clean

「シーエルイー……エー、エヌ……clean、綺麗な、綺麗にする……」
 道を歩きながら単語カードを捲る。健全な男子高生として、迫りくる中間テストに向けて僅かな時間を用いて予習をしなければならなかった。――いくら怪人を素手で吹き飛ばせるような力を持っているとしてもだ。

 急に前方が騒がしくなったのを感じ、名前は足を止めて英単語帳から目を離した。すると何やら多くの人が走っていて、その誰も彼もが必死の形相をしているではないか。まるで、何かから逃げているように。
 名前は一瞬何が起きているのかと不思議に思ったが、すぐに納得した。ああ、怪人か。
 ここ数年、災害の発生件数は異常なまでに上昇していた。自然災害はもちろん、何よりも多いのが“怪人”の出現だ。高校生になったばかりの名前が「昔と比べて怪人が多くなったなあ」と思うくらいなのだから、発生率は以前より遥かに多いに違いない。噂によると、このZ市は中でも怪人発生数が多いとか何とか。ヒーロー協会が設立されたのも――国の組織ではなく、あくまで私営の慈善団体だが――そんな状況故だろう。
 あちらこちらから上がっている悲鳴が、事態の深刻さを表しているようだった。

 ところで、ヒーロー協会とはあくまで私営の組織である。つまり、ヒーローになるには一切の資格も経歴も必要ないのだ。正式なヒーローとなるには、ヒーロー協会に登録さえすればそれで良い。そしてプロヒーローとなった者には、そのランキングに応じて給金が支払われることになっている。どうも最近はヒーローが増え過ぎ、数を制限しようという話も出てきているらしいが、ともかく、丈夫な体と正義の心さえあれば、誰でもヒーローになることができる。
 ヒーローにはいくつかのランクがある。先日増設されたS級ランキングを含め、S、A、B、Cの四つだ。最初はC級ヒーローとして活動を行い、その出来高に応じてランクを上げることができる。最も数が多いのはC級ヒーローであり、当然、一番一般人に近しいのもC級ヒーローだ。
 つまり――C級ヒーローは、あまり頼りにならない。

 人間と爬虫類が合体したような何かが、黒いタンクトップの男性を吹き飛ばした。彼が逃げなかった、それどころか怪人に向かっていくような素振りから考えて、もしかするとヒーローだったのかもしれない。シルバーファングを祖父に持つ名前にとって、ヒーローとは身近な存在ではあったが、だからといって三百人を超える彼らを全員覚えているわけじゃない。
 爬虫類のような怪人が不穏な素振りを見せたので、名前は慌てて彼らに駆け寄り、でかいトカゲに跳び蹴りを食らわせた。怪人はギャッと叫び、それから名前に掴みかかろうとした。が、名前はそのまま流水の動きで受け流し、後方へ吹き飛ばした。――地響きのような、それなりに大きな音がした。振り返ってみればブロック塀に怪人がめり込んでいて、名前は内心で家の人に謝罪した。
 ひどく驚いた様子のタンクトップの青年は放置することにして(救急車は呼んでおいた)、名前はすぐに退散した。あの場に留まれば色々と面倒なことになるだろうし、何より一刻も早く試験勉強に取り組まなければならないのだ。ライティングに全てが懸っている。


 単語帳を取り出そうとして、ふと視線を感じ、名前は顔を上げた。「ガロウ?」
 普段着姿のガロウが道の先に立っていた。どうやら名前の存在に気付いていたらしく、手を振って呼び掛けると「よう」と頷いた。元気がない、そこはかとなく。
「……こんなとこでどうしたんだ? 今から道場行くのか?」
「まあな」ガロウが言った。「お前、この間来なかったけどどうしたんだよ?」
 この間、と言われ、名前はああと頷いた。
「テストだからな。明後日で終わるから、次の時はちゃんと行くよ」
 英語がヤバイ、と付け足すと、ガロウは納得したように頷いた。「お前馬鹿そうだもんな〜」
「うっせうっせ」
「どうせ授業中寝てんだろ? 先公の苦労が窺えるねぇ」
「うるせえ! バーカ!」
「そっちのが馬鹿」
「バ――カ!」
 暫く二人で馬鹿馬鹿と言い合いをした。しかし――ガロウはどうだか知らないが、名前が成績が悪いのは事実なので、なかなか心に来るものがある。今度罵る時は別の悪口にしよう、そう心に決めた。

 何か元気無いけどどうしたんだ?と尋ねると、ガロウは一気に苦虫を噛み潰したような顔になった。随分虫の居所が悪そうだ。「何だ? はっきり言ってくんねえと解んねえぞ、俺馬鹿だから」と名前が胸を張ると、引き摺ってんじゃねぇよと小さく呟く。
「別に。お前が……強いんだなって思っただけだ」
「何だガロウ、見てたのか」ガロウの様子からして、先程の一連のやり取りを見られていたのは明らかだ。「どうだ、流水岩砕拳は強かろう」
「流水の動きで敵を翻弄し、激流の如き一撃で岩をも粉砕する……!」
「……ジジイの真似か?」
 名前がにやっとすると、ガロウは溜息を吐いた。どうやら呆れているらしい。
 知らない奴大勢とガロウとなら、ガロウを優先して助けるからな、と、そう主張すると、ガロウは「呆れた馬鹿だな」と肩を竦めた。しかしながら、先程感じたような機嫌の悪さはすっかり消え失せていた。

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