そぞろにあるく

 砂浜に足跡を残しながら、名前はコウジンタウンからショウヨウシティまでの道のりをゆっくりと歩いていた。この日は風も強くなく、ミュライユの海も穏やかだ。間違っても靴を濡らすことはないだろう。相棒のマリルはそんな静かな海でも嬉しいらしく、はしゃいだ様子で波打ち際を歩いている。こうして海岸を散歩するのは近頃では珍しくないのに、飽きもせずああして楽しんでいる辺り、やはり水ポケモンということだろうか。あんまり遠く行っちゃだめだからねと声を掛ければ、りるるーと元気な返事が帰ってきた。
 暫く歩き続けると、遠方にショウヨウシティの街並みが見え始める。自然と頬が緩んだ。ポケモントレーナーとして旅立ち、初めてこの街に訪れた時から、名前はこの街が大好きだった。視界いっぱいに広がる水平線、そして反対側には切り立った崖が控えている。見晴らしの良いこの街は、バトルに負けて落ち込んだ時や、トレーナーとしての実力が伸び悩んでいる時など、こうしてよく散歩に訪れた。まあ、近頃では気分に関係なく、こうして海岸沿いを歩いているのだが。
 ショウヨウシティの北西、砂浜の終わりまで来ると、名前はUターンして再び歩き始めようとした。散歩の距離はその日の気分によって変わるが、今日はまだ歩いていたかった。このままコウジンへ戻って、水族館を見学するのも良いかもしれない。しかし、名前の歩みはそこで止まった。声を掛けられたからだ。
「こんにちは」
「こ……こんにちは、ジムリーダーさん」
 名前がそう言うと、背の高い彼は穏やかに微笑み、「ザクロです」と名乗った。もちろん、名前は知っていた。


 すぐ傍まで戻ってきたマリルは、自身のトレーナーとショウヨウのジムリーダーを見比べたものの、自分が以前得意のみずてっぽうで倒した相手だからか、それともザクロにまったく敵意が見られないからか、特に気にする様子もなく名前の服の裾を引っ張った。彼が見付けたらしい貝殻を受け取ってやり、元のように立ち上がると、ザクロの方から話を振ってきた。「名前さん、よくこの辺りを歩いていますね」
 何かを探しているのですかと微笑む彼に、名前は少しだけ驚いていた。名前は確かに、以前ショウヨウジムに挑戦したこともあったが、もう二ヶ月以上も前の話だ。チャレンジャー一人一人の名前を覚えているのだろうか。それに、どうも名前がこの砂浜をよく散歩していることを知っているらしい。
「いえ、探し物というわけではないです。というか、名前……」
「おやまあ、間違えていましたか?」
「や、違います、あってます」
 そうですかと微笑んだザクロに、名前も同じように少しだけ微笑んだ。名前を覚えてもらっていたことは、純粋に嬉しかった。

 私がこの辺りを散歩していることを知ってらしたのですかと尋ねると、ザクロは自分もよくこの辺りを歩くのだと言った。時にはジョギングだったり、自転車に乗ってだったりもするのだとか。彼の言葉に、名前はショウヨウジムの内装を思い返した。確か、ロッククライミングができるようになっていたと思う。どうやら彼は、根っからのアスリートらしい。
「いつもマリルを連れているでしょう? だから、遠くからでもよく解るのですよ」
「ああ、それで……」
 確かにしょっちゅう同じポケモンだけを連れ歩いていれば、顔を覚えるくらいはするだろう。しかし、名前の方はザクロの姿を見た覚えがなかったので、見られていたのかと思うと少し気恥ずかしかった。どちらかというと海の方ばかりを見ていたので、彼の姿に気が付かなかったに違いない。
「この子も海が好きみたいで。やっぱり水ポケモンだからですかね」
「そうですね、どのポケモンも、自分の生息域に近い場所を好むものですから。――ところで、今日はどうしてこちらに? もし何かお困りなら、わたしもお手伝いしますよ」
 名前は急いで首を振った。何か目的があって歩いていたわけではないのだ。ザクロが言うには、ショウヨウからコウジンにかけてのこの海岸沿いは、しんじゅや、ほしのかけらなんかを求めるマニアがよく訪れるらしい。
「私、シャラで育ったので、こうしてここの砂浜を歩いていると、何だかほっとするんです」
「そうですか」ザクロは微笑んだ。「まあ、そぞろ歩きの街ですからね」
 ショウヨウシティ、とは言い得て妙だ。この白い砂浜を歩いていると、どんな悩みでもたちどころにどこかへ飛んでいってしまう。

 しかしながら、名前の目には、どことなくザクロが気落ちしているように見えた。先程までより何となく元気がない。
「ザクロ……さん? 私、何かしましたか?」
「ああ、いいえ」
 ザクロはひらひらと手を振ってみせ、さらりと言った。「ただ、あなたがわたしに会いに来てくれたのなら良いなあと、勝手にそう思っていただけですので」
 名前は心底どきりとした。名前がこうしてよく海岸沿いを歩いているのは、ザクロにまた会えたら良いなあと、本当にそう考えていたからなのだ。以前は気分の沈んだ時にだけ、気分転換の為にだけ来ていたのだが、最近では彼を一目見られれば良いなあと、そんな打算があって散歩に来ていた。もちろんショウヨウの街が好きなのは事実だし、砂浜を歩いていると心が落ち着くのも確かなのだが。
 彼と同じように笑いながら、普段通りの顔になっていますようにと願った。
「あの、ザクロさんは……今日はどうしてこちらに?」
 ジョギングの途中だったんですかと尋ねると、ザクロは再び微笑みを浮かべた。そう、私はこうして穏やかに笑う彼に恋をしたのだ。
「いいえ」ザクロは言った。「もちろん、あなたとお話しするために来たのですよ」
 今度こそ、名前は赤面した。不思議そうに自分を見上げるマリルの視線を感じながらも、尚も微笑んでいるザクロに何と言えば良いのか解らなかった。

[ 16/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -