ブリーの実のタルト

 ミアレシティの一角、カフェ・ソレイユにて、カロスリーグ四天王であるズミは、とある女性を待っていた。もっとも、“とある女性”などと言っても、別に恋仲なわけではない。ズミが今待っているのは、友人の友人――ズミにとっては顔見知り程度の女性だった。
 シックな雰囲気で統一されているこのカフェは、あのカルネが気に入っているだけあって、どこか上品さを感じさせ、それでいて活気に満ちていた。ズミが待ち合わせ場所としてここを選んだのは、単純に相手の女性もミアレに住んでいるからだったのだが、どうやら正解だったらしい。ズミ自身、この店の雰囲気は嫌いではない。エスプレッソの味も申し分なく、ズミはこれから待ち人が来るまでの間、新しいレシピでもゆっくり考えようか、と、そんな事を思っていた。
 しかしながら、待ち合わせ相手の女性はそれから間もなく現れた。女性に待たされることはあれど――パキラやカルネなど、平気で人を小一時間待たせるのだ――約束の時間より大分早くに相手の女性がやってくるのは、ズミにとって珍しい事だった。しかも、開口一番「お待たせしてしまってすみません」ときた。
「いいえ、私もつい先ほど来たところです」
 ズミがそう答えると、その女性――名前は、小さく苦笑を浮かべた。



 舌鼓を打っている二人を前に、ズミ自身非常に満足していた。四天王を務めているとはいえ、ズミの本業はやはり料理人である。こうして自身の作った料理を食べ、幸せそうにしているのを見ると、不思議と満ち足りたような気分になる。ジムリーダーのザクロ、そして同じくジムリーダーのマーシュを自宅へ招き、こうして手料理を振る舞うのは、既にズミの中で恒例行事の一つとなっていた。
 みず、いわ、フェアリーと、好んでいるタイプは違っても、ズミ達は一介のポケモントレーナーだ。当然ポケモンの話題には事欠かない。ジムで待つ者の苦悩について二人が語り始めたのを見計らうと、ズミはデザートを用意するべく立ち上がった。
 伝説のシェフなどと呼ばれているズミは、無論、菓子類についての造詣も深い。ある程度のデザートなら難なく作ることができ、こうして食事会を開いた際も、ほぼほぼズミが作っていた。美味しい店を見付けただとかで、ザクロやマーシュがケーキ等を持参することもあるにはあるのだが、ズミを気遣ってだろう――作る手間より、拙い品で食事会を台無しにしたくないと思うのは仕方のないことだ――かなり稀だ。
 しかしながら、この日のデザートはズミが作ったものではない。昼間、名前から手渡されたものだった。――プロのパティシエールが手ずから作った逸品だ。

 切り分けたタルトを皿に盛り付け、二人の元へ戻ると、彼らは揃って小さく歓声を上げた。それもその筈で、ズミが手にしていたブリーの実のタルトは見た目が大そう素晴らしかった。
 均一に並べられたブリーの実は、余すところなく青く艶やかに光り、見る人の食欲を擽った。切り口ですら、ごく淡いクリーム色の生地と、表面の瑞々しいブリーの実の対比が美しい。ズミですら思わず声を漏らしたほどの出来栄えで、二人からすれば尚更美味しそうに見えたに違いない。
 もちろん、味の方もズミ達の期待を裏切らなかった。シロップ漬けにされたブリーの実は独特の渋みが消え、ブリー本来の甘みだけが存分に引き出されていた。クリーム生地は甘さが控え目だがとても滑らかで、代わりにタルト生地の方に焼き菓子らしい甘さが強く感じられる。またそれぞれが互いの味を引き立てていて、最高の逸品と言っても過言ではないかもしれなかった。
「あんな、これ、ほんま美味しいわあ」と、マーシュ。
「ええ本当に」ザクロが言う。「本当に、とても美味しいです」
 心なしか常より声に気持ちが籠っているような気がして釈然としないが、ズミ自身当然かと認めてしまっている部分もあり、妙に悔しい。今度、本格的にデザート系を勉強すべきかもしれない。
 話すことも忘れているらしく、黙々と食べ続けている二人に対し、ズミは説明を加えた。このタルトは極力糖分や脂質を減らすように作られており、ミルタンクの乳の代わりにメェークルのものが使われている事。生地の甘さは控えめにし、代わりにブリーの実本来の甘さが引き立つようにしてある事。外側のタルト生地は通常よりも少々固めに作られ、より満足感が得られるようにされている事。
 この一切れで百カロリー程度だろうと締めくくると、呆気に取られていた彼らは感嘆の声を漏らした。
 やがてザクロが目をぱちぱちさせながら言った。「ズミ、わざわざわたしの為に作ってくれたのですか?」

 ――ザクロという男は、根っからのアスリートだった。
 彼はボルダリングに始まり、マラソンや自転車など、数々のスポーツを趣味としている。ポケモンですら、ロッククライミングの時に見付けた石がたまたま化石だった為に始めたと公言しているほどであり、言ってしまえば筋金入りの筋肉馬鹿だ。
 もっとも、化石云々については多少の脚色がされている。偶然見付けた石がポケモンの化石だったことは間違いないが、それはザクロが十に満たない頃のことだ。ショウヨウの街中を走り回っていたことこそあれ、流石にその頃から壁登りを趣味にはしていない。――ついでに、何故ズミがそんな事を知っているのかと言うと、彼とズミとが幼馴染みだからに他ならない。
 ズミがショウヨウを飛び出し、ミアレのシェフの元へ弟子入りしてからも付き合いは続いており、今ではそこにマーシュが混ざる。縁とは不思議なものだ。

 ともかくも、そんなザクロは常日頃から自身の健康管理に気を付けていた。ボルダリングを特に好んでいる彼は、当然ながら体重を気にしている。競技自体に重量制限はないのだが、指先の力のみで自身を支えなければならない事も多いため、体重は軽いに越したことはないのだ。しかしこのザクロ、大の甘い物好きだった。
 ケーキ、クッキー、キャンデー、アイス――ザクロはありとあらゆる甘味を好んでいた。
 彼は言う、甘ければ甘いほど良いのだと。コーヒーや紅茶に溶け残るほど砂糖を入れる彼に、ズミは何度「痴れ者が」と怒鳴り付けたことだろう。近頃では嗜好は人それぞれだと見て見ぬふりをするようになったが、一時は味覚障害も疑ったほどだ。大人になっても彼の甘い物好きは少しも変わらず、現在に至っている。
 本格的にスポーツをやるようになってからは、ザクロも一応は健康に気を遣い始めた。当然、糖分の類も必要以上に取らないようにしているらしい。しかしながら、人間誰しも我慢のし過ぎは良くない。ザクロは元来実直な男であり、ボルダリングの為の体調管理――即ち、間食をしないことだ――も完璧にこなすものだから、無意識の内にストレスを溜め込んでしまっていた。ズミは偶然目にした「ジムフリーク」で、ザクロの事が取り上げられていた時、自分が手を貸してやるべきだと強く感じたのだった。


「ええ」ズミが言った。「しかし、作ったのは私ではありません」
 ザクロの為なのは確かだ。もちろん、マーシュの方も体重を気にしてはいるのだろう。女性は体重を気にするものと相場が決まっているし、モデルをしていたならば尚更だ。しかしながら彼女は元から小食で、あれでは太るにも太れない。
 そもそも、マーシュは言うほど甘い物が特別好きというわけでもなかった。和菓子の方が好きなんよ、とは彼女の言だ。伝説とも称されるズミが作るものだからということもあるかもしれないが、マーシュはあまり好き嫌いが無かったし、デザートもその他の料理も一様に美味しそうに食べていた。むしろ、いつだったか出したパスタスープの方が、丹精込めて作ったデザートよりもよほど喜んでいた。
 となると当然、ザクロの為という事になる。

 思った通り、目をぱちぱちを瞬かせたザクロ。ズミは貰い物だと告げようとしたのだが、それより先にマーシュが口を挿んだ。
「これ、名前ちゃんが作ったんやろ?」
 ズミが頷いてみせると、マーシュは嬉しそうに顔を綻ばせた。やっぱり、とでも言いたげだ。
「ええと……どなたでしたか?」聞き覚えのない名だったのだろう、ザクロはズミとマーシュの顔を見比べた。
「名前ちゃんはうちのお友達なんよ。ミアレでパティシエさんやっとってな、お菓子作るん、ほんまに上手なんよ」
「マーシュ、女性の場合はパティシエールです」
「ああ……そう、そう」
 ジョウトやと男も女もパティシエ言うさかい、ややこしいなあ、と、マーシュは独り言のように呟く。しかしながらその顔に浮かぶ微笑みはいつものそれより柔らかく、彼女が友人をとても大切に思っていることが窺えた。
 その方にこのタルトを作ってくれるよう頼んでくれたのですかと問うザクロに、ズミは再び首を振る。そして、用意していた紙の束を彼に手渡した。彼の横からマーシュも覗き込む。「……ズミ、これは?」
「カロスで手に入る、ローカロリーなスイーツの一覧です。名前さんにどのような物があるかと窺ったところ、それを頂きまして。タルトもご厚意で頂きました」
「ああ……名前ちゃんならやりそうやわ」
 そう呟くマーシュに、ズミも彼女のことを思い返した。実際のところ、ズミはただ、ヘルシーな菓子がどこかで売っていないかと聞きたかっただけなのだ。
 わざわざマーシュの友人に――以前、ズミが勤めるレストランにたまたま彼女達が来て、そこで紹介された。同じ料理人という事もあり、色々と通じるところもあるにはあるが、ホロキャスターの番号を交換しただけでそれ以上は何も無い――尋ねたのは、彼女が女性であって、そういう事をよく知っているだろうと思ったのと、全くの門外漢ではないとはいえ、やはり本職の人間に聞いた方が詳しい話が聞けるのではないかと思ったからだ(もっとも、ズミの方は彼女の菓子作りの腕前だけは何となく知っている。マーシュが時折手土産として持ってくる菓子は、どれも彼女が作ったものらしいからだ。ズミの目から見れば拙い部分も多々あったが、それでも名前の作るスイーツはどれも繊細で、学ぶべきところも多かった)。
 そもそもズミにしてみれば、体重を維持する為に食事を制限するということ自体理解ができないのだ。当然、低カロリーなスイーツがどこで手に入るかなど、詳しいとは言えない。
 ただ、いわば共通の友人が居るというだけの知人が、まさかこんなに親身になって世話を焼いてくれるとは、さすがのズミにも予想できなかった。一週間ほど時間を貰っても良いですかと、そう尋ねられた時に疑ってかかるべきだったのだ。
 流石にパティシエールであっても、すぐには思い浮かばないのだろう――ズミはそう考えた。
 しかし彼女は、低カロリーなスイーツについて自分が知っている情報だけでなく、わざわざカロス中を調べた上、一つの資料として纏め上げてくれた。資料は十数ページにも及んでおり、しかもおまけとして、彼女考案だろうレシピや、自分で菓子を作る際にどうすれば低カロリーに抑えられるかのコツなども付けてくれていた。
 何と言うか、頭が下がる思いだった。
 にこにこと笑っている彼女に、ズミはそれらを受け取るしかなかったし(彼女が書いてくれたレシピだけはコピーさせてもらった)、こんな人間が居ても良いものだろうかと半ば心配になった。マーシュが納得している辺り、これが彼女の性分なのだろう。待ち合わせの二十分も前に来るほどに真面目で、友人の友人のそのまた友人という、面識もない人間の為に親身になってやれるほどお人好しで。
 ザクロも、同じようなことを考えていたのかもしれない。少し困ったような表情をしていたが、やがて微笑んで「ズミ、ありがとうございます」と礼を言った。

 帰っていく二人を見送ってから、そういえば名前がザクロを女だと勘違いしていることを伝えなかったなと思い出した。ズミが相談を持ち掛けた後、彼女は彼女なりの考えで、どうもズミの彼女がダイエットをしていると考えたようなのだ。道理は通っている、気がする。
 彼女さんによろしくお伝えくださいと笑う彼女に、ズミは否定をしなかった。しなかったというか、彼女の厚意を踏み躙るような気がしてできなかったのだ。ズミの恋人だと思ったからこそ、あそこまで親切にしてくれたのかもしれないし。まあ、ザクロと彼女が顔を合わすことはないだろうし、気にすることでもないだろう。ズミはそう結論を下し、ゆっくりと扉を閉めた。

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