中華料理

 無事に中間テストを終え――赤点は一つも無かった!――名前は再び稽古に参加するようになった。もちろん、部活動の無い土日に限ってだが。季節は移り変わり、いつの間にかすっかり梅雨に入っていた。シルバーファングの道場も四六時中湿気が籠り、心なしか畳が湿っている。
 しかしそんなじめじめとした道場の中が、俄かに熱気に包まれた。弟子達の誰も彼もが、熱にうかされたように顔を輝かせている。稽古の最中にもそれは変わらず、組手をしながらその相手とひそひそと言葉を交わしていた。もっとも、全員が全員内緒話をしているので、いくら言葉を低めようとあまり意味が無い。シルバーファングはそんな彼らを止めようとはしなかった。
 ガロウは訝しげに目を細めながら、「なあ」と組手相手である名前に言った。
「何がこんなに気になってんだ? こいつらはよ」
「んー?」
 尋ね返しながらやんわりとその拳をいなすと、ガロウは小さく舌打ちをした。自分の攻撃が軽く防がれたことと、名前が話を聞いていなかったことについて苛立っているのだろう。「だから、何でこいつらはこんなソワソワしてんだっての」
「……ああ。さっき言ってただろ? 余所の流派と手合せするって。それでだよ」
「よくある事じゃねぇのか、そういうのはよ」
 納得し切れていないらしいガロウに、そういえばと思い出す。彼はヒーローが嫌いなのだ。当然ヒーローの名前、ヒーローネームを覚えてはいないだろうし、公開されているヒーローの本名も知らないのだろう。
「手合せの相手が、ヒーローのアトミック侍だからだよ」
 名前がそう告げた瞬間、ガロウの顔があからさまに歪んだ。

「……んだぁ、それ」
 嫌そうに尋ねるガロウに、名前は小声ながら簡単に説明した。祖父とアトミック侍は旧知の仲――何せ、ヒーローになる前から付き合いがある――だということ、その付き合い故、稀に弟子同士の親善試合が行われるということ。また、そういう手合せは今回が初めてではないこと。
 ヒーロー嫌いのガロウは、他の弟子達と違いアトミック侍が相手だろうと何だろうと、あまり興味が無いようだった。むしろ道場の仲間達が“アトミック侍”に現を抜かしている現状が気に食わないらしい。
 名前はガロウを軽く投げ飛ばしてから、そうやってうちの道場に挑んでくる人は多いんだよと付け足した。
「何だっけ……あの、最近S級になった黒い人……」
「……超合金クロビカリ?」
「そうそうクロビカリ。あの人も前、じいちゃんに勝負仕掛けにきたよ。じいちゃんが圧勝だったけど」
 記憶力も残念なんだなと憐れまれたが、名前は気にしない。
 いつの事だったか――確かヒーロー協会が設立されて少し経った頃だと思うのだが、突然やってきた超合金クロビカリが祖父に手合せを申し込んだ。曰く、シルバーファングの神業を体験したかったとか何とか。凄腕の格闘家、しかもその数ヶ月後にはS級ヒーローとして他から認められるような実力を持った二人なのだから、その手合せときたら凄まじいものがあった。クロビカリの超火力攻撃に、それを全て受け流すシルバーファング。
 起き上がったガロウはいやに不機嫌そうだった。


 アトミック侍の弟子達との手合せは日曜日、つまり翌日に行われることになっていた。皆、相手方――アトミック侍の道場へ足を運んでいる為、日曜の道場はがらんとしていた。
 ――手合せと言ったって、別に強制じゃあない。休みたかったら休んでも良いのだ。まあ今回は、ほぼ全員が出払っているようだが。いつもの稽古開始時刻が近付いているというのに、誰も来やしない。いつもだったら、多少の欠席者が出る。多分、アトミック侍がS級ヒーローになったことが大きく関係しているんじゃないだろうか。S級ヒーローであるアトミック侍や、その彼の弟子達を打ち負かしたとなれば、大そう自慢することができる。
 名前は彼と何度か会ったことがあるし、その弟子達――特にA級にまで上り詰めたイアイアンとは何度も拳を交えているので、別に今回パスしたところで少しも気にならなかった。祖父には欠席を伝えてあるし(こればかりは師範の孫の特権だ)。
 まあ、イアイアンとの勝負がお預けになってしまうのは、多少惜しかったかもしれないが……。
 名前が一人道場を掃除していた時、道場の入り口が静かに開いた。戸口に立っている人物を見て、名前はにやっと笑う。つんつんと逆立った髪の毛に、山猫のような鋭い目。ガロウだ。

 ぽかんと口を開けて此方を見ているガロウに、名前は手を振った。「おー。早くこっち来て手伝ってくれー」
 暫く入り口で突っ立っていたガロウだったが、やがて我に返ると名前の元へ走り寄った。
「お前、今日はアトミックの連中と手合せ、じゃ、なかったのかよ」
「今回はパスした。あそこの道場あっちィんだもん。ほれはよ手伝え」
 雑巾を放り投げると、ガロウは危なげなくそれをキャッチする。「どうせ俺らしか居ないし、軽くで良いよな?」
 じいちゃんならちゃんとやれって言うだろうけどなと名前が笑うと、ガロウは訝しげに名前を見ていたが、やがて頷いた。
 ――ガロウが何を言いたかったのか。不思議なことに、名前は何となく解るような気がした。名前は他人の感情を読むのが不得手だったし、今でもそれは変わっていない。ただ、ガロウのことに関しては何となく理解していた。彼は自分の為に名前が試合を降りたのではないかと思っているのだ。そしてそれは半分外れで、半分当たっている。
 この日一日、名前とガロウはずっと二人きりで稽古に打ち込んだ。修行の後、近くの中華料理屋で食べたチャーハンは殊更美味しかった。

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