要請

「合宿?」
 訝しげに尋ね返したガロウに、名前は頷いた。「そう。八月の頭に一週間」
 夏休みに入ってから、名前は土日だけでなく平日も道場に顔を出していた。部活動が半日で終わるからだ。
 窓を全て開け放っているにも関わらず、道場の中は凄まじい熱気に蒸れていた。出来る限り涼しい場所に腰を下ろしているのだが、次から次へと汗が流れ落ちてくる。短い休憩時間、名前とガロウは他愛のないお喋りを続けていた。声に覇気がなく、いまいち盛り上がらないのは、偏にこのうだるような暑さが関連しているのだろう。
 土産買ってきてやろうかと名前が言うと、ガロウは「いらねぇよ」と吐き捨てた。そんな彼に小さく笑えば、髪の先から汗の滴がぽたりと垂れた。

「名前、ちょっと来い。客じゃ」
 道場の入り口に立っていた祖父がそう言って名前を手招きした。きゃく、と口の中で呟いたが、ガロウに尻を蹴られ慌てて駆け出す。先日もこのような事があった。あの時は、S級ヒーローのタンクトップマスターとその他数人のタンクトップを着たヒーローが、名前の元を訪れたのだった。名前が彼の弟分を助けたから、その礼が言いたいとか何とかだった気がする。別にたまたま通りがかっただけだったのに、律儀な人だなあと思ったのを覚えている。またタンクトップマスター達が来たのだろうか? 客人に思い当たる節が無い。
 しかしこの日名前を待っていたのは、そんなタンクトップを纏ったヒーローではなく、黒いスーツをかっちりと着込んだ、見覚えのない中年の男だった。


 名前が道場に戻ったのはそれから小一時間ほどが経った後だった。稽古の後、門下生仲間達がこぞって彼の元を訪れ、どういう客だったのかと聞きたがったが、名前ははっきりとは答えず、ただはぐらかすだけだった。
 そんな様子を傍らで見ていたガロウは、名前が答える気がないのだろうと思っていた。しかしガロウが尋ねた時、彼は「うーん」と唸った後、はっきり口にしたのだった。周りに誰も居なかったからか、それとも別の理由なのか、ガロウには判断が付かない。
「ヒーローにならないかって言われた」

「……ハァ?」
 ガロウが「まったく訳が解らない」という調子の声を出したので、名前は少し安心した。だよなあと笑うと、ガロウは眉を寄せ、「いや、どういう事だよ?」と困惑気味の声で尋ねる。
「いや、俺もよく解んないんだけど……前に、俺がトカゲみたいな怪人倒したことがあったじゃん?」
 ガロウも見てたよな?と聞くと、ガロウは頷いた。「あれが噂になってるんだと。で、ヒーロー協会って割と人手不足……というか人材不足? で、怪人倒せるようなヒーローが少ないんだって。そんで偶々俺が怪人倒したって聞いてから、俺にヒーローになって欲しいんだと」
 ガロウの顔が段々と険しくなっていくので、名前は苦笑を漏らした。
「お前高校生だろが」
「知ってる。俺もそう言ったんだけど」
 そんだけ不足してるってことなんだろうなあと言って頭を掻くと、ガロウはますます顔を歪めた。
 オッケーしたのか、と彼は問い質すような口振りで言った。そんなガロウに、名前は「や、返事は待ってもらうことにした」と正直に答える。実際嘘でもなんでもない。ヒーロー協会からの要請は寝耳に水だったし、どちらにせよ「ハイなります」、などと了承できるわけがない。

 ガロウはそれ以上何も言わなかったが、不機嫌そうに顔を歪めていた。鼻の頭に皺が寄っている辺り、「不機嫌そう」ではなく、実際機嫌が悪いのだろう。
 ふと、名前は思い至った。
「なんだガロウ、拗ねてんのか」
 ガロウがぎょっと目を見開いた。「ハァ!?」
「誰が! んな訳ねぇだろうが!」
 声を荒げたガロウに、名前はハハハと笑った。どこからどう見ても怒っているようにしか見えないのに、名前には彼のその様子が図星を言い当てられて焦っているようにしか思えなかった。
「ガロウは結構解りやすいんだな。拗ねてる時だけは口で言われなくても解るようになったぞ」
 からからと笑い続ける名前と、段々顔に血が昇っていくガロウ。その赤い顔は名前への怒りもあるのだろうが、いくらか羞恥心も混ざっているのではないかと思う。「安心しろよ。俺、ヒーローなんてならないから」

 わあわあ喚いていたガロウの口がぴたりと止まった。「あぁ?」
「テメェ、俺に気ィ遣ってとかじゃあねぇだろうな」
「違う違う。考えてみれば元からヒーローやる時間なんてなかったし」
 実際、どうしてもヒーローになりたいわけではなかった。スカウトが来た事は確かに誇らしかったが、だからと言ってそのままヒーローになるのは話が別だ。名前は高校生だったし、それに何より、ヒーロー嫌いの友達を裏切るような真似はしたくない。折角友達になれたのに、ガロウと気まずくなるのは嫌だった。
 しかしながら、そんな名前の思いはガロウに通じなかったようだった。「高校卒業したらなるって事かよ」
「違うって。俺は絶対ヒーローにならない。これからも絶対にだ。今決めた」
 ひひひと笑う名前を、ガロウは暫くの間見詰めていた。ヒーローとは人々に頼りにされ、尊敬される存在だ。給料も出るし、色々と特権もある。それを、名前は蹴るという。――やがて、ガロウはふーと溜息を吐き出した。「呆れちまうくらい馬鹿なんだな、名前は」

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