていないようだ。ノボルはそれからも、時折窺うような視線を寄越していた。もしかすると心配されているのかもしれない。もっとも、ザクロは自分でも何故緊張しているのか解らなかったため、彼に答えを与えてやることはできなかった。
 しかしながら、ザクロがそわそわと――入口の方を見てみたり、かと思えば滝壺を見下ろしてみたり――するのも、それほど長くは続かなかった。間もなくして、名前がショウヨウジムに訪れたからだ。


 チャレンジャーの存在は、彼らがモニュメントの脇を通り過ぎた後、ジムリーダーを含めたジムトレーナー達に密かに伝えられる。ポケモンジムは挑戦者の実力――持っているバッジの数が目安となる――に合せ、勝負を挑まなければならないからだ。
 当然この時も、ザクロ達の耳にその存在は届いていた。しかしいつもと違うのは、その役目を担っているガイドーが少々困惑気味で、来訪者はジムに挑戦に来たのではなく、単に会う約束があってジムに来たらしいということだ。
 トレーナー達が一様に首を傾げる中、ザクロには当然心当たりがあった。早足で階段を駆け下り、坂道を一息に滑り降りると、ジムトレーナー達もガイドーも、そしてやって来ていた名前までも、それぞれ驚きを露わにしていた。

 名前さん、と声を掛ければ、彼女はぺこりと頭を下げた。カロスではあまり見ないが、ジョウトの方の挨拶の一種だということを最近知った。
 彼女に会うのはこれが三度目だったが、最初に店員姿の彼女を見ているせいか、こうして自分が所属しているジムで顔を合わせるというのは少々妙な心地がする。いや、もちろん彼女はウェイトレスではなく、本来は作り手側なのだが。
 困惑顔のガイドーが、ザクロと名前を見比べた。
「ええと……挑戦者でなく、何か約束があって来られたんだそうです。……が、どうも本当だったみたいですね」
「すみません、お伝えしておくべきでした」
 ザクロが謝ると、ガイドーは気にするなとばかり手を振った。ジムに挑戦するトレーナーを待ち望んでいるのは、何もトレーナーだけではない。挑戦者にアドバイスを送ることを生業としている彼も、名前が挑戦者ではなくてがっかりしたに違いなかった。
 やはり、今度彼女から連絡を受けた時は、ガイドーには知らせておくべきかもしれない。他のトレーナーはともかく。

 それから名前の方へ目を向けると、彼女はどこか安心したような顔付きになった。やはり、ショウヨウのジムで彼女に会うというのは、些か妙な気分だ。
「お久しぶりです、名前さん」ザクロが言った。
「ええ、お久しぶりです。ザクロさんも、お元気そうで何よりです」
 にこりと微笑みを浮かべた彼女の手には、紙でできた白い箱があった。恐らく、彼女が作ってくれたお菓子があの中に入っているに違いない。自然と期待で胸が膨らんでいくような気さえして、少々気恥ずかしかった。
 ザクロの視線に気付いたのか、名前が小さく笑うので、更に恥ずかしくなってくる。そこに後方から「リーダーの彼女さんですかあ?」という問い掛けがなされたものだから、ザクロの頬は余計に紅潮することとなった。
 振り返ってみれば、ジムトレーナーの全員がこちらを窺っている。ザクロが顰め面をしてみれば、彼らは早々に頭を引込めた。ザクロ達のやりとりを見て、名前は笑いが堪え切れなくなったらしく、彼女が落ち着くまでに暫しの時間が掛かった。


 ザクロが思った通り、名前が手に持っていた箱の中にお菓子が入っているらしかった。彼女はそれをザクロに渡すと、またお暇な時にでもホロキャスターの方に連絡をくだされば大丈夫ですよと微笑んだ。どうやら、ジムリーダーとしてのザクロを気遣ってくれたようだ。
 わざわざミアレからショウヨウまで来させて、このまま帰すというのもどうかと思うのだが、結局ザクロは彼女の言葉に甘えることにした。――後ろからこそこそと様子を窺っている四人のことも気になっていた。

 名前がジムを出ていった後、彼らはわっとザクロの元へ寄ってきた。トレーニングの時でさえ、こうは集まらないのに。
 さっきの女の人誰ですかとか、リーダーの彼女さんじゃないんですかとか、そんな質問が矢継ぎ早に飛んでくる。しかしホープトレーナーのニコロとマノンはともかく、やまおとこ達まで興味津々なのはいかがなものだろうか。
 確かに、今までジム戦ではなくザクロ個人に会いに来た者など居なかったかもしれないし、その相手が女性となると――そりゃ、まあ、ザクロと名前は歳も近いし、壁登りが趣味のザクロに恋人が居ないことなど彼らは熟知している筈で、恋人と思えてしまうのも当然かもしれないが……。
 穏やかに微笑む名前の顔を思い出し、ザクロはすぐに頭を振った。何せ彼女とは知り合ったばかりで、どんな人物なのかもまったく知らないのだ。いや、彼女の作るお菓子がとても美味しいことと、彼女がとても親切で、同時にとても気の利く性格だということは確かに知っている。
 癖で首を回せば、こきりと小さな音が鳴った。

 名前は知人のパティシエールであり、単に彼女が作るデザートの試食を手伝っているのだと言葉少なに答えると、彼らは異口同音に「えー」と口にした。落胆している者あり、ますます興味が沸いたらしい者あり。
 本当に恋人じゃないんですかと尋ねるのは、ホープトレーナーのマノンだった。先程、「リーダーの彼女さんですか」と質問を投げ掛けたのも彼女だ。頷いてみせれば、「なんだあ」とつまらなそうに言う。そんなに人の色恋沙汰が気に掛かるのかと問えば、否定したのはタケモトだ。
「いやね、ザクロさんもいい歳なんだし、恋人の一人や二人居てくれないと。ねえ?」
 彼の投げ掛けに、ノボルが頷く。かと思えばホープトレーナーの二人も神妙に頷いていた。自分より年上のやまおとこ達はともかく、マノンらにまでそうした心配を掛けているとなると、何やら情けない心地がした。まあ、面白がっているだけかもしれないが。

 私だったら、好きな人以外にお菓子なんて作らないなあというマノンの呟きは、聞かなかった振りをした。名前のことをあれこれと尋ねられるのは嫌だったし、彼女が作ってくれたのがちょうどカトルカールだったこともあって、ザクロは彼らにもケーキを分け与えることにした。結果的に、ナナの実が混ぜ込まれていたそれを彼らは絶賛した。ニコロなど、「名前さんまた来てくれますよね!」と何度も問い掛けるほどだ。
 恋人ではないのかと聞かれることはなくなったが、まだ付き合わないのかと尋ねられることになるとは、この時のザクロは思ってもみなかった。

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