チーゴ味のシュークリーム

 買い込んだ食料を手に、ゴローンに付いて来てもらえば良かったと、名前は少しばかり後悔していた。いくらミアレが広いとはいえ、野良バトルを仕掛けられることはあっても、野生のポケモンが飛び出してきたりはしない。そのため、名前は相棒のゴローンを連れてくることはしなかった(最近、ゴローンには留守を任せきりだ)。
 彼だったら、こんな荷物も楽々と運んでくれただろうに。
 ふうと息をついて、手にしていた紙袋を抱え直した時、名前は視界の端に見覚えのある人影を見付けた。とあるカフェの軒先で、一人の男性がじっと佇んでいた。浅黒い肌で背が高く、髪に石を巻き込む例のヘアスタイルをしている。何をしているのかと思えば、どうも店先に出ている看板を見ているらしかった。
 こちらに気付いている様子はなかったが、ここまで来て声を掛けないのも失礼だろう。食料の入った紙袋を持ち抱えながら、名前はザクロに近付いていった。ザクロさん、と声を掛ければ彼はびくりと身を震わせ、名前の方を振り向いた。そして相手が名前だと解ると、彼は黒い目をぱしぱしと瞬かせた。
「名前さん……こ、こんにちは」
「こんにちは」何やら照れているらしいザクロに、ごく普通の声で名前は答えた。「お久しぶりです」
「こんな所でどうなさいました? お店に入らないんですか?」
 名前はちらりと店の方へと目を向ける。ミアレらしいお洒落な佇まいに、時折風に乗って微かにジャズのメロディーが聞こえてきていた。ここのエスプレッソ美味しいですよと口にすれば、ザクロは苦笑いを返した。「いやあ、その……」と言葉を濁す彼に、名前は内心で首を傾げる。
 店に入るかどうかを逡巡しているのだと思ったのだが、もしかして違ったのだろうか。若い女性をターゲットとしているらしいこの店は、男一人では入り辛いだろうと思ったのだが。
 答え辛そうにしているザクロを見ながら、名前は少々考えた。ジムリーダーの彼は、何と言ってもマーシュの友達だ――。
「あの、ザクロさん、今からお時間ありますか?」
 名前が尋ねると、ザクロは不思議そうにしながらもこくりと頷いた。
「もしよろしければ、お菓子の試食を手伝って下さいませんか」
「……え」
 目を丸くしたザクロ。しかしながら、明らかに先程までとは表情が一変していた。戸惑いながらも、その目は何らかの期待にきらきらと輝いているようだ。名前は言葉を続ける。
「私、最近女の子向けに低カロリーのお菓子を研究しているんです。それで、もしザクロさんさえよければ、その試食をして頂けたらと思って」
「試食……ですか……」
 ザクロがごくりと唾を飲み込んだ。葛藤に葛藤を重ねているらしいザクロだったが、名前が「美味しそうなジャムを手に入れたんです」と付け足すと、「そういうことなら」と頷いたのだった。


「少しちらかっていますけど……」アパートの鍵を開けながら名前が口にすると、ザクロは「私が勝手に押し掛けたんですから」と穏やかな声で言った。
 持ってもらっていた食料を受け取ろうとすれば、ちゃんと中まで運びますと断られる。結局、紙袋は家まで運んでもらってしまった。申し訳なく思いながら扉を開ければ、話し声が聞こえていたらしく、留守を守っていたゴローンが出迎えてくれた。
 ゴローンはザクロの方に目を向けたものの、どうやらザクロは信用に値する人物だと判断したらしく、あまり気にした様子はない。
「おや、ゴローンですか」
 そう言った後、ザクロはゴローンの視線に合わせるように屈み込み、ぐりぐりとその頭を撫でた。そういえば、彼はいわタイプのポケモンのスペシャリストだった筈だ。当然、いわタイプのポケモンの扱いには慣れているのだろう。ゴローンは不服そうではあったが、その手を振り払ったりはしなかった。「女性がゴローンとは珍しいですね。お好きなのですか?」
「初めて捕まえた子なんです」
「なるほど……わたしも、初めて捕まえたポケモンはいわタイプのチゴラスでした」
 それからいつしかいわタイプばかりを育てるようになりましてと笑うザクロは、先程までより緊張が解けているようだった。どこへ運べばいいかと尋ねる彼に、名前はキッチンへと案内した。

 一時間ほど後、出来上がったのはシュークリームだった。
 さっくりと焼き上がったシューに切れ目を入れ、一つ一つに淡い緑色をしたクリームを挿んでいく。そのクリームは、この日購入したばかりのチーゴジャムで作ったものだ。
 チーゴの実はとても苦く、人間の生食には適さないものの、いったん熱を加えると苦味が薄れ、驚くほどに甘くなる。このジャムもチーゴの甘みが強く出ており、生クリームに混ぜ込めばちょうど良い甘さに仕上がった。
 シュークリームというと、カスタードクリームが王道かもしれない。実際、脂肪分ばかりの生クリームと、小麦粉や卵を使って作るカスタードクリームとでは、カスタードの方が僅かにカロリーが低い。しかしこの日のメインはチーゴのジャムなのだ。なお、ジャムがふんだんに混ぜ込んであるおかげで、クリーム全体のカロリーは抑えられている。
 また、元よりシュー生地は空洞が多いため、見た目ほどのカロリーは無い。――小さな物を沢山食べる方が満足感が得られるだろうが、今回は普通サイズとさせてもらった。
 手に入れた食材をいち早く使いたいと思うのは、料理人としての性だろう。
 仄かな苦味の残る甘いクリームに、名前手製のチーゴの実のシロップ漬けを添えてから、シューの上半分を被せた。皿へ乗せ、彩りとしてほんの僅かに粉砂糖を振りかける。仕上げにミントの葉を添えてやれば、そこそこ満足のいく仕上がりとなった。

 ゴローンと戯れながら(やはり、ゴローンはどこか不満そうにしていた)待っていたザクロは、名前の姿を認めるとぱっと顔を輝かせた。よほど甘い物が好きなのか、それとも実はお腹が空いていたのか――名前には解らなかったが、こうも期待されると料理人冥利に尽きるというものだ。
 いただきますと言って食べ始めたザクロは、暫く何の言葉も発さなかった。しかし、その顔は雄弁だ。幸せそうに食べるなあと思いながら、名前は二つのティーカップに紅茶を注いだ。
「とても……とてもおいしいです」
「そうですか、それは良かった」
 長い指で支えるようにしてシュークリームを食べているその様子は、成人した男性である筈なのに、名前の目にはどこか可愛らしく映った。
 そう言えば、自分の作ったデザートを食べる男性を、こうしてじっくりと眺めるのは初めてかもしれない。恋人も居ないし、そもそも家に招いてまで何かを食べさせるような相手は、考えてみればマーシュくらいしか居ないのではないだろうか。まあ、今日はたまたまなのだが。ニ・リューでデザートを食べる光景は何度も目にしていたが、あれを自分が作ったものとは言い難い。
 シュークリームについて意見を仰げば、特に指摘するような事はないと口籠るザクロ。しかし重ねて尋ねれば、彼も真摯に答えてくれた。シュー生地が少し硬かったことや、甘さが控え目過ぎたように感じたこと、しかし全体的には綺麗に纏まっていて美味しかった等々。

 皿の上からシュークリームがすっかり姿を消してしまった時、名前が口を開いた。「別に、男の人が甘い物を好きでも、全然おかしなことじゃないですよ」
「まあ、あんなに可愛らしいお店だと、ちょっと入り辛いというのはあるかもしれないですけど……」
「……はい?」
 ザクロが目を瞬かせた。唇についたクリームを親指で拭っている。
「ほら、菓子職人だって男性の方が多いんですし、全然気にすることはないですよ」
「はあ……ええと?」
「あれ、お店に入り辛いから、ああして立ってらしたんじゃないんですか?」
 やっぱり、甘い物を頼むのは女性の方が多いですし。名前はゴローンが自分を見上げていることには気が付いていたが、その意味するところは解らなかった。しかしながら、何となく呆れられているような気がしなくもない。
 名前はザクロが店に入るかどうかを迷っていたのは、男一人ではカフェに入り辛いからだろうと考えていた。誰かと待ち合わせをしているのであれば中に入って待っていればいいのだし、そもそも名前の提案を受け入れないだろう。大多数に見られるより、顔見知り程度の女一人に見られる方がましなのではないか。そう考えたからこそ、半ば強引に――普段の名前であれば、試作品を自分以外の誰かに食べさせることなど有り得ない。マーシュでさえだ――誘ったのだ。
 ザクロだって、そう思ったからこそ誘いに乗ったのだろう。それに、先のカフェのスイーツと、名前の作るそれとで、名前の方が勝っている理由がない。
 しかし、どうも違ったようだ。ザクロはそうした名前の勘違いに気が付いたらしく、「ああ……」と呟いてから、照れたように笑った。
「その……わたしが店に入るか入るまいかを迷っていたのは、実はカロリーのことが気になっていたのです」
「……はあ」間の抜けた相槌が口から飛び出した。ザクロは未だ照れくさそうに笑っている。「その、前から聞きたかったんですが、ザクロさん、別にダイエットとか必要無いんじゃないんですか? スポーツもやってらっしゃいますよね?」
 それともどこかお体の具合が、と尋ねれば、彼は首を振った。暫く逡巡していたようだったが、やがて口を開く。「体重が増えるのがまずいのです」
「わたしは昔から……その、甘い物がとても好きで。ついつい食べ過ぎてしまうのです。わたしはボルダリング……つまりフリーロッククライミングを趣味としているのですが、ボルダリングでは体重は軽い方が何かと有利なのです」
 気を付けていないとすぐに体重が増してしまって、と恥ずかしそうに口にするザクロに、名前は納得した。脂肪と筋肉とでは、筋肉の方が重さがある。確かに、クライミングならば余分な脂肪はもちろんのこと、必要以上の筋肉をつけるのも良くないのだろう。それに、彼が甘い物が好きというのも嘘ではないらしかった。名前は先程のザクロの表情を思い出していた。あれほど幸せそうにシュークリームを食べる人間を見たのは初めてだ。

 ザクロが素直に名前の誘いに乗ったのも、「低カロリーのお菓子」が決め手だったらしい。名前はそう納得しつつも、あまり釈然としないのは何故だろうか。
 菓子類のみを気にするのではなく、食事全体でバランスを取った方が良いのではないかとか、むしろスポーツマンなら自分の運動量と食事の量を調節するのも容易いのではないかとか――色々と言いたいことはあったのだが、名前の口をついて出たのは、「ザクロさん、また今度味見を手伝ってくれませんか」という言葉だった。ザクロは瞠目していたが、手伝いというのなら仕方がないと頷いてくれた。この日から、名前とザクロの一風変わった付き合いは始まったのだった。

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